冬の来客
秋が過ぎて寒い冬の到来であり、基本的に社務所の間取りはあばら家の頃と変わらず、個室は入り口横の倉庫のみで、後は一段高い場所にある囲炉裏炭を中心とした大部屋だけだ。
そこで私は炭を燃やして暖を取っていた。
本当は何人もの村大工が集まり、もっと立派な建物にしたほうが良いのではと提案してくれたが、広すぎると落ち着かず掃除も大変になる。
なので最初のあばら家と変わらず、見栄えや骨組み、隙間風や雨漏り対策を行い、こじんまりとまとめてもらった。
どうしても納得できないようなら、御神体の置かれた本殿を改築したらどうかと提案したので、今ではもうボロではなくなり雨風も防げる社となっている。
隣の狼小屋も冬場は木枠の窓や人間用の入り口を閉めきり、下方の小窓からの出入りのみに制限してある。
そして今は数匹のワンコが囲炉裏の前に集まり、それぞれ体を丸めたり重なり合ったりと、各々が暖を取っている。
元々は記憶から抜け落ちた家族を求めてのことだが、今ではすっかり戦国時代に順応し、私の心の隙間を埋めてくれている。
「冬の山は危険だからか、参拝者来なくなったねぇ」
独り言を呟きながら追加の炭を鉄の箸で取り出し、火かき棒で邪魔な灰を退けて、広間の囲炉裏に突っ込む。
夏の終りにこちらにやって来てから随分色々とあったが、ようやく一段落した感じだ。
たとえ家族や友人が思い出せなくても、現代日本に帰れなくて寂しくなることもあるが、今は可愛いワンコや、世話を焼いてくれる麓の村の人が居る。
なので大声をあげて子供のように泣きじゃくるほど悲しくはない。
「この静けさは冬だけかな」
今日は玄関から入ってすぐのカマドではなく、大部屋中央の囲炉裏で料理をする。暖を取るために家中を閉め切ってはいるが、高所に家を構えているので麓よりも冷える。
一日中炭を入れてはいるが、離れるほど寒くなるので、狼たちと同じで暖かい場所から離れたくはなかった。
ちなみに冬の間は、すぐ近くの温泉に入り浸っているワンコもかなりの数居るらしく、ここがわんわん動物園か……と、実際に目で見て大いに驚いたものだ。
「私の噂も広まってるみたいだし、来年はどうなるやらだよ」
相変わらず自分の住んでいる場所が三河であること以外は、殆どわからない。私自身が積極的に歴史に関わろうとせず、そもそも俗世に興味がないとも言える。
今は戦国時代の真っ只中なので、余計なことはしないで大人しく過ごすのが吉だ。
そして平和な江戸時代になったら、ワンコを連れてあちこち観光に行くのもいいなと、気楽に考えている。
既に色々とやらかしていることに関しては、ほんのちょっと時代を先取りしただけで、そこまで大したことはしていないと強弁したい。
だがここ最近の参拝者の急増具合から、春に雪が溶けたらどうなることかと、村の鍛冶職人に特注で作ってもらった金網に粟餅を乗せて、炭火でジリジリと焼きながら、今から戦々恐々しているのだった。
そんなある日、本多忠勝さんがこの寒いのに山を登って家までやって来た。
一応冬用の耐寒具らしいが、現代人の私から見れば藁装備など本当に温かいのかと、疑問である。
ちなみに彼以外にも数名の同行者がおり、呼び出しに答えて玄関の扉を開けて対面した私を見て、皆が一斉に驚き硬直しているのを見て、本多さんがしてやったりとドヤ顔を決めていた。
「外は寒かったでしょう。大したもてなしはできませんが、家の中へどうぞ」
「それでは稲荷様、失礼致す」
「でっでは、某も」
「お、お世話になります」
囲炉裏の周りを囲んでいた狼たちを見て、またもや驚くが、私がしばらく小屋のほうに下がっているように伝えると、皆静かに土間の下方に作られた小窓に向かい、あっという間に一匹残らず、壁の向こうに隣接している大きな犬小屋へと去っていった。
