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小笠原諸島

 文化が終わり、年号は文政となった。その六年に、シーボルトさんという高名な蘭学者が日本にやって来た。

 現代で言うと西洋医学者のようなものらしく、さらにこの人は植物学者でもあり、とにかく色々と凄い人とのこと。


 だがそんな凄い人は、実はドイツの内情探索官であり、国籍を偽ってオランダ商館医になっているらしい。

 祖国よりも一歩も二歩も先を行っていると噂の日本をこの目で見て、技術を学ぶのが目的と言っていたが、それさえも嘘である可能性は捨てきれない。




 ちなみに日本は鎖国中で、殆ど情報は公にはしていない。

 その中で世界に広く認知されている正確なモノと言えば、国の統治者は稲荷神で、その下に政治機構である朝廷や幕府がある。

 あとは行動範囲内にある出島と薩摩は、凄く発展しているということぐらいだ。


 内陸は許可を取るのが困難で謎に包まれているし、たとえ出歩けたとしても、パッと見ただけでは理解不能で、摩訶不思議としか言いようがないものばかりだ。

 多分正史の外国人からすれば、日本の有する科学技術は、魔法にしか思えないだろう。




 そしてシーボルトさんだが、国の思惑はどうあれ、真摯な態度で学びに来た姿勢は評価に値する。

 それでも機密情報を垂れ流されては堪らない。


 真偽不明の噂に惑わされず、日本という国を正しく評価できる貴重な人材ではあるらしいが、なかなか扱いに困る人だ。

 しかし今の欧州と自国の物差しとして使えるので、協力してくれれば色々と便利そうではある。


「うーん、私も染まってきたなぁ」


 戦国時代に来たばかりの頃とは違い、今の日本には愛着を感じる。

 言うなれば自分の生きた証そのものであり、自国民の全てが身内のような存在だと言える。


「まあ、私がお腹を痛めて生んだわけじゃないけどね。けどそれでも、古い友人の子孫には違いないんだよ」


 親友と呼べる存在は限られているが、その分長い年月の果てに友人は圧倒的に増えた。たとえそれがなくとも、日本は私の祖国である。

 それに今は、稲荷大社の森の奥のこの家こそが、自分の帰るべき故郷なのだ。


「…あっ、そう言えば。栗羊羹の賞味期限そろそろだっけ」


 珍しく真面目な表情になって気持ちを新たにしたところで小腹が減り、戸棚の奥に仕舞ったお供え物の栗羊羹のことを思い出す。

 縁側から立ち上がった私は、先程まで考えていたことはすっかり忘れて、思考はあっという間に甘味一色に染まるのだった。







 シーボルトさんの件だが、薩摩藩に連絡して外出時は監視役を同行させ、情報に制限をかけることに決定した。

 現代の諸外国は混沌としており、力を持った勢力がどのように動くのか、まるで読めない。


 最悪日本と敵対する可能性もあるため、貿易の物品と同じで、危険な技術の流出は厳しく取り締まる必要がある。




 それとは関係ないが、最近イギリスからのアイラブユーが止まらない。


 お手紙だけでは我慢できなくなったのか、開国してマブダチとなり、私をあっちの王室に呼んで歓迎の宴を開きたいらしい。

 しかしそんな長期間日本を離れられないので、謹んで遠慮させてもらっている。


 だがそれでもなかなかしつこく、言葉遣いは丁寧だが、ヤンデレのようにグイグイ迫られて、ホトホト困ってしまうのだった。




 時は流れて文政十一年、目をつけていたシーボルトさんが、大日本沿海輿地全図の縮図を、国外に持ち出そうとしていた。

 彼は最初からスパイだとわかっているし、事前に相談してくれたので良かったが、何ともチャレンジャーである。

 これが正体を隠したまま流出させたら、投獄されてもおかしくなかったので、スリル満点だなぁ…と思ったのだった。




 そして文政十三年の夏から秋頃にかけて、阿波を中心にお蔭参りが大流行した。…と見せかけて、やはり江戸の稲荷大社が本命であり、参拝客で大賑わいとなった。


 神社、寺院、教会の各関係者は徹夜続きでゲッソリしているが、ブームとは特に前触れもなく突然起こることが多い。

 そしていつの間にか落ち着いているもので、とにかくそれまでは頑張って耐えて欲しい。




