本多さんとの遭遇
私に家族が出来てから一ヶ月が過ぎた。その間にわかったことは、実はワンコは犬ではなく狼だったらしい。しかし自分にとっては可愛いワンコなので、正直どっちでも良かった。
だが犬っぽい行動が目立ち、すぐに懐いてくれたことから、そっちの血が多少混じっているのかも知れない。
それに自分と出会ったときに弱っていたので、実力社会で負けたのはその影響もあったかもと、獣医ではないので想像しかできないが、何となくそう思ったのだった。
ちなみに良いこともあり、狼の縄張りが麓の村にまで広がったことで、獣による被害が殆どなくなった。
このこともあって、村の人たちはより一層お稲荷様を崇めるようになった。
そしていつの間にか群れの数が増えたようで、私の周囲に居るのは大体五匹程度なのだが、時々入れ代わっているようで、昨日居たワンコじゃない…と、何となくわかるのだ。
実際にどれだけの規模になっているのかは不明だが、実害がなくて素直に言うことを聞いてくれるのなら問題はないので、気にしないことにした。
狼たちも猟師と協力して獲物を追い立てたり、獣害を防いだりと、仕事の見返りに食べ物を分けてもらっているので、協力関係が築けて何よりである。
それに稲荷様の使いは賢いと評判で、村に下りても駆除されることなく住人に可愛がられ、この時代のペットとしては、かなり良い待遇だと感じた。
そして私はと言うと、今は参道から外れた急斜面を下ったところにある露天風呂に、ゆったりと浸かって間延びした声を漏らしながら、存分にくつろいでいた。
「ああー、やっぱり温泉はいいよ」
これに関しては、犬の鼻は様々な匂いを嗅ぎ分けるとテレビでやっていたことを思い出し、もしかしたら源泉もいけるのでは? …と、駄目元でペットの狼にお願いして探させた結果である。
とは言え意思の疎通は困難で何となくしかわからない。それでも諦めずに、何度もチャレンジした結果、一ヶ月ほどかかったが、ようやく掘り当てることに成功したのだ。
お山があちこち穴ボコだらけになったが、あとでちゃんと埋め戻したので問題はない。
「もしかして小狐の恩返しかな?」
家族や友人の顔も名前も思い出せなくなり、戦国時代に飛ばされたのはほとほと困ったが、今では多くのワンコが居るし、毎日タダで飲み食いができて温泉に入れるのならば、辛い現実も多少は和らぐ。
これは自分が庇った小狐からの、せめてもの恩返しなのかも知れない。実際猛スピードで突っ込んでくる自動車に轢かれて、命があったとは思えない。
「死の間際に、私を助けてくれたのかな」
この時代に導いた者の思惑はどうあれ、何も言われなければ私は自分の意志に従って行動するまでだ。
ちなみに源泉を掘り出したのも、見栄えの良い岩を集めて露天風呂を作ったのも、全て人力での土木作業である。
身体能力に物を言わせたゴリ押しとも言うが、多少喉が乾いたり腹は減ったりはしたが、数日補給や休みなしに働いても、全く傷つかずに疲れる気配のないこの体には、とても助けられている。
「まだ足りない部分はあるけど、こうして思う存分浸かれるようになって良かったよ」
「……わふー」
この時代の家族であるワンコたちと一緒に、温泉をまったり楽しみながら、大きく息を吐く。
ここは山の中腹にある社からは近いが、参道から外れた急斜面の途中にある、小さな盆地であり、普通の人間が足を運ぶのは少し厳しい。
狐っ娘の身体能力ならばチョチョイのチョイだが、村人は途中で足を滑らせて、谷底まで一直線に転がり落ちてしまう可能性が高い。
なので今は木材で階段を作り、参拝者が気軽に足を運べるようにと、整えている最中である。
自分も冬の雪が積もった急斜面を、温泉まで一直線に駆け下りるなんてことはしたくない。
やはり安全性が第一であり、社に向かう山道も徐々にだが整備が進められており、稲の収穫が終わり次第、温泉の改装と並行して本格的に工事が始まる予定らしい。
「世はまさに、お稲荷様時代なり」
三河のとある村社会限定だが、今は沸きに沸いているのは間違いない。
水面に映る自分の顔をぼんやりと眺めると、黒い瞳に狐色の髪と耳、尻尾も先端の白以外は同色だった。
