生きている化石
明暦は四年で終わり、次の年号は万治となった。その三年目にも、万治の大火と呼ばれる大火事が名古屋で起きた。
しかし消防署と警察署を全国に設置したおかげで、避難誘導と消火活動は比較的スムーズに行えた。
それを聞いた私は、確実に現代に近づいていると実感した。
だがしかし、未来には士農工商は撤廃されて平等になっているし、それ以前にロリペタ狐っ娘が日本のトップのはずがないし、技術レベルも色々とおかしいが快適な暮らしと民衆たちが平和を謳歌しているのだから、不満がなければそれで良いかと、前向きに考える。
余談だが、何故私が教科書から消えた身分制度を知っているかと言うと、授業中に教師から雑学として教えられたからである。丸暗記は苦手でも興味のある話ならば割りとすんなり頭の中に入ってくるのだ。
たとえ間違って覚えた知識で、へんてこな方向に舵を取ることになっても、まあ稲荷様のやることだから。…と、民衆は耐性がついており、特に反対意見が出ることもなく、受け入れてしまうのだった。
万治は四年で終わり、年号が寛文に変わる。二年目に京都の辺りで大きな地震が起きたが、日本なので仕方ないと諦める。
私にできることは補助金を出して被害者を救済したり、耐震と耐火性能の高い住宅を建てやすいように、法整備を進めさせることぐらいだ。
続けて寛文三年に、北海道の有珠山が噴火した。
噴火時の対応は既にマニュアル化しているので、被災地に支援物資と自衛隊を送り、あとは現場が上手くやってくれることを願うだけだ。
不謹慎だが、死傷者が一桁で済んだのが幸いであった。
寛文五年、相変わらず平和を満喫している日本だが、海の向こうはそんなことはなかった。
何やらヨーロッパの情勢が複雑怪奇に絡まり合って、大きな戦争が起こったらしい。
この辺りの情報を幕府の役人に詳しく聞いたが、私の頭では理解しきれなかった。なのでとにかくイギリスとオランダには極力干渉せずに、あくまでも世界的には中立を貫くようにと、お願いしておいた。
寛文は十三年で終わり、延宝が始まった。今回はこれといったトラブルはなく、無事に九年で終えることができた。
だがそれでも比較的小規模な事件は起きたらしく、東大寺の二月堂が修二会という火を使う儀式に失敗して燃えてしまった。
他には相変わらず大地震に悩まされたりと色々あったものの、日本としては平常運転なほうだ。
ちなみに年号が天和になってからも、江戸で大火事が起こった、しかし既に経験したため、消防職員は待ってたぜぇ…この瞬間をよぉ…とばかりに意気揚々と現場に乗り込み、火災による被害は最小限に抑えられたのだった。
それとは別に暦なのだが、江戸幕府が始まった頃から三百六十五日であり、一日は二十四時間、一時間は六十分等だ。これは稲荷様が教えた西洋式を、日本全国で導入している。
貞享が始まり、カレンダーだけでなくゼンマイ式の置き時計が殆どの家庭に行き渡ったので、十時や三時のおやつが食べやすくなったはずだと、私は満足気に頷くのだった。
元禄元年の一月、井原西鶴さんが日本永代蔵を刊行した。まあ何と言うか、現代で言う絵師さんとか、そんな感じである。
モザイク等の規制を一切していないR18方面も得意なようで、町人からの人気も高い。
本来の歴史ではどのような絵が描かれていたかは知らないが、現代の青年漫画のような構図で描かれていた。
そして肌色面積が多く萌え絵でデフォルメされた私が、竿役の男とくんずほぐれつしてる書籍が一番人気とのこと。
あとは狐っ娘の相手役が女性の百合ものも、大勢のファンがついているらしい。
ロリコンの多い日本に背筋が寒くなるが、獣や神様とエッチするのは昔から良くあることらしく、根っこの部分からこれじゃ、私を信仰するのも致し方なしかも…と、がっくりと肩を落とすのだった。
ちなみに春画は記念として受け取っておいたが、厳重に封をして保管している。これを現実に使用する予定はない。
だが、恥ずかしいので自分を題材にした書籍を禁止します、と口にする気はなかった。
自由は尊重して然るべきだし、現実と妄想の区別さえつけてくれるなら、娯楽の妨げになるような変な縛りはいれたくない。
二次や三次創作の扱いは難しいが、最高統治者の口から、余程のことがない限りは規制するつもりはないと、はっきり公言した。
余談だが、現実のR18方面も無理強いはNGで、他人の目がある場所では基本的に秘所を隠して、胸の露出までならOKという、正史は知らないが、未来の日本からすれば緩い規制である。
そもそも男女が交わって赤ん坊が生まれるのは神聖な行為であるはずなのに、子供の頃から性教育を疎かにして、大人になったらいきなり本番を強要するのは無謀にも程があると考えたのだった。