 そしてシーボルトさんだが、現地の楠本滝さんと結婚しており、帰国せずに日本の生活を満喫している。

 一応自らが収集した自慢のコレクション各種と書類は、一年ほど前にオランダに送ったので問題はないらしく、私は二人が幸せならそれでいいかと考えた。

 なお監視役の人に聞くと、毎日熱々で報告書も糖分過多で胸焼けしそうなため、色んな意味で大変だと嘆いていたのだった。




 文政十三年五月、ナサニエル・セイヴァリーさんたち二十五人が、小笠原諸島にやって来た。


 と言っても日本の航海技術は発達しているため、そこには日本人が既に暮らしていた。彼らは後から来た形になったのだが、今は離れた場所に掘っ立て小屋を建てて暮らしているとのこと。


 ちなみに島では、トウモロコシやタマネギなど野菜類の栽培や、アヒルやブタなどの家畜を飼育して生計を立てている。

 その際に、彼らは日本の品種改良された農作物や、最新の道具を羨ましがり、売って欲しいと頼み込んできた。


 原則として国外に持ち出すのは駄目だが、貸すだけならと許可を出して、今は共同で使っている。

 この一件で互いの距離が近くなったおかげか、意思疎通は難しいが良好な関係を築けているらしい。




 ちなみに彼らはイギリス領事のチャールストンが、小笠原諸島への入植計画を進めていることを知り、便乗させてもらったらしい。


 この件を知った私は、確認を取るために王室にお手紙を出したのだが、その後返ってきた答えは、これでイギリスもリトルプリンセスちゃんの一部だね。…だった。

 図らずとも私のおみ足をペロリストと同質の存在だったことが判明してしまい、言いようのない恐怖を感じるのだった。







 文政の終わりに京都で大地震があり、年号は天保になった。


 元年に伊勢お陰参りが大流行したが、いい加減慣れてきた。

 なので江戸の稲荷大社に務める神職たちが、皆死んだ魚のような目になるだけで済んだため、これは軽症のはずだ。




 続いて天保二年だが、大坂の安治川の浚渫工事したときに、底からさらった土砂をせっせと積み上げて、標高四メートルほどの天保山を築いた。


 まあそれは割りとどうでも良いのだが、七年になって全国ツアーもとい、天保の大飢饉が発生した。


 なので私は、大雨や冷害で被害を受けた東北地方のお百姓さんたちのために、直接現地に慰問しに行き、そこでお悩みを聞いたり炊き出しをしたりと、マスコットキャラとしての役割を果たした。


 自然災害に襲われても日本は変わらず平和なので、とても良いことだと思う。




 農作物の価格が高くなってもパニックにならないし、不満を訴えて連日抗議したり、飢えた人たちが反乱を起こしたりもしない。


 私がお金を転がしたり非常時の買い占め、ついでに転売ヤー等で儲けるのは駄目。絶対といった意思表示を、舞台挨拶で公言したのが効いているのも知れない。




 何だかんだで、江戸時代もかなりの年数が流れた。それでも稲荷神信仰は変わらず健在であり、魔女裁判や迫害されずに本当に助かっている。


 しかしそろそろ、神皇の地位から追い落とされるか自分で退位するかの、避けられない二択が目前まで迫っている気がする。

 なのでもしその時が来たら潔く身を引いて、日本国民の独り立ちを影から見守るつもりだ。







 天保八年になり、鹿児島湾、浦賀沖に現れたアメリカの商船モリソン号から、マカオで保護された日本人漂流民の計七人が、自国に送り届けられた。


 その船舶には見慣れない国旗がはためていたので、急きょ私あてに黒電話で連絡が入った。

 そして赤い横線と青い四角の中で無数の星とくれば、すぐに何処の国か思い至った。


 私は即座に指示を出して、まだ現在ではそこまで有名でないアメリカの商船に、英語の通訳も可能な外交官を、小型船舶に乗せて派遣した。

 その際に武装の有無や怪しい動きがないか、油断せずに十分に警戒しながら近づくようにと、しっかり釘を差しておいた。




 結果、日本人漂流民の七名は無事に故郷に戻り、商船の船長はうちに通商と布教の許可を求めてきたことがわかった。


 しかし実際にやって来た人の写真を見ても、私の想像した顔とは違ってまるで知らない人だったので、考えておきます…と、玉虫色の返答をして、燃料や食料の補給と、お土産を渡して祖国に帰ってもらった。


