世界恐慌
大正十一年になり、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国からソビエト連邦へと名称が変わった。
つまりは完全に赤に染めあげられたということだ。これからお隣がどう動くのかますます目が離せない。もちろん悪い意味である。
そして日本にもコミンテルン支部を作ろうとしたが、残念ながら日本は赤く染まらなかった。
何故なら狐色に染まりきっているので、今さら共産主義の入る余地はないからだ。
それに堺利彦さんと山川均さんが先頭に立って反対してくれたらしく、おかげで稲荷主義は守られたのだった。
なお本人としては、狐っ娘の最高統治者こそ至高とのたまうのは止めてくださいと声を大にして言いたい。しかし信奉者の暴走が怖いのでお口チャックであった。
同じく大正十一年にアインシュタインさんが来日した。
私も相対性理論を導き出した偉人だと知っていた。結果的には自分がそれを先取りして日本国内に広めてしまったが、それでも尊敬すべき凄い人なのには変わりない。
なので珍しく私自らが後押しして、国をあげて歓迎することにした。
彼らはとても喜んでくれたようで、最初の滞在予定の四十三日を大きく越えることになった。
それでも他に予定があるため、惜しまれつつも港から船に乗って次の目的地のエルサレムへと旅立っていったのだった。
「もし貴方たちの身に危険が迫った時には、亡命先の一つとして候補にいれてもいいですよ。日本国民は皆、貴方たち夫妻を歓迎するでしょう」
…と、謁見の間で一言添えておいた。
それにやんごとなきお方ともお話する機会があったと聞いて、これは史実でも歓迎ムードで謁見していた可能性が高いかなと、私は口には出さないが妙に納得するのだった。
大正十二年の九月、関東大震災が起こった。
東京を中心にして、とんでもない広範囲に被害が出てしまった。
だが幸い耐震性を重視する設計と鉄筋も増えていたし、耐火性能も向上している。そのため人口密集地に直撃したものの、実際の被害はかなり抑えられたはずだ。
しかしライフラインの復旧には時間がかかるため、久しぶりに割烹着に着替えて緊急避難所である稲荷大社で大鍋をかき混ぜるという炊き出しを行い、東京で暮らす人たちへの慰問を行ったのだった。
なおその際に、今がスクープチャンスとばかりにマスコミにやたらと付きまとわれた。だがその辺はもはや慣れたものでニコニコ笑顔で対応する。
結果的にある程度の復興が進んで避難所が閉鎖されるまでは、割烹着姿の稲荷様が地域住民の癒やしとなるのだった。
それから少し時は流れて敗戦国を日本が支援し続けた成果が出たのか、世界情勢は少しずつ落ち着きを取り戻してきた。
だが朝鮮は今日も元気に中華民国から独立しようと六・十万歳運動を頑張っており、あろうことか純宗の葬式中に万歳して喜んだらしい。
もう何と言うか独特なセンスに脱帽である。
そんな激動の時代であった大正は十五年で終わり、次の年号の昭和に変わるのだった。
昭和に変わっても日本経済は好調に推移していた。
時がどれだけ流れようと量より質を重視して環境にも優しいので、技術大国の看板は揺らぐことなく偽りなしを守っていた。
確かにこれは私が江戸時代からずっと推し進めてきたが、正直なところ好景気がいつまでも続くとは思えなかった。
なので、いつかは泡になって儚く消えるのではと戦々恐々しているのだ。
「今の日本は好景気です。しかし景気というのは非常に不安定なシャボン玉のようなものです」
戦争が終結して多少は落ち着きを取り戻してきたものの、世界情勢は安定にはまだ程遠い。
しかもそれが世界経済と密接に関わっており、戦争特需や敗戦からの復興が重なり、とにかく変動が激しいのだ。
「シャボン玉が無限に膨らみ続けることはなく、いつかは割れて消えてしまうでしょう」
美味い話には裏がある。誰かが得をするということは誰かが損をしていると影では囁かれている。
無限に価値が上がり続けるということはなく、いつかは天井にぶつかって終わりが来る。
未来の日本で視聴したニュース番組では、バブル崩壊や就職氷河期が話題にあがっていた。理論は朧気にしかわからないが、とにかく恐ろしいものだと記憶に刻み込まれた、
なので自分からテレビカメラの前に立ち、日本国民に対して公式発言をする気になったのはそのせいだろう。
「今の日本は世界屈指の技術大国です。
国民は十分に裕福な暮らしを送れていると、私はそう思っています」
