幕府を開く
ここから先は番外編(山も谷もない平和な時代)となり、頻繁に年代ジャンプします。
そういった展開が苦手な方はご注意ください。
それでも厄介事が起こらないわけではありません。
年号については展開のわかりやすさを重視し、正史と同じ表記になっています。ご了承ください。
永禄八年の夏、北条氏康さんから文の返事がきた。
それを稲荷山の学校で授業を行っていた私に、松平さんが直接届けてくれたのだ。
彼は既に内容を知っているが自分はまだなので、一旦講義を中断して空き教室を貸し切り、そちらでもう一度開封して目を通す。
「どうやら戦は回避されたようですね」
「稲荷様が希望した土地は、沼や湿地、浅瀬ばかりで、戦略的に殆ど価値のない場所です。
なので切り捨てても惜しくないと判断したのでしょう」
それでも一応征夷大将軍としての箔付けのために、湾岸部以外も結構な広さの領土を要求したのだが、北条氏康さんはそっちもゴネることなく、やけに気前良く差し出してくれた。
私が座布団にちょこんと正座しながら松平さんをじっと眺めると、他にも理由があるらしく、彼は続けて説明を行う。
「領土を守って戦をするよりも、稲荷様に直接統治してもらったほうが、得られる利益は大きく、民衆のためにもなると、北条氏康はそうとも判断したのです」
確かに私は北条家を滅ぼそうとは思っていない。彼の領土の一部というか半分近くも奪い、最終的には全てを飲み込むことになるが、それでも共存共栄を目指しているのだ。
しかし一時的に、北条氏康の勢力が大きく低下するのは避けられない、
だが稲荷大明神に土地を与えたという箔が付くし、未来の東京を知っている身としては、これから本当に恐ろしい速度で発展していくことになる。
何はともあれ北条家が誠意を見せてくれたことに満足して、私は小さな口元に手を当て、しばらく思案する。
「ふむ、…人は衣食住が満たされることで、初めて礼節を知ると言います。
北条家の協力も得られたことですし、まずは戦を起こして他国から略奪するのが馬鹿らしくなるほど、日本全国に五穀豊穣をもたらしましょうか」
この発言を受けて、松平さんだけでなく護衛の本多さんたちも俄然やる気になる。
他国から奪う必要がないほど日本を豊かにして、明日への不安を感じなくさせてしまえば、そう簡単には大きな戦は起きなくなる。
もちろん人の欲には限りはないが、たとえ争いが発生したとしても、今後は極めて小規模に収まるだろう。
「では稲荷様が住まわれる稲荷大社を、新たに建てなければいけませんね!」
今の社務所は玄関の引き戸を開けてすぐに正面に広間が一つと、台所と倉庫しかない。私は基本的に大きな家は落ち着かないので、小ぢんまりとした家屋のほうが好きなのだ。
しかし松平さんの発言では、とんでもない建造物が建ちそうなので、そこに急いで待ったをかける。
「別に有物で構いませ…」
「いけません! 新しい時代を告げる日本の征夷大将軍であり!
混迷する人の世に顕現した、慈悲深き稲荷大明神様なのです!
それがみすぼらしいお住いでは、国の沽券に関わります!」
これには一理あると納得してしまい、私は黙るしかなかった。
確かに権力者に見せる用の政治的パフォーマンスは大切だ。だがまあそれはともかくとして、絶対に普段住まいの家は小さく建ててもらおうと、私は心に決めたのだった。
時は流れて永禄九年の夏。
自分がこれから治める江戸の中心部。その広大な森の中に、厳かな雰囲気を発する絢爛豪華な稲荷大社がとうとう完成した。
木材、土、岩等の建築に必要な物資の殆どを、北条領の北の山間部から船に乗せて運んできたというのだから驚きだ。
それだけこれから開かれる江戸幕府に、日の本の国の民が期待していることの現れでもある。
そして征夷大将軍になった稲荷大明神の住まい、その建築への寄付を全国に呼びかけることで、北条家の負担は実際には殆どなかった。
寄付金を募るのは宗教なら良くあることなので、後ろめたい気持ちは全くなかった。ちなみにビタ一文出してくれない勢力は、敵か要注意人物リスト行きなのは言うまでもないのだった。
なお、京都のやんごとなきお方が稲荷大明神だと勘違い…ではなく、はっきり認めたので、寄付や人が集まりすぎて管理が追いつかない有様になってしまった。
何しろ永禄九年は、全国的に長雨と冷夏に襲われ、各地で飢えに苦しむ民衆が難民に変わり、皆一斉に江戸を目指して大移動する結果となったのだ。
ちなみに永禄八年にも難民が発生し、新たに幕府を開く関東を目指して押し寄せたのだが、こちらはまだ半信半疑だったのか、人数自体は控えめであった。