私は再び来客に向き直り、自分が先に下駄を脱いで大部屋の畳の上にあがって、どうぞ…と招く。
本多さんは防寒具を脱いで適当な場所に置くと、ニコニコしながら大胆に歩みを進め、他の方々はおっかなびっくりと言った感じで、囲炉裏を囲むようにそれぞれ思い思いの場所に腰を下ろす。
いつか客が大勢来ることは予想していたので、全員分の煎餅座布団を用意しておいて良かったと、ホッと胸を撫で下ろした。
なお自分の普段使い以外は全て、こちらで丸くなる間のワンコ用の寝具だということは、彼らには秘密である。
「白湯で申し訳ありませんが」
「いやいや! こちらこそ急に大勢で押しかけてしまい!」
室内の乾燥を防ぐために、囲炉裏にかけておいた陶器のヤカンから、沸騰したお湯を各々の湯呑に順番に注いでいく。
なお顔を赤く染めている本多さんが連れてきた客なので、彼の分を一番最初に注ぎ入れる。
それを全員分繰り返すと、私は土間に下りて水瓶から減った分を補充する。そして容量をいっぱいに戻すと、再び畳にあがって囲炉裏にかける。
「白湯のお代わりまで考えてくれるとは、何と慈悲深い!」
「いえ、これは室内の湿度を保つためです」
「はっ、はぁ? その、稲荷様。しっ、湿度とは?」
別に白湯の一杯や二杯で文句を言うほどケチくさくはないが、本多さんが私を過剰に評価するので、妙にこっ恥ずかしくなり、咄嗟に否定した。
しかし戦国時代に湿度を理解するどころか、概念そのものがなかったことに、発言した後に今さらながら気がついた。
「湿度とは、大気中に漂う水分の量です。湿度が高ければ空気は湿り気を帯び、逆に低ければ乾燥します」
「なっ……なるほど?」
わかっているのかいないのか、この時代の人にもわかりやすく説明するために色々と端折ったが、やはり教えるというのは難しい。
取りあえず本多さんが何となくだが理解したようなので、これで終わりとばかりに、自分の座布団の上に腰を下ろす。
すると今度は、彼と同年代ほどの立派な和服を着た少年が、恐る恐るといった感じで声をかけてきた。
「稲荷様、何故室内の湿度を保とうとするのですか?」
「喉や鼻、または肌の乾燥を防ぐためです。
湿度があまりにも低くなると咳や喘息、肌荒れ等の病状が出やすくなり、さらに病気にかかる危険が高まります」
皆がポカーンとした顔でこちらを見ているが、冬の間の風邪やインフルエンザウイルスの概念なんて、私にはこの時代の人にわかるよう、詳細に説明できる気がしない。
なのでとにかく、そういうものだと受け入れてもらうしかない。自分の助言に関しては、呪いや祈祷、妙な薬のように信憑性なんてあってないものだが、実行すれば必ず効果が現れるのは未来の日本で証明されている。
「あっ、あの、今の話は本当でしょうか?」
「私は本当だと信じています。もし気になるのでしたら、実際に試されては?」
「そっ、そうですね」
本多さんの隣に座っている少年が何やら考え込んでいるが、私は素知らぬ顔で自分の分の白湯を一杯いただく。
世に出回っているお茶は高級品なので、手軽に作れるタンポポ茶や笹茶を、機会があれば試作してみるのも面白いかも…と、そんなことをぼんやりと考えていた。
「ところで今さらですが、貴方たちは何処のどなたで、何の目的でこの場にいらしたのでしょうか?」
ふぅ…と一息ついたところで、私は本当に今さらな質問をすると、皆一同に、あっ! という、うっかりしていたという表情に変わる。
彼らはきっと、姿だけは本物のお稲荷様を目にした驚きで、自己紹介するのをすっかり忘れていたに違いないと、そうはっきりと感じたのだった。