中華思想
台湾に出兵しなかったことが日本国民に好意的に受け入れられたことで、本来の歴史を朧げながら知っている私としては、意外だなー…と思った。
しかし、私のこれまで積み重ねてきた実績により、未来の価値観が浸透していると考えれば一応の納得はできる。
そして清国との交渉だが、散々渋った末に、見舞金の変わりに沖縄が日本に帰化するのを公式に受け入れることで、名実ともに我が国の一部となった。
現実の沖縄民は三百年も前から日本の一部だと思っていたようで、清国が台湾以上に扱いに困っていたことと、軍艦を並べて圧倒的な武力をちらつかせたのが効いたのかも知れない。
まあともかくとして、私は今回の痛ましい事件の遺族にお悔やみの言葉をかけて、自前で用意した見舞金も渡した。
ついでに明治政府からの手厚い支援の約束を取りつけて、これにて一件落着かと思っていた。
しかし後日、私の本宮の廊下で交わした会話の全文が新聞やニュースで大々的に取り上げられた。
確かにオフレコにしてくれとは言っていないし、いつでも退位すると国民に向けて挑発的な発言をしたので話題性も抜群だ。
しかし、現実には五穀豊穣の稲荷大明神は慈愛の女神でもあると、そんなあまりにも偏向報道も甚だしい評価を受けて、しかもそれを日本国民がやたらと称賛するのだ。
普通はここで結構な数の開戦派が出るはずだし、発言の自由は尊重してるのに。何でだろうなぁ…と、私は疑問を浮かべながら首をかしげるのだった。
そして明治八年になり、樺太・千島交換条約が締結された。別名を、サンクトペテルブルク条約とも言うらしい。
だがまあ名称とは違い、実際に交換したものは一つもなく、領土は全て日本のもので、国境線は海と湾でしっかり引いている。
後日、この件に関わった役人に何を交換したのかと聞くと、互いの意見交換です…と、笑顔で答えてくれた。
私は座布団を持っていなかったのであげられなかったが、『良いですね、上手いですよ。』と褒めておいたのだった。
しかし、何故今さらそんな条約を結ぶことになったのかと説明すると、樺太と千島列島の先住民と仲良くやっていたところに、毎度毎度ロシア帝国が移民を大量に送り込んでくるせいだ。
だが当然原住民はそれを受け入れたくないので、仲の良い日本に協力要請してひたすら追い払い続けていた。
すると、狐の神様が統治者という宗教的観点からもさらに絆が深まり、北海道に続けとばかりに、いつの間にやら日本に帰属してしまったのだ。
だが、樺太に関してはロシア帝国とほぼ陸続きだ。正直に言って持て余していると言っていい。
しかし住民は皆、口を揃えて、ロシアは嫌だ…ロシアは嫌だ…日本がいい…日本がいいと切実に訴えるのだ。
なので、結果的にうちが引き取って、爆弾の導火線に火をつけないように気をつけて、彼らの面倒を見ることになったのだった。
同じく明治八年のこと。
とうとうカラーテレビの開発に成功したため、当然の流れのように私の家にいち早く設置された。
なお、技術革新はそれだけでなく、日本全国に白黒テレビと洗濯機、冷蔵庫等の家電が普及したのだ。
まだカラーは高級品でお金持ちしか買えないが、これからクーラーや自動車も一家に一つ持つ時代が来るのは確実だ。
本当に科学の進歩は日進月歩だなと思い、居間で座布団に座ってテレビを見ながら、IHK(稲荷放送協会)の教育番組で流れている歌を口ずさむのだった。
ちなみに文明レベルが昭和に突入している日本だが、本来の歴史とは全く違う発展の仕方をしている。
まず、大量生産と大量消費ではなく、量より質を重視しており、とにかく環境保護を優先している。
おかげで未来では高級で滅多に食卓に並ばず、絶滅危惧種だった鰻の完全養殖に成功して、数を減らすことなく、割りと気軽に食べられるようになった。
私が昔から鰻を食べたいと呟いていたのを聞いていたからか、実現困難な望みを叶えるために三百年かけてようやく実用化にこぎつけたのだ。