…とこのように、江戸の稲荷大社には、江戸幕府を開いてから私を題材にしたR18本のような、そんなよくわからないお供え物が全国から送られてくるのだ。
なので、こじんまりとした木造住宅だけでは、当然置き場に困ってしまう。
そこで、長期保存に適した建造物を参考にして、聖域の森に正倉院と瓜二つの建造物が建てられることになった。
だが稲荷様お墨付きの安心安全の保管庫の噂が広まり、日本だけでなく世界中から貴重品を預けたり、奉納されたりするため、一つだけでは足りずに、正倉院は順次増設されることになった。
管理を任された役人も、物品が多すぎて全てを把握するのは難しいという有様だ。
それでも広大な森の奥には、歴史的な価値の高い貴重品が、大量に保管されているのは間違いない。
なお、京都や奈良の公家や本家の宝物庫からも、盗難防止の観点から、狼に守られて人が近寄られない管理体制が信頼されたのか、大量の物品が送られてきた。
おかげで一年に一度の開封の儀のたびに、考古学的な価値が計り知れない代物が多数出てくるので、学者たちは大喜びするのだった。
元禄三年になり、オランダから記者のケンペルという人が日本にやって来て、江戸幕府に謁見の許可を求めた。
その際に私とも会いたいと強く希望し、記事を書かれるのが嫌なら断ろうか? …と、徳川綱吉さんが気を遣ってくれた。
ちなみにその時は、ちょうど縁側に座って小さな足をプラプラさせながら、黒糖ういろうをモグモグしていた。
でもまあ、今日は天気が良いので受けてみようかなー…と、その場の乗りで謁見することに決めたのだった。
「はじめまして、日本のリトルプリンセス」
「こちらこそはじめまして、ケンペルさん」
稲荷大社の本宮の謁見の間、その一段高い畳の上からケンペルさんを観察する。
廻国奇観という書籍を書くために、各国を巡って取材をしているらしいが、鎖国中のこの国の情報は殆ど出島のみだ。
正式な許可を取らない限り、外に出ることすら許されない。
なので江戸まで異人がやって来て私に謁見するのは、物凄く珍しいことだ。
「ケンペルさんは、帰国後に本を書く予定だとか」
「はい、想像で書く事は一つもなく。新事実や今まで不明だった事のみを記載するつもりです」
何とも情熱に溢れた人だ。実際に日本のことが何ページ書かれるのかはわからないが、やる気は伝わってくる。
「私のことも記載するのですか?」
「もちろん! 日本のリトルプリンセスはオランダのみならず、他国での人気もとても高いのです!」
「そっ…そうですか」
私の質問に答えるケンペルさんは、突然早口になって興奮気味にまくし立てるので、こちらの顔が若干引きつる。
だが確かに江戸に来るだけでも大変なのに、征夷大将軍の許可をとって、私に謁見となれば、難易度は格段に跳ね上がる。
今こうして話しているのは、まさに奇跡のようなものなのだ。
「リトルプリンセスは、まさに生きている化石であると!」
「…生きている化石」
「この世に神など存在しな…いえ! 地上を去ったものと考えられているのです!」
「…でしょうね」
狐っ娘の中身は未来の元女子高生なので、本物の神様ではなく、同じような存在にも会ったことがない。
ケンペルさんの言うように元々存在しなかったか、地上を去ったと考えるのが妥当だろう。
その後ケンペルさんは私のことを根掘り葉掘り聞きたがったが、あまり深く突っ込まれると誤魔化すのが大変なので、少々困ってしまった。
だがその辺りは狂信者…ではなく、頼りになる親衛隊がストップをかけて、程々のところでお開きにしてくれた。
しかし相変わらず海外で大人気とは意外に思う。
普通はいつまでも新しい情報や品物が入ってこなければ、ブームは下火になるものだ。
もしかして、日本だけじゃなくて世界にもロリコンが多いのかな…と、私は謁見を終えて静かに思案しながら一息つき、深呼吸をして控えめな胸をグイーッとそらすのだった。
元禄になっても国内では事件が絶え間なく起こるが、大勢の人が暮らしている以上、諍いは仕方のないことだ。
しかし自衛隊では礼儀作法から箸の上げ下ろしまで、徹底的に教育させているため、少なくとも藩が確保した文官よりかは、沸点は高くなっている。
なお自衛隊設立初日に、私が西洋風の軍服を着て、一日教官として厳しく指導したことが余程好評だったのか、いつの間にやら毎年恒例行事となっていた。
他にも消防士、警察官、接客、手工業やら、何かと色々一日体験コースを頼まれるのだが、地震や雷や火事が起ころうと、日本は平和が揺らがない証拠なのだと、前向きに考えるのだった。




