五十六話 退位に向けて(2) 飴と鞭
昭和十八年になり、日本は戦勝国の利権を全て放棄した。
そしてソビエト連邦はロシアに代わり、共産主義に染まっていた国々は連合国が統治して、資本主義へと塗り替えられることが稲荷講和会議で決定したのだった。
しかし残念ながら、敗戦国が日本を見る目は厳しかった。
何故なら利権を放棄したとはいえ、第二次大戦で散々暴れ回ったからだ。
殺さなければ殺されるのが戦争の定めとはいえ、私のように理性より感情を優先して行動する人も多い。
なので、文句を言う国が出てくるのは仕方がないのだった。
新聞やテレビのニュースでも、他国のヘイトスピーチが目立ち始めた今日この頃である。
しかし春の暖かな日差しは心地良く、私はそんなの関係ないとばかりに、縁側でのんびりくつろいでいた。
ふと時計を見るともうすぐ十時になることに気づいたので、立ち上がって居間に向かう。
そして戸棚から小皿に乗せた桜餅を取り出し、再び縁側に戻って腰を下ろした。
楽しそうに庭を駆け回る狼たちを眺めながら、竹串で丁寧に切り分けていく。
「うーん、甘い」
竹串に刺していただくと、塩と餡この混ざり合う絶妙な甘さが口の中に広がる。
私は基本的には美味ければ何でも良いので、こし餡も粒餡もどちらもいける。
そのまましばらく、桜餅で春を感じながらポカポカ陽気を全身に浴びて、狼たちと一緒にのんびり過ごしていた。
ちなみに私へのお供え物は稲荷大社が厳重に審査しているが、今回の桜餅のように運良く届いた品々は、各店が稲荷神様に献上しましたと大々的に宣伝している。
何だかんだで正史のやんごとなき御方よりも、ネームバリューがとんでもなくなっているが、聖域の森の奥で半ば隠居している私にとっては、さほど気にすることもなかった。
ただもし叶うならば、このような平穏な暮らしがずっと続けば良いと思った。
その時、無駄に優れた狐耳が我が家に近づく足音を捉えたので、残念ながら日向ぼっこは終了のようだと、静かに溜息を吐くのだった。
ちなみに、聖域の森に訪れる人物は、主に二種類にわけられる。
毎日朝と夕方に新聞や牛乳、他に多数のお供え物などを届けてくれる近衛とお世話係と、面倒事や相談を持ってくる来客である。
ついでに近衛とお世話係が訪れる時間はほぼ決まっているので、今回は後者であると予想できた。
江戸時代には親しい友人や隠居した征夷大将軍が、茶飲み話によく訪れたりもしたが、今の政府機関は入れ替わりがとても激しい。
なので殆どの重鎮とは、せいぜい顔見知り程度の間柄にしかなっていないが、自分は一人で過ごすことに全く抵抗はなかった。
それにあまり人間社会に関わると、人知れずに退位するという望みが叶わなくなるので、今の状況は好都合だと受け入れているのだった。
そんな私の大望はともかくとして、最近は何かと縁のある幣原外務大臣が我が家に訪れた。
私は取りあえず玄関の引き戸を開けて出迎えた後に、短い廊下を歩いて居間へと通す。
一応は客人なので、午後に食べようと思っていた桜餅を戸棚から出して、ほうじ茶を沸かして、ちゃぶ台の上に置いていく。
「これはこれは、ご丁寧に」
「いえいえ、お気になさらず」
良くある形式的な挨拶をして、私も自分の分のほうじ茶を入れ、愛用の座布団の上に腰を下ろす。
そしてまどろっこしい前口上は要らないので、いつも通り単刀直入に、我が家に来た理由を尋ねた。
彼もそれがわかっているのか、すぐに答えてくれた。
「実はここ最近、敗戦国からの日本への風当たりが厳しくなり、困っているのです」
「ふむ、と言いますと?」
それだけでは、何のことかわからなかった。
そこで私はほうじ茶をすすりながら、もう少し詳しく尋ねる。
「日本は利権を放棄して、敗戦国に一切の要求しなかった。
その行いは、国際社会で高く評価されています」
幣原さんはそこで一旦言葉を止めて、小さく溜息を吐く。
「しかし、日本が多くの人々を殺したのも、また事実なのです」
降りかかる火の粉は払わねばならない。でなければ最悪日本に燃え移って、本土が焼け野原になるかも知れなかった。