後日IHKで何週にも渡る特番が組まれ、プロジェクトフォックス~挑戦者たち~が放送されたのは言うまでもなかった。
それとは別に、江戸時代からゴミの分別と資源の再利用を習慣化させたり、発電所も火力発電がメインだが、煙突モクモクからの空気洗浄を義務化しているし、水力や風力、地熱や潮力、太陽光など、環境に配慮した発電施設の研究開発も進めていて、そろそろ実用化できそうだ。
あとは一歩進んで、水車のような発電機も研究開発されている。
専門家の話では、巨大なダムではなく、何処にでもある水流を利用するとのこと。
良くはわからないが将来的に絶対に必要になる技術なので、十分な予算と時間をかけて頑張ってもらいたいものである。
そのような国民全員が一致団結した日頃の積み重ねや努力もあり、日本は何処に行っても自然豊かで、昔と現代の建造物の調和が取れて美しく、観光地としての人気がとても高かった。
古城や武家屋敷も、地震で崩れたり火災で焼けたりしなければ普通に現存しており、歴史的な価値が高いものが多数存在するのだ。
あとは少し前のことだが、私が五稜郭で星間戦争ごっこをしたときに、稲荷神と侍、忍者等のグッズが世界中で飛ぶように売れた。
外国の人はそういうのが好きだなー…と思い、未来の有名映画監督が影響を受けなければいいけど…と、少しだけ心配になったのだった。
明治時代の日本人が誰もが知っている外国、それがオーストラリアだ。はっきり言って、お隣の大陸のどの国よりも仲が良いのは間違いはない。
統治機関の運営方針もうちと殆ど同じで、日本からの移住者も大勢おり、江戸時代から日本語や貨幣の円が浸透し、今は考古学者ぐらいしか元の言語を知らない状況だ。
さらに、共同開発や技術協力もいつも通りで通じるほどに慣れたもので、もはや第二の日本と言っても過言ではない。
それどころかそろそろ良い頃合いですし、日本に帰化したいのですが…と、チラッチラッと、定期的にお願いされるのだ。
だがしかし、文化も技術も統治も殆どが同じであるが、国力は向こうのほうが圧倒的に上なのだ。
逆に組み込まれるならあり得たかも知れないけど、うちが面倒見るとかマジでないわー…と、そのような内容を丁寧に返して、毎度謹んでお断りするのだった。
そして、そんな若干ヤンデレ気味になってきたオーストラリアでは、一週遅れだが日本の番組が放送されていて、どれもが高い人気を博していた。
中でも、狐っ娘が数名の護衛を連れて世直しの旅をする稲荷侍という時代劇が、視聴率五十パーセント越えの大人気であった。
悪人たちを仲間と一緒に倒した後に、バサッと藁傘を外して狐の耳と尻尾を出して、私の顔を見忘れましたか? …と、格好良く決め台詞を披露する。
制作スタッフも日本とオーストラリアの両国から出ているので、気合の入れようが伺える。
それに石灯籠を真っ二つにしたり、時代を先取りしたワイヤーアクションも使っているので、藤波畷の戦いや、五稜郭での星間戦争ごっこでの私の研究に余念がない。
本当に私のことが好き過ぎるでしょう…と思いながら、居間のちゃぶ台に乗せた草加せんべいをバリバリと齧り、カラーテレビの画面に映る、日本でも大人気の稲荷侍をのんびりと視聴するのだった。
明治八年の九月になったある日、やはり大陸とは関わりたくないなと、心底うんざりするほどの面倒な事件が起こった。
私がそれを知ったのは我が家の居間で、座布団を二つに折り曲げて頭を乗せ、畳の上にゴロ寝して、最近の愛読書である週刊少年シャンプを読んでいる時のことだ。
黒電話から呼び出し音が響いたので、何だろうと首を傾げながら受話器を取ると、政府の外交官が困ったような声で私に相談してきたのだった。
事件の流れを説明するには、まず明治五年まで遡る必要がある。
その頃は、頻繁ではないが朝鮮と交流を持っており、王族と交渉をする機会があった。
