新政府樹立
慶応三年十二月、王政復古の大号令が行われた。
これにより武家政治を廃して、君主政体に復した政治に転換することを、日本国民に向けて大々的に発表したのだった。
明治政府を樹立するには必要なのだが、これで神皇にますます権力が集中することになり、早くも頭が痛い。
大体政治も経済もズブの素人の私が列強諸国を相手に、臨機応変に対処できるとはどうしても思えない。
しかし日本のトップは稲荷神であると国民が納得している限り、自分からは退位はできないため、悔しそうにぐぬぬ…と唸るしかないのだった。
そして少しだけ時間が過ぎて、新政府の立ち上げの日。
何年もかけて入念な準備を進めてきただけはあり、国民の告知や移行による混乱は少なく、スムーズに進んでいった。
自衛隊や警察や消防署は身分制度がなくなっても、門戸が広くなった以外はそのままで、大名や位の高い武士は、華族や大地主になった。
つまり変わったのは上に立つ者たちだけであり、一般民衆にとっては江戸幕府を開いた当初と殆ど変わっていないのだ。
そのおかげか、混乱による抗議活動や内乱が起きなかったので、私はホッと一安心するのだった。
慶応四年になり、江戸に慶應義塾大学が建てられた。
この建物は、日本が世界に羽ばたくという期待を込めて西洋に習い、洋館っぽい外観と広大な土地を惜しみなく使い、中身も最新構造の塊の学校である。
さらには、耐震や耐火、耐風等、とにかくひたすら頑丈な作りであり、校内のどの施設も国内随一と言っても過言ではない。
そこに入学する生徒も自ずと世界一になるわけで、当然ながら試験によるふるい落としで、国内屈指の狭き門が予想される。
そして私も、当然の流れということで、一期生や教師の集う式典に参加した。
何百年かぶりに女学生の制服を着たのが嬉しくて少しだけ涙ぐんでしまったが、次の瞬間には何故かブルマ体操服やスクール水着を持ってこられた。
職員から、次はこれを着てくださいと頼まれて涙はすぐに引っ込み、チベットスナギツネの顔になったのは言うまでもない。
ちなみに、今回も当然のようにプロカメラマン、取材陣やテレビカメラに囲まれて色んなポーズや台詞を要求された。
長年の経験により、私は考えるのではない、感じるのだ…の心境になり、終了時間が来るまで仏の心で羞恥に耐えたのだった。
慶応が終わり、年号はいよいよ明治となった。
江戸は東京に呼び名が変わり、全国の藩は都道府県に改名された。しかし私がつけた北海道と沖縄はそのままで変更しなかった。
元年の明治維新で様々な改革を推し進めたが、その中で私がもっとも困ったのは、神仏分離令である。
これは神道と仏教、神と仏、神社と寺院とをはっきり区別させる目的がある。確かに今まではなあなあで済ませていたし、白黒つけるのは別に悪いことではない。
しかし江戸時代の間は、何処の神社や寺院、果ては教会までもが、ここでお祈りやお祭り、または御札やお守りを買えば稲荷大明神様のご利益がありますよ…と、民衆を相手に堂々と口に出していた。
だがまあ、人間も神様も遡れば元は一つだったとか、色々と言い訳できなくもないし、あながち間違いとも言えないが。
今重要なのは、その手はもう使えないということだ。
ちなみに明治政府の公式発言では、稲荷神社か稲荷大社でなければ私のご利益は得られないと、日本全国にはっきりと公言している。
そうなるとうちの稲荷大社は強制デスマーチに突入ということになるのは確実で、もはや何度目か忘れたぐらいのご愁傷さまである。
私にとっては対岸の火事であり、直接出張る必要性がないため、家の庭先に聖域の森の落ち葉を集めて、ワンコたちが見守る中で狐火で着火して、特注品のサツマイモを焼く。
そして良い感じに食べ頃になったら取り出し、満面の笑みで小さな口に運んで、美味しそうにハフハフと頬張るのだった。
時は流れて九月に入り、東京行幸という大々的なパレードを行った。
私はこの手のマスコットキャラ扱いには慣れているが、朝廷の人たちはあまり経験がなかったようで、始終緊張気味だった。
なので休憩時間中に車に乗って笑顔で手を振っているだけなので、これでも楽な方ですよ…と、励ましの言葉をかけてあげた。
しかしいくら楽でも、半月近くもゆったりとした行進を続けるのは流石にちょっとどうかと思った。
そんなこんなで最初は戸惑っていた朝廷の人たちも、全国ツアーを経験済みのプロからアドバイスを聞くことで日本国民へのデモンストレーションは問題なく無事に終了した。
だがしかし、どのカメラも常に私ばかりを撮影していたのは問題だ。もっと他に見るべき所があるだろう。
そりゃまあ、朝廷や新政府の役人はむさい男ばかりで花がないのはわかるけど、…とは口には出さないが、心の中で始終ツッコミを入れるのだった。
様々な法律を改めたり、時代の流れに合わせた制度を新しく組み込んだりと、事前に良く話し合っていたので変更自体は楽なのだが、いざ実際に運用するとなるとなかなか思うようにはいかない。
特に日本国の日章旗を日の丸ではなく、稲荷大明神の紋様にしようと言い出した時は、押し留めるのに苦労した。
