三十五話 硬貨から紙幣に(3) シチリア王国の宣教師
<宣教師>
私はジョヴァンニ・シドッティ。シチリア王国の宣教師だ。
遥か遠くの島国、日本に偉大な主の教えを授けるため、はるばる海を渡ってやって来た。
予習を怠らなかったので、外国語も喋れる。
何でも侍という支配階級が民衆の上に立っていて、新しい統治者が鎖国政策を行ったせいで、奴隷はともかく、情報が殆ど入手できなくなった。
そのため参考にした資料が古いのが難点だが、稲荷神を自称する者が日本の将軍になり、我々がせっかく布教してやった偉大なる主の教え、それを信じる者たちに厳しい処罰を下した。
それ以降に日本に渡った宣教師や貿易商人は、例外なく出島と呼ばれる隔離施設から一歩も外に出さない。
そのようなことを、出戻りした先輩方から何度も聞かされている。
しかし驚くべきことに、そのような非道な法律を定めたリトルプリンセスは、欧州各国で大人気である。
我が祖国シチリアでも、日本から輸入した関連商品は飛ぶように売れていた。
ただし日本製の人形は出来が良いが、海を越えての輸入品なのでとても希少だ。
なのでシチリアの職人が頑張って模倣しているのだが、これがどうにも上手くいかない。
狐の耳と尻尾を生やした可愛らしい幼子を再現しようとしても、芸術的な違いからか若干気持ち悪い表情になったり、動かせる関節の数が少なかった。
そのような不満点が多く出てしまい、どうしても正規品よりも質は落ちるのだ。
そのような理由もあり、日本に行ってリトルプリンセスの関連グッズを購入して祖国に持ち帰れば、誰でも一財産を稼げる。
命がけの航海になるが、我々にとっては黄金の国ジパングだと欧州の者たちは噂している。
しかし、荒海を越えての船旅は危険に満ちている。座礁や難破、大嵐だけではない。
もっとも危ういのは、乗船中にかかる原因不明の呪いだ。
これが発現すると、皮膚に潰瘍が発生し、歯茎が化膿して古傷が開いたりと、まともに動けなくなり命を落とす。特効薬はないので、まさに命がけの航海なのは間違いない。
日本の船乗りは呪いの対処法を知っているらしい。そのような風の噂が聞こえてきたこともあったが、鎖国政策と厳しい情報統制により、その後の音沙汰はなしだ。
なので文明的に大きく出遅れた小さな島国が、欧州よりも優位に立とうとするための嘘だったと結論が出たのだった。
野蛮な民族が多く住んでいる日本は、百年ほど前にようやく長きに渡る戦乱の世が終わった。
だが現政府の鎖国政策により、大陸との繋がりは薄く、小さな島が寄り集まって何とか国としての体裁を保っている状況だ。
さらには、ごく最近まで火薬の製法も知らずに剣と弓で戦っていたため、我が祖国シチリアからすれば、時代遅れの劣等民族という評価を下さざるを得ない。
そんな極めて原始的な民族に、偉大なる主の教えを伝えて正しく導くことこそが、宣教師の私が天から与えられた使命だと言っても、過言ではない。
ちなみに最終的には日本国民の全てをキリスト教徒に改宗させるつもりであり、そうなれば最高統治者のリトルプリンセスも、偉大なる主に自ら頭を垂れることだろう。
そして我が祖国シチリアの統治を受け入れることで、原始的な劣等民族ではなくなるのだと、私は信じて疑わないのだった。
そして時は流れ、日本の年号で言えば宝永五年の八月になった。
私ことジョヴァンニ・シドッティは、長い航海の末に、日本の屋久島に上陸することに成功する。
航海の順路は出島だが、キリスト教徒は厳しい弾圧を受けていると聞いた。
さらには、まず外に出る許可証は得られず、たとえ外に出ても布教を始めればすぐに捕らえられ、厳しい拷問を受けて殺されるだろう。