一瞬FXで有り金全部溶かした顔が脳裏にちらつき頬が緩んでしまったが、すぐにキリッとした表情に戻す。
「なのでどうか他国に惑わされずに、今一度自制をお願いします。
お金や物や土地等を転がせば楽して儲かる。そんな上手い話などありません。
投資やギャンブルを禁止にはしていませんが損をする可能性が高いことを、どうか忘れないでください」
私もそこまで経済に詳しいわけではないが、程々にしないと火傷では済まないことは知っている。ギャンブルは勝つ人よりも負ける人のほうが圧倒的に多数だからだ。
それにしても久しぶりに自分からテレビカメラの前に出た気がするなぁ…と、私はIHKのスタジオで一旦休憩に入りながらそう思ったのだった。
特別番組は続き、神皇からの公式発表が終わったので次のコーナーに移る。
用意したのは美麗なイラストが描かれた紙芝居だ。
そこには何処かで見たことがある狐っ娘が主役となって漫画のようにコミカルに動き回り、お子様にもわかりやすいように一枚ずつ丁寧にめくって、私が口頭で順番に説明していく。
「…つまり土地を担保にすると支払った分のお金が回収不能となり、最悪借金をする可能性まで出てくるのです」
元は私が教えた現代知識だが今は裏方の役人さんのほうが余程詳しい。
そこで私はさも知らないことがないかのような賢い稲荷様の台本を読みあげていく。
そして番組が進行する中で、なるほど。そうだったのか。…と投資への理解が深まっていくのを実感するが、多分一日経てば殆ど忘れていることだろう。
「幸い日本はずっと好景気が続いていますが、私が失態を犯せば急激に落ち込むでしょう。
そうなれば円が安くなるのはもちろん、土地の価格にも影響が…」
これは公式の政府広報としてテレビやラジオの電波に乗せて日本全国伝えられる。
またはデフォルメされた狐のアイコンのインターネットブラウザで、より詳しい説明を見ることもできる。
ただし、まだワールドワイドではないので、あくまでも自国とオーストラリアだけのネットサービスであった。
何気にあっちの大陸と海底ケーブルが繋がっているので、殆どリアルタイムでの情報のやり取りが可能となっている。
それはともかくとしてパソコン本体が高額なので、もうしばらくの間はテレビとラジオが情報発信の主力になりそうである。
しかし、今必要ないからというのは、技術者を軽視する理由にはならない。
私はせめて未来の日本のようにブラック企業だらけになりませんように…と、渡された台本にチラチラと目を通して口を動かす。
そしてそんな稲荷神の一挙手一投足を見逃すまいと、周囲を囲む数多くのテレビカメラは真剣そのもので撮影を続けるのだった。
世はまさに稲荷神時代だ。
近年にはIEC(稲荷電気会社)が頭角を現し、あれよあれよという間にパソコン通信技術を確立してしまった。
つまり日本限定(オーストラリア含む)の電話回線を使ったネットワークを構築したことになる。
まだ接続するたびにピーピーピーガー…ピガーと大きな音が鳴ったり、繋いでいる間は電話料金がかかるという問題点も残っている。
しかし、そこに元々京都で花札を作っていた稲天堂が開発したPCゲーム、高天ヶ原オンラインが爆発的な大ヒットを記録して追い風となる。
一部のユーザーからは、これを遊べるだけでも高額なPCを買う価値は十分にあると言わせるほどらしい。
だがPCを持っているだけではただの箱だ。
そこにマルチメディアに対応したINARI25を入れてネット回線に接続する必要がある。
基本無料で深夜料金ならお得に遊べる。これは寝落ちさえしなければリーズナブルと言えなくもない。
ちなみに物語のオープニングは大体こんな感じだ。
地上に残った最後の女神(狐っ娘)が邪悪な神々に立ち向かう。
そのためにプレイヤーである人間の戦士に加護を与えて代わりに戦ってもらうという、王道のオンラインゲームと言える。
だがそれは女神が転生するRPGと同じような危険な匂いを感じるのは、多分気のせいではないはずである。
何しろ高天ヶ原の神々も本来は味方なのに邪神として出てくるし、アップデートで四文字の神や他宗教の神があらかた敵役として登場予定とか、もはや喧嘩を売っているとしか思えないのだが、日本国民は全く気にすることなく毎日楽しく遊んでいるらしい。
昭和三年になり、ソビエト連邦が相変わらず日本を赤く染めようと頑張っていた。
だが、あいにくうちは見渡す限り一面の狐色が広がっている状況だ。