だがまあこれは私の自業自得であり、決まった基準法などない時代に、労働者には必ず日雇いの賃金を払い、一日八時間労働と休憩と休日、さらに簡素な大部屋でも良いので下宿先の提供と、毎日三度の炊き出しを厳命した噂が、瞬く間に全国に広まったからだ。
そのせいで現場の関係者がデスマーチに突入し、三河と尾張の領地経営が、またもや火の車になったのだが、代わりに稲荷信仰が加速度的に高まる結果に繋がったのだった。
そして稲荷大社に着工してから、一年と少しという短期間で完成したのは良いのだが、飢饉で村や家を捨てた大勢の難民たちが、今さら地方に帰れるはずもなかった。
なので私は、これから新しく作る都、江戸の住人として受け入れて、引き続き周辺の沼や湿地、浅瀬の埋め立て等の、公共事業に従事してもらうことに決めたのだった。
ともかく無事に立派な住まいが完成したことで、豊川の稲荷山から家族のワンコと日用品を持って引き払い、後の管理を長山村の神主さんに一任した。
出発は、永禄九年の秋のことだった。
ちなみに今回も、長い行列と一緒に神輿に揺られて移動するので、箱根の山を越えるのに時間がかかってしまった。
それでも到着予定日は、既に日本全国の大名が知るところとなっており、一足先に本宮の奥に特別に作られた謁見の間に、皆が勢揃いしていた。
噂だけでは半信半疑だろうが、やんごとなきお方が稲荷大明神と認めて、頭を下げたのは間違いない。どちらかと言えば、征夷大将軍よりもこちらのほうが凄いニュースであった。
ならば信仰が盛んな戦国時代に、神様の要求を断るという選択肢は、最初からありはしないのだった。
「征夷大将軍! 稲荷大明神様のおなーりー!」
私は重役出勤のように皆よりかなり遅れ、最後に本宮に入り、徳川と名を改めた松平さんの言葉と同時に、奥座敷から堂々と現れる。
そのままゆっくりと歩きながら、皆よりも一段高い畳の上に置かれた、厚くて派手な模様入りの座布団に腰を下ろす。
「面を上げてください」
徳川さんからは台本はなく、自由に喋ってくださいと言われている。
何でも、本音と建前で大名たちを混乱させるよりかは、全てを正直に打ち明けたほうが、稲荷様なら万事が上手くいくらしい。
本当かなー? …と半信半疑ながらも、その道のプロが言うならと、私は一応は納得した。
「皆も既に知っての通り、私がこのたび征夷大将軍となった、稲荷大明神です」
畳が一段高い位置にあっても、私は幼女なので上から見下ろすには少し足りなかった。とは言え、実際には偉いわけではないので、大体同じぐらいの目線のほうが気楽でいい。
「しかし征夷大将軍という肩書に、大した意味はありません。
戦乱の世を収めるために必要とのことなので、朝廷から託されただけです」
今の私の言葉に、この場に集められた大名たちが微かにざわめく。
やんごとなきお方に日本の未来を託されたが、自分はずっと統治者をやるつもりはない。平和になったら自分はさっさと退位し、徳川さんに席を譲るのだ。
「日の本の国から戦がなくなり、天下泰平の世を築いたら、私は征夷大将軍を退位します」
皆がじっとこちらを見つめて、私の言葉に耳を傾ける。いつの間にかざわめきは鳴りを潜めて、誰もが真剣な表情を浮かべて、自分の話に耳を傾けていた。
「それまでは統治者として日の本の民の上に立ち、五穀豊穣をもたらしましょう。
ですのでどうか、他者から奪うのではなく、私の教えに耳を傾け、この国を豊かにしてください」
言いたいことを好き勝手に喋ったので、私は大きく息を吐いて座布団から立ち上がる。そのまま再び奥座敷に向かって、静かに歩いて行く。
徳川さんが言ったように、本当に好き勝手に口に出したので、この場に集っている大名たちの反応を見るのが怖い。そのまま視線を合わせることなく、そそくさと退室する。
自分が征夷大将軍になり、日本を治める目的を馬鹿正直に告白したわけだ。しかし本当にこんなので上手くいくのとかと、甚だ疑問である。
だがまあとにかく、将来の楽隠居を成し遂げるためには、今は行動あるのみだ。私は心の中で頑張るぞ…と気合を入れるのだった。
なおこの後のことだが、年中行事として日本全国に普及させるために、稲荷祭が大々的に行われることになった。
幕府の関係者と稲荷大社の神職の目が死んだ魚のようになったのは言うまでもないが、一応は戦国時代が終わって世の中が平和になった証拠だと、納得することにした。
相変わらずワッショイワッショイと神輿に揺られながら、私は貼り付けた笑顔で、江戸の町人たちに向かって小さく手を振ってやり過ごすのだった。