そう熱心に教えてくれた先輩の言葉を信じたのだ。
そのため、まずは小舟を借りて屋久島に向かう。
念の為に、事前に調達した侍の格好をして、現地調査である。
侍はこの国の支配階級なので、何処を歩いていても、そう簡単に庶民に話しかけられたりしない。
これならボロは出にくいという判断だ。
屋久島の人気のない海岸に小舟で上陸した私は、何はともあれまずは情報を得るために、近くの漁村に向かうことを決める。
自然豊かな森の中に入ると現在位置がわからなくなりそうなので、よく整備された海岸沿いの街道を歩いて行く。
草鞋は履きなれていないので違和感が酷いが、幸いなことに地ならしが行き届いており凹凸なく歩きやすかった。
そのまま砂浜よりも少しだけ高い位置にある街道を、一時間ほど歩く。
すると漁村から少し離れた海岸に、よくわからない施設があることに気づいた。
近くには何人もの現地の住民が忙しく動き回っており、黒い海藻を薄く伸ばした物を太陽光に当てている。
多分だが乾かしている作業の真っ最中なのだろう。
私は日本語を勉強したからとはいえ、決して上手くはない。ここはボロが出ずに目立たないよう、遠くから気をつけて観察する。
頃合いを見て近づき、無難な話題を振って現地の情報を得ようと考えていた。
だが何人かの漁師がこちらに気づいて視線を向け、そのまま無視して作業に戻るのではなく、急ぎ駆け寄ってきて周りを取り囲まれてしまう。
(こっ、これは一体!? 侍は日本の支配階級のはずだ! 庶民が無礼な態度と取れば、切り捨て御免のはずでは!)
帯刀やちょんまげして、立派な和服を来て変装しているので、怪しまれる要素はない。
無礼討ちという言葉もあるらしく、気まぐれで切り捨てられても文句は言えないはずだ。
だが取り囲んだ漁師たちはこちらを観察して、そのものズバリと問いただしてきた。
「アンタ、お侍様じゃないね?」
「はははっ! 私は侍だ! 見てわからぬのか!」
私を漁師の一人に、堂々と言い返してやった。
何とか日本語を詰まらずに喋れて良かったと、ホッと胸を撫で下ろす。
しかし、何故疑われたのかわからない。
「でもよぉ、そのセイバーを持ち歩くのは、流石にねえよ」
「はっ? せっ、セイバー?」
セイバー……確かイギリスの言葉で軍刀だったか。そう理解する前に今の侍は殆どが帯刀しておらず、所持しているのは軍人ぐらいだと丁寧に説明されて、愕然としてしまった。
「それに言葉も片言だし。アンタどう見てもヨーロッパ人でしょ?」
「かっ、片言? ヨーロッパ?」
おかしい。上手く喋れていないのはまだいい、
だがここは日本のはずだ。なのに何故イギリスの言葉が、ろくに教養を受けていないはずの庶民に広まっているのか。
もしやイタリアが支配する前に、イギリスが植民地にしていたのか? ならば我が祖国は大きく出遅れたことになる。
そう私が一人で混乱している最中にも、漁師たちは気にせずに話しかけてくる。
「俺が予想するに、わざわざ外から来たってことは、イギリス人だね?」
「いっ、いや……イギリスではないが?」
「あちゃー! ハズレかー!」
漁師の一人が頭をペチンと叩いて悔しそうな顔をする一方で、周りの者たちは腕を組んでウンウンと考え込んでいた。
いつの間にか外国から来たとバレた私が、何処の国か当てる遊びが勝手に始まったようだ。
「それじゃあ、ポルトガル人?」
「ええと、ポルトガルでもないな」
咄嗟に答えてしまったが、正直こんなことをしている場合ではない。
急いで逃げなければいけないが、周りを取り囲まれているので一体どうすればいいのか。
「ええー! 難しいなぁ! 何かヒントくれよー!」
「ひっ、ヒント?」