そこで彼は、日本人は何故蒸気船で来て、洋服を着ているのか。それは華夷秩序を乱す行為に他ならない。…そうはっきりと非難されたのだ。
華夷秩序とはつまり、中国の皇帝を頂点とする、階層的な国際関係の意味だ。
もう少し詳しく言うと、古来より中国にある自分たちは、優れた文明を持つ世界の中心であり、周囲は未開の野蛮人である。
別名では中華思想とも言われているが、日本のほうが先に大人になってしまったので、その時はへーへーそーですねーと、特に気にせず流したそうだ。
そして明治八年になり、中華思想に染まったままの彼の国と、再び政府交渉を行うことになった。
日本が朝鮮の港に乗り込んだ時に、空砲こそ撃たなかったが軍艦で怖がらせてしまったのか、日朝関係は進展なしで、一度は打ち切られることになった。
その時に暇を持て余したのか、せっかく遠出したのだからと、日本の使節団は適当に近海をぶらつくことにした。
実際には測量を行ったり、現地の火事の消火作業に協力していたらしい。
だが江華島に向かっている途中、島に設置された砲台から突如砲撃を受けてしまう。
ギリギリ船体には当たらなかったが、危ないところだったらしく、一方的にやられっぱなしではいられず、ただちに反撃砲撃を開始した。
その結果、江華島砲台を完膚なきまでに破壊してしまう。
そして、どうして砲撃を行ったのか尋問するために、永宗城島の要塞を占領することになったのだった。
この件により、日本側と朝鮮側の主張は交わることのない平行線となり、日朝交渉も全く何の進展も得られなかった。
だがまあ結果だけを見れば、こちらの被害はゼロで幸いと言える。
それに、朝鮮から日本が手を引く良いキッカケだと考えて、この際ですし国交断絶しましょうかと、私は満面の笑みを浮かべて公言した。
…というある意味痛ましい事件を乗り越えて、朝鮮とは国交断絶状態になった。実に明治九年のことであった。
時は少し流れて、明治十年も静かなものだった。
もし武士階級の近代化が進んでなければ、今頃内乱祭りだっただろうなぁ…と、縁側に座ってアイスキャンディーを舐めながら、遠い目をして青空を流れる雲の動きを追う。
病気のコレラもしっかり対策しているので、被害は抑えられて何よりだ。
そして明治十二年になり、琉球王国が滅びた。
…と言っても王族がなくなるだけで、現実にはピンピンしている。
本人も、琉球処分でようやく名実ともに日本の一部になれた。ここまで本当に長かったと、島民と喜びを分かち合っていた。
王族が崩壊してから一週間は、沖縄全土でお祭り騒ぎだったらしい。
明治十四年になり、ハワイ王国のカラカウア王が来日した。
何でもハワイのために自ら外交官となり、外国と交渉を行っているらしい。
私のように日本の最高統治者でありながら、常に家に引き篭もってばかりで政治手腕も振るわず、外国に一度も行っていない狐っ娘とは大違いだ。
ちなみにハワイは移民を募集しているらしく、日本からも送って欲しいと頼まれたが、実際には離れたがる人が殆どおらず、交渉には時間がかかりそうだなと思った。
彼は朝廷だけでなく私とも面会し、その席にてハワイの王族を誰でも良いからもらってくれないかとお願いされた。
国が滅びずに生き延びるためには、政略結婚も珍しいことではない。
しかし私にその気はないので、こちらがやんわりとお断りする前に、この場に居た全ての護衛や官僚が揃ってガチギレしてしまう。
何とかカラカウア王に飛びかかる前に、立ち上がった私が目にも留まらぬ速さで血の気の多い人たちは叩きのめしたが、場の雰囲気的に面会はこれで終了ということになった。
なおカラカウア王は、ジャパニーズニンジャガール…と呟き、こっちを見ながら子供のように瞳を輝かせていた。
これ以上は不味い予感がした私は、新たなトラブルを起こす前に速やかに日本から旅立ってもらったのだった。




