大国の衰退
大飢饉が過ぎ去り、ようやく落ち着いて寛永二十一年。
途中で何度も故障したり破損したり、予期せぬ不具合に悩まされながらも、馬の速度よりも早く、石炭を焚べれば殆ど休みなく走り続けられる蒸気機関車は、飢饉の際に大活躍だった。
そのため、海峡を越えて線路で本州と繋げるべく、四国と九州、江戸幕府の役人、そして多くの技術者が集まり、日夜熱い議論を交わすようになった。
ちなみに既に橋をかける場所は私が決めていて、先々を見据え、四国と九州では鉄道網の工事が始まっている。
それ以外には瀬戸大橋も着工したいところだが、海底の地盤を固めることに苦労しているらしく、私は専門家ではないので現場の判断にお任せ状態だ。
だがまあともかく今は蒸気機関車を増産して、災害時の緊急貨物列車だけでなく、上流階級以外の一般庶民も気軽に乗り降りできるようにしたいものだ。
寛永二十一年が過ぎて、年号は正保に変わった。
のんびりペースで稲荷大社の深い堀の外をジョギングしていると、やはり天下泰平の時代は、ゆったりと時間が流れて良いものだと実感する。
江戸時代は三百年ほど続くので、当分は気楽に過ごせる。しかし飢饉や地震や噴火、台風や火事などといった災害が多いので、その点では油断はできないのだった。
正保三年、鄭成功という人が、日本に援助を求めてきた。
これまで中華全土を治めていた明が、新しく出来た国に滅ぼされそうなので、抗戦するための兵を送って欲しいとのこと。
重大な国際問題は徳川幕府ではなく、日本の統治者である稲荷神を通すのが筋なので、当然私に話を持ってこられた。
本来なら政治や経済にド素人な元女子高生には向いてない仕事だが、そうも言っていられない。
何しろ今の日本は、世界の火薬庫になりうるポテンシャルを秘めているのだ。
内部の争いなら、きのこたけのこ戦争程度の被害で済む問題も、その矛先が海外に向けば本気でシャレにならない事態になりかねない。
それに私の唯一のアドバンテージである、朧げな歴史知識の出番である。大雑把でも未来と各国の情勢を知っているのは非常に有利だ。
たとえ判断基準に全く根拠はないこじつけだとしても、危ない橋は未然に回避することができるのである。
…とまあ、このようなことを繰り返しているので、リトルプリンセス=日本のトップという地盤が盤石になってしまったのは、大いに後悔している。
おかげでますます神皇の椅子から降りられなくなった。…と、本宮の謁見の間で大きく溜息を吐くのだった。
「…私としては、明の内情に関わる気はありません」
徳川家光さんと幕府の老中が集まり、いつものように私が一段高い位置に座り、堂々と自分の意見を述べる。
今のところは私の判断に真っ向から反対されたことはないが、知らずに圧政を敷いて不満を溜め込ませている可能性もゼロではない。
下剋上か火あぶりの刑にならないよう、気をつけないといけないだろう。
とは言え、顔見知りを集めての秘密の相談なら、お茶とお菓子を用意して本音トークをぶちまけるだけなので、誰もが気楽に喋れてストレス要因にはならないはずだ。
「あの国は多民族国家であり、時代の流れで統治者が変わるのはいつものことです。
他国から侵略戦争を仕掛けられたならまだしも、内乱ぐらい自国で解決して欲しいものです」
いちご大福を小さな口にせっせと詰め込み、その後に熱い緑茶で強引に流し込む。
大陸とは極力関わり合いになりたくはないどころか、できることなら日本はずっと鎖国していたいものだ。
「何より下手に関わると、大陸の争いがうちにも飛び火しますので、極力関わりたくありません」
だがいくら強固に鎖国を行っていようと、いつかは黒船がやってきて開国しなければいけない。
しかし三百年ぐらいなら、のんびり平和を謳歌しても良いはずだ。
「流石は日本の内乱を鎮めて天下泰平に導いた稲荷様は、言うことが違う!」
「それ、褒めているのですか?」
「はい、真面目に褒めたつもりですが?」
私としては徳川家光さんなりの冗談かと思ったが、統治者として褒めてくれたらしい。
そう言えば戦国時代も内乱が激化したものなので、あまり明のことを悪くは言えないかもと、少しだけ反省する。
だがうちは無事に解決して天下泰平を謳歌しているのだから、今後は余計ないざこざは避けるに越したことはない。
「ともかく、派兵も受け入れも認めません。鎖国中に大陸の火種を抱え込みたくないです。
