四十五話 外国への見せ札(4) ダンス
いくら慣れているとはいえ、こうもシャッター音が立て続けに響いていては、のんびり飲食もできない。
自分は色気より食い気だ。美味しい物を食べてる時ぐらいは、邪魔をされずに堪能したい。
なので例えば、壁際から離れて料理の置かれたテーブルに移動したとする。
するとこれ幸いと考えた他国の外交官が、囲みを破って接触しようとするに決まっている。
今は近衛とお世話係が円陣を組んでいるので、遠巻きに眺めるだけで近寄って来ないが、食事中はどうしても隙ができるのだ。
飲み食いしている時に話しかけるのはマナー違反とは聞くが、現実にそこしかチャンスがなければ、きっと形振り構わずに突撃してくるだろう。
(かといって、壁沿いでちびちびお酒飲んでるだけなのもなぁ)
中身が残念な狐っ娘が微笑みを浮かべ、グラスに注がれた梅酒を口にしている。
外から見ている側には、まるで絵画のように思えてしまうだろうが、本人はそんなの知ったこっちゃなかった。
(やっぱり色んな種類の料理があるなら、自分の目で見て選びたいよ)
頭の中は食欲に染まりきっているので、他人からのどう見られているのかは薄々気づいてはいても、今は別にどうでも良いのだ。
包囲網が解ければすぐに食事を取りに行くのだが、今の所はそんな気配はまったくない。
これは式典が終わるまで待って、余り物をタッパーに入れて持ち帰って、自宅でゆっくり食べるパターンかも知れない。
冷めても美味しいだろうが、やはり出来たてが一番だが、結局身動きが取れないので、状況が変わるまでは壁の花になるしかないのだった。
私的には八方塞がりのような状況に頭を抱えていると、何やら舞踏会場が騒がしくなり、外から大勢の楽団が入場しててきた。
そして彼らは関係者と一緒に自分とは別の壁際の場所を確保した後に、何やら忙しく準備を始める。
私はと言うと、他にすることがないし何をするのか興味があったので、遠くから様子を窺っていた。
やがて準備が整ったようで、各々が配置について、楽器の演奏が始まった。
それだけではなく、日本側があらかじめ用意して会場に紛れ込ませていた芸妓さんや、高等女学校の生徒が中央に進み出て、男性のパートナーと手を繋いで華麗な踊りを披露し始めた。
会場に集っている他国の外交官は、楽団と踊り子に注目して、思わず感嘆の声を漏らしていた。
「素晴らしい演奏です。それに洋服を着こなしており、ダンスも洗練されていますね」
「日本は芸能の神が住まわれる国でございます。恥ずかしい姿は見せられません」
お世話係が私を真っ直ぐに見つめて、はっきり言い切った。
もしかしなくても、私のことを言っているのは明らかだ。
確かに芸能関係でも色々とやらかしている。この場で言えば、未来の踊りや音楽を教えたという所だろうか。
なので渋々認めるしかなく、そうですね……と、一言だけ返して自ら敗北宣言を行った。
だが何はともあれ、本日諸外国から訪れた来賓の方々に、馬鹿にされなくて済んだようだ。
もしここで失敗したら、上辺だけは和やかな雰囲気で舞踏会を楽しんでいても、裏では滑稽だと嘲笑されていたのは間違いない。
それ程までに、本当に素晴らしい演奏と踊りだった。
曲が終わった後には、思わず観客から称賛の声や拍手が巻き起こったほどだ。
私も何となく元気をもらったような気がしたので、梅酒を飲み終わったグラスを、お世話係に返却する。
「せっかくですし、私も参加しましょうか」
「「「えっ!?」」」
これには護衛だけでなく、周りで様子を伺っていた者たちも予想外だったらしく、皆は大いに驚いていた。
「しっ、しかし稲荷神様! 踊りの練習は──」
「先程の動きを見て、大まかですが覚えました。あとは曲に合わせれば、多分何とかなるでしょう」