それに、向こうが殺す気で来るのだ。
こちらもやり返さなければ、大人しく殺されるだけになってしまう。
そこで幣原さんが言うには、人は理性を持っているが、基本的には感情で動く生き物らしい。
戦争が終結して双方剣を収めたからと言って、すぐ仲直りとはいかない。
禍根というのは子々孫々、下手をしたら後の世まで残るものなのだ。
「日本は多くの人命を奪ったので、敗戦国に賠償金を支払い、遺族の前で直接謝罪するべきである!」
開いた口が塞がらないとは、このことだろう。
突然意味不明なことを口走った彼に対して、私は咄嗟に反論しようとしたが、バツの悪そうな顔をした幣原さんが、それよりも先に続きを口にした。
「言っておきますが、これは私の発言ではなく、敗戦国の主張でございます」
「ええ、まあ……そうでしょうね」
もし日本の役人が口にしたら、炎上待ったなしだ。
しかし未来ではそういうこともあるかなと思えてしまうのが、何とも世知辛かった。
とにかく政府は対応に頭を抱えているのだと、幣原さんが説明してくれて合点がいった。
「つまり私に、事態の解決策を尋ねに来たと?」
「はい、その通りでございます」
しかしそうは言ったものの、他国からのやっかみを何とかする案があれば、私のほうが聞きたいぐらいだ。
ぶっちゃけこの問題は、どれだけ時間が経っても全く解決する気配が見えない。
二千年代の日本でも同じ状態になっているので、自分にどうこうできるはずがなかった。
なので私は、恥じることなく堂々と発言させてもらう。
「国や民族が異なる人と人が仲良くするのは、とても難しいですし。
負の感情を正の感情で打ち消すのも、大変困難でしょう」
百の善意が一の悪意に塗り潰されるように、博愛や献身は、怒りや憎しみに簡単に染まってしまう。
だからいつまで経っても戦争がなくならないのだろうが、その辺りを考え出すと頭がこんがらがってくる。
取りあえずは一旦置いておき、私は小さく溜息を吐きながら幣原さんに続きを話した。
「万事が丸く収まる解決策など、存在しません。
ですが、負の感情を抑圧することならば可能です」
ここでほうじ茶を飲み、一息つく。
足りない頭を捻って色々考えたので、知恵熱が出そうであった。
「稲荷神様、それはどのようなことでしょうか?」
そこで幣原が、身を乗り出して尋ねてきた。
私は彼を真っ直ぐに見つめて、答えを口に出す。
「怒りや憎しみよりも強い力。つまりは、軍事力で屈服させるのです」
二千年代ならば、アメリカの所有する核兵器がそれに該当する。
圧倒的な力を見せつけて他国の不平不満を強引に抑えることで、米国は世界の警察官になって、国際平和を維持しているのだ。
なお、日本とオーストラリアは他国の研究者を引き抜いて、密かに核兵器を共同開発しているが、今の所は表に出す気はない。
なのでこの手は使えないし、うちは国際社会でリーダーシップを取りたくなかった。
永遠の二番手で目立たず程々に活躍し、何だかんだで美味しいところだけいただく。
それが日本人らしさというものだろう。
だがそこで彼から、鋭い指摘が入った。
「日本が国際社会でも上位の戦力を保有しているのは、既に明らかになっています。
しかし戦勝国の権利を放棄したことが、弱腰と見られているようです」
連合国には高評価で、敗戦国からの受けも悪くはなかった。
しかし鞭を振るわず、寛大な姿勢を見せたことで、日本は何を言っても怒らないと勘違いした、
極一部だが、舐め腐った態度を取る国が出てきてしまったのだ。
ちなみに自衛隊は、第二次大戦中も専守防衛に努めていたため、圧倒的な力を見せつけていたのは欧州方面での話だ。
隣の大陸に関しては、領海侵犯されれば即反撃を行ったものの、基本的にはそれだけであった。
国際社会は、話せばわかる国ばかりではない。
時には武力を持って押さえつける必要もあるのだが、できればそんなことはしたくない。
私は本当に面倒なことになったと、心の中で大きな溜息を吐くのだった。