 鎖国中は私が平穏に暮らせる保証期間であり、早めに切り上げれば激動の時代に突入してしまう。

 どうせ黒船に乗ってペリーが来れば正史通りに江戸時代は終わるのだから、そのときに明治政府に神皇の権限を譲渡してから、通商でも布教でも後は好きにすればいい。

 なので今はまだ、ゆったりと流れる日々を楽しむのだった。







 天保十年、稲荷神の洗脳(教育)が行き届いているのか、鎖国をしているからこそ外国のゴタゴタに巻き込まれずに、天下泰平の世を謳歌できる。

 そう日本国民は、きちんと理解しているらしい。


 なので酒に酔った勢いがなければ、稲荷神の代理で統治している江戸幕府に、不満をぶつけるはずがなかった。


 ちなみに気まぐれに、私に対する不満に何かないかと尋ねると、そのような事実は一切ございません。…と、十人に聞けば十人全員が即答したので、幸福を義務化するディストピアの匂いがした。


 しかし統治を任せている江戸幕府には大なり小なり不満は出るらしく、高野長英さんと渡辺崋山さんといった有名人が、酔った勢いで日頃の鬱憤を口走っていた。

 彼らは投獄こそされなかったが、留置所に一晩拘束され、臭い飯という名のカツ丼を食わされて、一週間の禁酒を命じられるハメになったのだった。




 天保十三年、水戸に偕楽園という美しい庭ができた。

 私も開園を記念する式典に呼ばれたので、お子様サイズの和風の着物で着飾り、マスコットキャラとしての役割を果たす。


 さらにインタビューを受けたりカメラで写真を取られたりしたが、自分は日本の統治者でこの国の顔なので、それも仕方ないかと割り切っている。


 ここ最近は写真もさらにくっきり映るようになったので、きっと後世まで記録が残ってしまうのだろうな…と、思ったのだった。







 その後は、暦の概念が変わることもなく、他国から日本国民の幸福度をあげるようにと勧告されることもなく、天保は終わり、新年号は弘化となった。




 三年にヨハン・ゴットフリート・ガレが望遠鏡を用いて海王星を発見したらしい。だが、機密情報のため公表していないが、オーストラリアには日本と共同で建設した天文台が既に稼働していて、太陽系には水金地火木土天海に、冥王星といった星々があることを突き止めている。


 そして相変わらずオーストラリアが親日国として、仲が良好で共に発展していけるのは嬉しいことだ。


 しかしせっかく独立しているのだから、日本と一緒に鎖国なんてせずに、もっと外国と交流しても良いはずである。

 とは言え殆ど同盟国のようなもので、知識や技術レベルが近く、公には出来ない代物が多数存在することから、このまま二人三脚でいてくれると助かるのも事実だ。


 もはや原住民と日本人のハーフなど珍しくないほど親日国化が進んだ、甘えっ子のオーストラリアと仲良く交流しつつ、弘化は五年で終りを迎えたのだった。

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― 新着の感想 ―
うーん… これは ブ リ カ ス ム ー ブ
[一言] この世界線だと尚歯会も寛政の三奇人も存在意義がないですね。 高山彦九郎なんかそれでも勤皇を触れ回っているんでしょうか?水戸学派も息してなさそうだけど… そもそも水戸藩なんて存在してないかも。…
[一言] 尊皇・攘夷派が台頭しようがないから、開国の動きは出ないと予測しますが・・・ 薩摩・長洲が原因の陸海軍不和が、お稲荷さま送迎で代用されたからなぁ。「お稲荷さまフィギュアを全世界に広めるため」…
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