逃亡の手助けなら、台湾辺りにこっそり送るのが良いでしょう」
重要人物を抱え込まなければ、こっちは知らぬ存ぜぬで押し通せるし、いざとなれば探し人はあっちに逃げたと告発すればいいのだ。
正直自国のゴタゴタで他国に助けを求めるのはちょっとどうかと思うし、彼の国が面倒見の良い先輩だったのも、今は昔である。
「あとは統治者が変わっても貿易は続けますので、日本は中立を保ってください」
「わかりました。では、そのように取り計らいましょう」
お願いしますね…と告げて、緑茶で乾いた喉を潤している間に会議が終わり、私は立ち上がって本宮の謁見の間から退室する。
しかし本当に日本が海に囲まれていて良かった。これが陸続きだったら、常に戦乱が飛び火してきて、天下泰平など夢のまた夢だろう。
そしてできれば、眠れる獅子はずっと眠っていて欲しいと、心の底からそう思ったのだった。
正保は五年で終わり、年号は慶安になった。
この所短かったり長かったり、縁起の良し悪しを担いだりと、現代の女子高生だった私には、その辺りの機微が正直よくわからなかった。
そんな慶安も五年で終わったが、日本の情勢は幕府の尽力もあり、とても安定していて、わざわざ農民統制策を出す必要はないぐらいだ。
しかし一年前に、徳川家光さんが重病を理由に退位し、後を十一歳の徳川家綱さんが継いだのだが、年が若すぎるので少しだけ心配だった。
そして何となくだが、そろそろ倒幕を企てている人が出そうな気がするのだ。
今の武士階級は、藩が自由に動かせる手駒は僅かで、残りは私と江戸幕府の管轄である。その者たちは全国に散らばる駐屯地で、日夜厳しい訓練を行っている。
給料は毎年予算を組んで、国防費として支払っているのだ。
思えば日本を統一した直後は何かと改革を迫られ、てんやわんやだった。
最初は徳川家康さんに任せるつもりだったが、彼が多くの私兵を持てば反発は必至である。
なので情勢が落ち着くまでは稲荷神の名前を貸して、日本を守る自衛隊に名称も変更した。
そのまま特に変更もなくズルズルここまで来てしまったが、そろそろ幕府直轄に移行して身軽になっても良い頃だ、
だが軍部や幕府、さらに多くの民衆から強い要望もあり、結局稲荷神の自衛隊扱いのままであった。
彼らは寛永の大飢饉や、その他の災害派遣で大活躍しており、地域住民からも大いに感謝されていた。
なので隊員は、自らの仕事にやりがいを感じており、今の所は不満に思ってはいないようだ。
幕府の役人の話では、由井正雪さんという人が特に優秀らしく、自衛隊の幕僚長になるのも、そう遠くはないとのこと。
しかし本人は無給でも良いので、稲荷大明神の親衛隊への配属を強く希望しているので、これが武士道か…と、私は人知れず驚愕した。
この件が明るみに出たことにより、今自分を護衛している精鋭たちは、選ばれし一握りの変態なのだと知ってしまい、私は大いに頭を抱えることになった。
ロリペタ狐っ娘のおみ足にキスしたがるのも納得の、忠義っぷりであった。
慶安五年から年号は承応に変わり、徳川家綱さんが征夷大将軍になっても特に混乱は起きずに、相変わらず天下泰平で大変めでたいことだ。
なお、あまりにも平和過ぎるため、俺の居場所はここじゃないと自分探しの旅に出て、浪人になることを選んだ人もそれなりに居る。
しかし仕事を選ばなければ雇用先には困らないし、今は農民になっても衣食住がしっかり保証された、最低限の暮らしができる。
続いて承応三年の春のことだが、私は上水の桜を見物に行った。
その際に玉川上水の工事を行ったというおじいさんから、当時の様子を詳しく聞かせてもらった。
何でも標高が百メートルしか差がない多摩川から、武蔵野台地を東流させて、四谷大木戸まで水路を通したと言うではないか。
実際に四十三キロもの長さを掘り進めるなど、無謀もいいところだ。
固い岩盤や関東ローム層があるのに、もし全てを人力で掘ろうとしたら、一体どれだけの時間と資金が必要になるやらで、正直想像がつかなかった。
しかし現代は蒸気機関や工具も発達し、各種人材も豊富でローマ式コンクリートも使えるので然程苦労はないが、これは正史だと大変だったんだろうなぁ…と想像する。
そんな私はお尻の下にレジャーシートを敷いて、綺麗に咲き誇る桜を見ながら、三色団子を小さな口でモキュモキュと咀嚼し、美味しくいただくのだった。