確かイギリスの言葉で、入れ知恵だったか。
彼らはつまり、答えに繋がる具体的例が欲しいと言うことだろう。
しかし今の私は、内心それどころではなかった。
何故なら、帰国した宣教師や参考資料で得た情報と実際に目にした日本の様子が、あまりにも違いすぎているのだ。
先輩からは宣教師は、酷い弾圧や迫害を受けていると聞かされてきた。
しかし現地住民は、私の正体が外国人だとわかっても、驚き取り乱すことなく友好的に接している。
まだ宣教師だとバレていないだけかも知れないが、それでも予想を越えた現地の状況に、まるで理解が追いつかない。
私が一人だけ混乱していると、砂浜の向こうから短い鉄の棒を持った男の四人組が、慌ただしく駆け寄ってきた。
屈強な男性四人組であり、どう考えても捕まったら拷問を受けて洗いざらい情報を吐かされるとしか思えない。
そして最後には、惨たらしく殺されてしまうだろう。
何しろ日本は、文明レベルの低い者たちが住む島国だ。当然考え方も原始的、……そのはずであった。
とにかく私は急いで逃げるか。それとも神の教えに殉ずるかと迷っていると、漁師の一人がこっちの服の袖を引いて、小声で話しかけてきた。
「逃げたら発砲するから、大怪我だよ。取り調べで素直に話せば、多分そこまで酷いことにはならないから」
「そっ、そうなのか?」
現地住民の言葉を信じていいか迷っていると、私の気も知らずに彼は何処か懐かしむように目を細めて、思い出語りを始める。
「俺も若い頃はヤンチャして、警察に捕まったんだよ。
そしたら取調室で美味いカツ丼を出してくれてさぁ」
泣きながら食べたそのカツ丼の味が今でも忘れられない。そう漁師が語っている間に、警察と呼ばれる者たちが、私のすぐ近くまで来て素早く取り囲んだ。
流石に今この状況になって、暴れたり逃げたりは出来ない。
私は仕方なく覚悟を決めて、大人しく連行されたのだった。
後日談となるが、取調室で出されたカツ丼は本当に美味だった。
素直に話せば拷問を受けることもなく、私のような密入国は別にそこまで珍しくはないと教えてくれた。
あとは日本はキリスト教に対して弾圧や迫害をしているわけではなく、宗教を隠れ蓑にした悪事を許さないだけだ。
特に最高統治者であるリトルプリンセスは、嘘や卑怯といった汚い行為が大嫌いらしい。
だがしかし、悪を憎んで人を憎まずなので、真摯に信仰している人たちには何もしないどころか、救いの手を差し伸べたりもする。
さらには江戸の稲荷大社は多宗教の複合施設で、異なる神同士でも仲良くやっているらしい。
欧州では絶対に実現不可能な試みだが、日本という島国では不思議と成り立っていることに驚きを隠せない。
私は結局長崎港の出島に連行されてしまったが、日本やリトルプリンセスのことをほんの少しでも知れた。
それだけで、遠路はるばるやって来た価値はあった。
なお結論としては、日本にキリスト教を広めたいが、リトルプリンセスが居る限りは不可能だ。
たらればの話をしても仕方ないが、もし私が取調室で素直に話さなかった場合、小公女に逆らう敵と判断するのは確実である。
その後態度が豹変して、厳しい弾圧や迫害や拷問を受けたであろう。
なので結論から言うと、日本に手を出すのはお勧めしない。
彼らの心の奥底には、リトルプリンセスへの信仰が根付いている。
面白半分に触れると容易に悪魔へと変貌し、たとえキリストの教えを信仰している者だとしても、絶対安全とは言い切れないのだ。
少なくとも私はそう感じたので、先輩の宣教師が日本は恐ろしい国だと吹聴するのも、後輩たちに絶対に近づくなと強く警告してのことだ。
そうはっきり理解したのだった。