ソビエトさんの無駄な努力に見えるが、実際には感染源である私にも制御不可能である。なので力を弱めるために頑張って欲しいが、化け物には化け物をぶつけるのにちょっと似てるかもと感じるのが、正直な感想だった。
同年のアムステルダムオリンピックで、日本人選手が何人かメダルを取った。とにかくめでたいことである。
当然、帰国後は稲荷大社に招いて私が踏み台に乗り、皆の首に日本勲章をかける。
すると、金メダルを取った時よりも嬉しいです! …と元気よく答えて誰もが満面の笑みを浮かべていた。
だが個人的な考えでは、オリンピックの会場で一等賞を取るほうが瞬間的な嬉しさは上だと思う。
そんな何とも納得し辛い気持ちになったのだった。
昭和四年、世界恐慌が起こってしまった。
様々な要因が重なった結果、大国アメリカの株価が急落した。さらには一時市場を封鎖する事態にまで陥ってしまう。
これまで全く揺らぐことなく好景気が続いてた証券取引が大混乱となったためか。
その大波は多数の国の株や金融機関にまで及び、投資家たちは自らが払った資金を回収しようと躍起になった。
その行動がさらに混乱に拍車をかける悪循環に陥ってしまい、第一次世界大戦後の復興がようやく終わったばかりの世界各国に大打撃を与えることになった。
「世界恐慌とは、名前の通り恐ろしいものです」
「ただし、日本とオーストラリアは除くが付きますがねぇ」
私は内閣総理大臣である田中義一さんや政府関係者と、本宮の謁見の間でのんきにお茶を楽しんでいた。
世界恐慌は確かに厄介だが日本は金転がしは自重ムードだし、基本的にはオーストラリアとの貿易が大半だ。
それに生粋の日本人でなければ国内の株や投資等の経済的な干渉は不可能だし、鎖国が長かったので移民の審査も凄く厳しい。
「稲荷神話は健在と言うことでしょうね」
「稲荷神話? 何ですかそれは?」
「稲荷神様の教えに従えば、災いを退け、五穀豊穣を成し遂げるという信用です」
なるほど…と呟きながら、私は信玄餅を包装でくるんで、シャカシャカ振る。ようは新幹線の安全神話のようなものだろう。
だがしかし、稲荷神を演じているのは一般人だ。現実には簡単に崩れそうな砂上の楼閣な気がしてならない。
何だかんだで世界恐慌の影響を殆ど受けないが、代わりに市場が狭いので得られる利益は少ない。
他国との窓口も小さいが一応開いていて、戦争特需で型落ち品を処分したので国民の懐には余裕がある。
「私もいつかは神皇を退位するので稲荷神話もどうかと思いますよ」
「いやいや、稲荷神様はまだお若いのですから引退など」
「多分三百三十歳を越えていますし、若いとは言えないのでは?」
桶狭間の戦いが終わった辺りからこちらにやって来たし、未来の日本の年齢も含めると三百三十歳を越えているはずだ。
思えば遠くにきたものだと信玄餅を包装から取り出して、小さな口に運んでモキュモキュと咀嚼する。
「そんなになりますか?」
「モグモグ…ええ、田中義一さんのご先祖にもきっと何処かで会っているでしょうね」
もし彼の先祖が身分が高ければ一度ぐらいは何処かで会ったかも知れない。私はそれだけ多くの出会いと別れを繰り返してきたのだ。
「稲荷神様は、この後どうされるおつもりで?」
「しばらくは各国への支援を拡大して、世界経済を安定させる方針でお願いします」
「わかりました。概ねいつも通りですね」
アメリカが警察官なら、今の日本はお医者さんだ。
怪我や病気の様子を見て支援を行い、再び歩けるようになるまで回復させる。
なお、現実は白衣の天使ではなく白衣の狐っ娘である。これは一体どの層を狙っているのか。
しかもその実態は後々高額な医療費を請求する詐欺師で、タダより高いものはないと教えることになる。
だが支援金の回収は現金でなくても構わないし、基本的にはある時払いでOKだ。
そのような条件を最初に提示すると、どの国も喜んで応じてくれている。最終的には私のほうが引き気味になってしまうほど食いつきが良いのだ。
自衛隊は海外にも派遣は可能だが、私が日本の人命が損なわれることを嫌うので、これまで一度として要請していない。
「現地の住民が理解ある対応をしてくれるのなら、復興支援の部隊を送るのもいいですね。
あとは早いところ世界恐慌が収束して欲しいものです」
そのような内容を本宮の謁見の間で政府関係者と互いに愚痴りながら、私は二つ目の信玄餅に手を伸ばすのだった。