そして時は流れて明治四年になり、日清修好条規が締結された。
そう言えば隣の国なのに今まで結んでなかったなと、今頃になって思い出した。
さらに、岩倉使節団派遣をヨーロッパやアメリカ合衆国に派遣したりと、国際化の流れが著しい。
しかし武力を持って朝鮮を開国しようなどという、征朝論を主張する人もおらず、大人しいものだ。
だがまあ正直、アジア大陸のヤンデレ国家とは極力関わりたくないという内容を、昔から口にしているのでそのおかげかも知れない。
朝鮮を支配しても良いことのほうが少ないので本当に勘弁してもらいたいし、自衛隊は専守防衛が基本だ。
もっとも、憲法九条がないので海外派遣は可能だが、できればしたくないなと思ったのだった。
だが明治四年の十月になり、台湾に漂着した宮古島の島民五十四人が殺害される事件が起こってしまった。
その時の中国、つまり清の政府は台湾人は化外の民であり、清政府の責任範囲ではないと公式に発言した。
それに対して私は犯罪捜査などを名目に出兵。その際に警察ではなく軍を派遣することを正式に決めた。
何しろ五十四人も殺されたので、これで何もせずに泣き寝入りするのは無理というものだ。
それとも、十二人は生き残って保護され、宮古島に送り返されただけでも良かったと思うべきだろうか。
何にせよ、この決定が日本の行く先にどのような影響を及ぼすのはわからないが、殺された人たちの無念を晴らすために、台湾への出兵を正式に決定したことに違いはなかったのだった。
事件が発覚してから数日が経過した本宮の謁見の間。
冷や汗をかいて青い顔をする清国の外交官を呼び出し、政府関係者に周りを取り囲ませた状態で一段高い畳から私が直々に尋ねる。
「…と言うわけで、日本としては誠に遺憾であると言わざるを得ません。
清国としては、その辺りはどうお考えでしょうか?」
出兵を決めたものの、戦争をすると犠牲が出るしお金もかかる。なのでやらないに越したことはない。
態度としては強気に出ているが、もし本当に派兵すれば死者が五十四人で済まなくなるのはわかりきっている。
なので、何とか戦わないで済ませる理由を引き出すために、喉元に刃を突きつけながら交渉を行う。
「先住民は化外であり、清国の統治が及ばぬゆえに…」
「では、日本が台湾に出兵し、化外を殺害して回ったとしても清国は問題ないと?」
「そっ…それは困ります! あれでも清国の領土ゆえ!」
これでは埒が明かないため、さっさと賠償金を払えばいいのに、往生際が悪いと言うか、ケチ臭いと言うか。
何にせよ面倒な相手なので、私では荷が重い。
「ならば遺族への見舞金を支払うために、政府の者たちと交渉をお願いします。
イギリスの駐日大使パークスさんも、こちらのプランなら賛成してくれていますので」
そう言って私は席を立ち、清の外交官に背を向けて謁見の間から足早に立ち去った。
はっきり言って何百年経とうが、元女子高生から賢さの数値がまるで成長していないであろう私では、腹の探り合いは無理である。
ならば大雑把な方針を決定したあとは、いつも通りに専門家に任せたほうが良い。
(でも、あの様子だとまだゴネそうだなぁ)
清の外交官は冷や汗をかいてはいたが、見舞金を払う気はなさそうだった。きっと上からは無理難題を言われているのだろう。
「海上幕僚長に連絡して、沖縄に軍を派遣するように要請してください」
ならば首を縦に振らせるまでだと、私は本宮の廊下を歩きながら、親衛隊の一人に指示を出す。
「目的は遺族への見舞金を引き出すための清国への脅しです。ただし、絶対に出兵してはいけません。
戦争による死傷者は五十四人の十倍でも足りません」
はぁ…と大きく溜息を吐きながら、小さな手で頭を押さえる。何で私は日本の統治者をやっているのだろうか。
本当に向いてないというか、胃痛には絶対にならないが精神的に針のむしろで、交渉や政治的判断なんて無理ゲーが過ぎる。
「私は日本国民を私怨で死地に送る気は一切ありません。
たとえ自分が泥をかぶろうと、皆には心穏やかに生きて欲しいと、…そう願っています」
お国のためとか言っていた時代があったらしいが、その時に生まれてない私には到底理解できない思考だ。
そして、現代の日本人は皆が子供か孫のような存在とも言える。それを恨みを晴らすために死んでこいなどと、冷酷な命令を下す気にはとてもなれなかった。
統治者とは時に辛い決断をしなければいけないらしいが、自分にはとても務まりそうにないと改めてそう感じた。
「もし私に、日本の最高統治者としての資格がなければいつでも潔く退位しましょう。
国民の皆さんにも、今一度そう伝えておいてください」
今日は精神的に疲れてしまい、何もする気がなくなった。
理由は不明だが感極まった表情をする親衛隊に命令を出したあと、廊下を早足で歩いて本宮の裏手に抜けて、交代制の見張り番にいつもご苦労さまと声をかけ、聖域の森に入っていく。
するともう何代目かわからないワンコたちが整列して、疲れていた私を温かく迎える。
私は彼らの頭を順番に撫でてから、住み慣れた我が家にゆっくり歩き出すのだった。