「そっ、そうでございますか」
オロオロと取り乱すお世話係は、それ以上何も言わなかった。
そしてほろ酔いで興が乗った私は、舞踏会の中央に向かって堂々と歩いて行く。
するとまるでモーゼのように、左右に人混みが割れて道ができる。進路を妨げることなく、すんなりと通してくれるの良いことだ。
昔からぶっつけ本番の連続だったし、狐っ娘は頭は弱いが無駄に度胸があり、身体能力がとんでもなかった。
なのでうろ覚えのダンスでも、流れを読んで曲とパートナーに合わせれば、案外何とかなる。
そう考えながら前進を続け、舞踏会場の中央に到着したが、そこで自らの失態に気づいた。
なので慌てて周囲を観察して、ある人物を見つけて声をかけた。
「伊藤さん」
「はっ、はい!」
私は若干の戸惑いを見せる伊藤さんに微笑みかけて、静かに手を伸ばした。
「もしよろしければ、私と踊ってくださいませんか?」
「はい! 喜んで!」
ダンスのパートナーとなる異性に彼を選んだのは、二年後に開かれる国会で重要なポストに就く予定だからだ。
政治にまるで興味のない私は、どんな役職になるかまではわからない。
だが、将来的な出世は約束されているので、ダンスパートナーとして不足なしだ。
私たちが手を繋いだことで、再び楽団の演奏が始まった。
自分は見様見真似を狐っ娘の身体能力で補って踊っているが、伊藤さんは凄く緊張しているのか、時々失敗していた。
なので、それをさり気なくカバーするために、つい変則的で芸術点の高いダンスに切り替わってしまう。
ただまあ、私と伊藤さんは体格で大きな差があるので、それでやりにくいのもあるのだろう。
なので彼を責めようなどとは思わずに、結局身体能力のゴリ押しによって、何とか最後まで踊りきることが出来たのだった。
曲が終わった後は、伊藤さんは心身共に疲れ果てた感じだったが、それでもとても良い笑顔だ。
そして会場内は、割れんばかりの拍手が木霊していた。
記者の写真撮影も熱心に行われていたが、そこはまあ仕方ないと割り切っている。
しかし伊藤さんが頬を染めて興奮気味に大声を出したので、それはちょっとだけ困った。
「私はこの手を、一生洗いません!」
「いえ、洗ってくださいよ。不衛生で病気になったら、私が困ります」
私が直接人に触れるのは、とても珍しい。近衛やお世話係でも滅多にないことだ。
神格化されている狐っ娘なので、芸能人の握手会のように光栄に思うのはわかる。
だが、それで病気になったら大変だ。
とにかく手を洗う約束をした後に、次なるダンスパートナーの立候補者たちを、私はやんわりとお断りしていく。
いつの間にか長蛇の列になっていたので、いちいち受けていたらいつまで経っても終わらない。
(でも今のダンスで、日本の最高統治者としての顔は立てたかな?)
そこで私は、少し疲れたので、お先に失礼しますね。と、断りを入れて護衛に守られながら、舞踏会場から早足で退場する。
肉体はピンピンしているが精神的な疲労は蓄積しているので、嘘ではない。
ちなみに会場内の各種料理だが、お世話係がタッパーに入れて全種類持ち帰ってくれたので、安心なのであった。
後日談となるが、私が伊藤さんと芸術点が高いダンスを踊ったことは、国内外で大きな話題となった。
そして彼は多くの民衆から、稲荷神様のお墨付きと称されるようになる。
それがキッカケかは不明だが、何と初代内閣総理大臣に就いたのだ。
一躍時の人になった伊藤さんは、全ては稲荷神様のおかげです! 事あるごとに、そう繰り返すのだ。
マスコミの矛先をそらすのは勝手だが、ワッショイワッショイされるこっちの身にもなって欲しい。
私は我が家の居間でIHKニュースを見ながら、心の中で大きな溜息を吐くのだった。