アソコの毛はまだ生えていなかったので、この先どうなるかはわからないが、多分一緒だろう。
女子高生をやっていた頃の容姿は全く思い出せない。だが、今の狐っ娘の目鼻立ちはやたらと整っているのは嬉しい。
代わりに胸も尻も身長も現代人から見れば十歳にも満たない完璧な幼女になっていた。
「うーん、やっぱり小さい」
身体スペックがずば抜けているので不自由はないが、普通の人間だったら歩幅の狭さと視点の低さで、山中を歩くのも一苦労だ。
とにかく一風呂浴びたのでそろそろ出ようかと、私はよっこいしょと立ち上がり、お気に入りの手拭いで体を軽く拭いて、石畳に足をかけようとしたところで、ピタリと動きを止める。
「そこに居るのは誰ですか?」
狐耳の聴覚は伊達ではないが、温泉に浸かって気が緩みきっていたし、外を見張らせていた狼に誰か来たよと伝えられても、全く気に留めなかったのは痛恨のミスである。
まだ仕切り板も脱衣所もないので外から丸見えだが、急な傾斜では人が隠れられる茂みにも限度があるし、気を張り直した私にはお見通しだ。
「出てこないのならば、こちらにも考えがあります」
そう言って手拭いで控えめな胸元を隠して、右手から威嚇のための狐火を出す。
すると前方の茂みが突然大きく揺れて、そこから勢い良く飛び出した男性が慌てふためきながら、手に持った長槍を地面に置いて、転がるようにして頭を擦りつける。
俗に言う土下座である。
「稲荷様! 申し訳ない! 拙者は覗くつもりは毛頭ござらぬ!
武者修行の途中に村の噂を聞き、興味本位で立ち寄りましたのだ!
山の中腹には貴女様の住む社があり、稲荷様の隠し湯と呼ばれる温泉まで湧いていると聞き! 居ても立っても居られず!」
頭を下げながら、マシンガントークのように次から次へと言い訳を行う目の前の青年、もしくは少年に、稲荷様っぽく振る舞っていた私は、これからどうしたものかと思い悩む。
しかしいつまでも黙っているわけにもいかないので、狐火を消して石畳の上に足を乗せると、近くの木の枝にかけていた紅白巫女服を取りに歩いて行く。
「決して覗かないでください」
「承知した! この本多忠勝! 男に二言はござらぬ!」
本多さんが背後を向いたことを確認して、私はほんの少しある胸が崩れないように、丁寧にさらしを巻いて、フンドシで大事な部分を隠す。
下着は肌触り重視で着慣れた物が一番だが、足袋や下駄、巫女服にも大分慣れてきた。特にこの初期装備はどれだけ洗っても色落ちしないし、汚れや傷に異常なほど強いどころか、私の体と同じようにまるで変化しないのだ。
毎日着たり洗濯しても色落ちやほつれ一つないのはどう考えても普通ではないが、戦国時代の肌触りの悪い服を好き好んで着たいとは思わないので、選択の余地なしで紅白巫女服以外は着るつもりはない。
「着替え終わりましたから、こちらを見ても構いませんよ」
「では失礼して、……おおっ! そのお姿は! まるで天女もかくや!」
この時代の人の美的感覚は現代とは違うと思ったのだが、私の気の所為なのだろうか。それとも今の自分の容姿がこっちに合っているのか。
その辺りは良くわからないが、まあ別にどうでもいいか…と、私は持ってきた手桶に、手拭いやお風呂セットを順番に入れていく。
「私は先にあがりますから、本多さんはごゆっくりどうぞ。
まだ山道が整っていないので、帰り道には十分に気をつけてくださいね」
「稲荷様に心配していただき! 恐悦至極でございまする!」
いちいちオーバーなリアクションを取る人だなー…とぼんやり考えつつ、危険な足場のみを優先して木の階段を組まれた山道を、体を振って水を飛ばした狼たちと一緒に、軽快な足取りで登っていく。
「それにしても本多忠勝って、何処かで聞いたことがあるような。……ないような」
基本的には私が知っている歴史は教科書知識だが、成績が悪かったので穴だらけだ。だがそもそも個人名を知る者は限られているので、ゲームや漫画等の二次元コンテンツで覚えたのかも知れない。
しかし結局、社務所に帰っても思い出せなかったので、こちらから関わるつもりもないし別にいいかと、今日出会った本多忠勝のことは考えないことに決めたのだった。