四十二話 大政奉還(1) 薩英戦争
四十二話 大政奉還の最中となります。ご了承ください。
文久二年の八月になり、イギリスと薩摩藩の関係が急激に悪化してしまう。
大雑把に説明すると、向こうの人に納豆料理を好む者が出てきたのだ。
その結果、腐った豆を喜んで食べるなんて、お前ら人間じゃねえ! とばかりに罵倒したのである。
なお、未来でもきのこたけのこ戦争が勃発していたので、食の好みは人それぞれだということがわかる。
そのため、生麦事件に関して私は何も言えなかった。
ここは大人の対応でスルーしておけば良かったのだが、薩摩藩は大きな貿易港があるので、日頃から外国人と接することが多い。
さらに日本の食文化に喧嘩を売り、納豆料理を提供した桐屋を名指しで馬鹿にしたことも、露骨過ぎるイライラポイントであった。
なので今まで少しずつ溜め込んでいた外国への不満が、ここに来て一気に爆発したのである。
その結果、目の前の釣り針に思いっきり食いつくことになってしまったのだった。
流石に一触即発の事態ではないが、イギリスには何度かお世話になっているし、関係が拗れたままで良いはずがない。
最悪食文化の違いが発端となって、戦争が起きてしまうかも知れないのだ。
それに王室とは文通仲間であり、両国民が憎しみ合っている姿を見るのは辛い。
なので私は関係の修復を図るべく、重い腰を上げて現地へと飛んだ。
なお内心では、納豆料理の好みなんてどうでもいいと考えていたのだった。
時は文久三年の八月、やって来たのは最近完成した総合運動公園野球場だ。
数年前から日本シリーズが開幕した。
そしてようやく普及し始めた白黒テレビでの中継番組が、驚異的な視聴率を叩き出している。
まだドーム球場がないので雨天中止で技術も草野球以上でプロ未満だが、とにかく盛り上がっているのがわかる。
そんな事情はさて置き、日本とイギリスの国のイザコザを解決するなら、本来は薩摩藩の奉行所のほうがいい。
だが別にこの件に関しては、どちらも悪くなくて罪人を裁くわけではない。
そして集められた両国の者たちは緊張しているが、大勢の外野の皆はお気楽な様子だ。
何故なら今回行われるイベントは、裁判や決闘ではない。
どっちの国の言い分が正しいかどうかは、実際に料理で対決して白黒つけること。私がそう提案した。
これに対して、イギリス王室は大変乗り気であった。
だが流石に私のようにフットワークは軽くないので、日本までやって来たりはしない。
それでも腕に覚えがある料理人を募った。遥々海を越えてまで、何人もの挑戦者を送り込んできたのだった。
この日のために用意した垂れ幕やのぼりには、薩英戦争勃発! 勝つのは日本か! イギリスか! 真の美食とは! あの稲荷神様が特別審査員に!
そのような広告が、総合運動公園野球場どころか全国の町村に立てられていた。
なので両国の誇りを賭けた料理対決を一目見ようと、日本中から大勢の観光客が集まってきており、進入禁止テープの向こうは大混雑であった。
出店や弁当売り、ビール販売まで行われており、完全にお祭り騒ぎだ。
なお当然のようにテレビ放送もされるので、地元ローカルだけでなくIHK薩摩からも、取材陣が大勢乗り込んできていたのだった。
何はともあれ両陣営の料理人と審査員が揃い、指定された時刻になった。
私は総合運動公園野球場の中央に歩いて行き、開式の言葉を告げる。
「これより、薩英戦争料理対決を開始します」
野球場の内部に作られた特設舞台の上に立つ私を、日本とイギリスの料理人が真面目な顔をして眺めているのがわかる。
「料理人の雪辱を果たすには、実食して美味いと言わせることのみです」
極端なことを言えば、料理の美味い不味いは当人の好みでしかない。なので、より大多数に満足感を与えたほうが勝者と言える。
納豆料理では少人数の支持だけで声高に主張したので、和食そのものを否定する諍いが起きた。
私はこの面倒な事件を心の中で振り返りながら、粛々と開会式を進めていった。
「祖国の誇りを胸に宿して、正々堂々と戦うことを誓うのです」
すると両国の料理人は、私を前に胸に手を当てて目を閉じる。
お祈りや精神集中のようなものだろうが、皆が再び目を開いたのでこの儀式は終わりだ。
私は満足そうに小さく頷き、特設舞台から下りて審査員席へと戻ったのだった。
審査員席にはイギリスと日本のお偉い様が勢揃いしており、何やら楽しそうな表情で、これから提供される料理を待っていた。
ちなみに私は、薩摩藩主である島津茂久さんの隣の席で、ちょっと高めの椅子によっこいしょと飛び乗った。
真夏の八月とはいえ、今の時代は小氷河期でまだ涼しかった。
屋外の会場は大勢の見物客の見守る中で、料理人たちはやる気に満ち溢れて、調理時間が限られているので、皆は慌ただしく準備を進めていた。
私が両陣営の料理風景をのんびり眺めていると、隣の席の島津さんが声をかけてきた。
「稲荷神様は、どちらが勝つと思われますか?」
「日本ですね。それ以外は考えられません」
イギリスはメシマズという偏見が判断基準を狂わせているかも知れないが、私は戦国時代から、この国の食文化をせっせと押し上げてきた。
彼の国は立っている土俵自体が違うため、どんな料理が出されるのか不安だが、それでも私は日本の勝利すると信じていた。
「自分はイギリス本国には行ったことはありません。しかし向こうの料理人が作った物なら、何度か食べたことがあります」
島津さんがそのように切り出したので、こちらも興味を惹かれて尋ねてみた。
「それで、どうでしたか?」
彼はしばらく思い悩むように遠くを見つめて、話してくれた。
「一部の料理は日本の納豆のように、好みが分かれると思います。
少なくとも、自分は無理でした」
何やら達観したような表情をする島津さんであったが、私はこっちに転生してから三百年、外国の料理は一度も食べたことはない。
過去の自分の舌なら覚えているが、美味しかった外国料理ばかりだ。
それをせっせと再現し続けてきたので、現在の本場の味にはさっぱり馴染みがない。
予想不能な展開に少しだけ緊張するものの、双方は国の誇りを賭けて熱心に料理している。
つまりは日本とイギリスの高レベルの戦いが展開されるので、わざわざそんなハイリスクハイリターンな代物など、出てくるはずがないのだ。
審査員席に腰掛けている私は、そう楽観的な考えて期待感を膨らませ、机の上に頬杖をつきながら足をブラブラさせて、料理が出来上がるのを今か今かと待ちわびるのだった。




