三十四話 生きている化石(2) 焼き鳥
元禄元年の二月、お忍びで江戸の町に出た私は、焼き鳥の屋台を見つけた。
そこから漂う美味しそうな匂いに食欲を刺激されたので、狐の穴に行く前のちょっとした寄り道として、お供の二人と一緒に、真っ直ぐ近づいていった。
なお近くでよく見ると、形こそ焼鳥の屋台だ。しかし料理屋に外対応の販売所がくっついている感じだった。
例えるなら、未来で見かけるハンバーガーショップのドライブスルーか、弁当屋だろうか。
ヒョイッと背伸びして中を覗くと、カウンターのすぐ奥は調理場だった。
料理人たちが忙しそうに動き回り、焼き鳥を串に刺して鉄網の上に乗せる。
火に炙られてタレと油の弾ける音と香ばしい匂いが混ざり合い、何とも食欲をそそる。
ちなみに焼き鳥とは関係はないが、持ち帰りの文化は私が後押しした感じだ。
元々おにぎりや惣菜、または丼のようなものはあったが、昔の移動手段は徒歩や馬ぐらいだ。
さらに保存技術も未熟だった。
しかし今は乗合馬車、列車、船といった様々な乗り物がある。
何より関所も全て取っ払い、各藩の往来が自由になったため、引っ越しはともかく遠出は気軽に行える。
なので新たな飲食の仕組みが生まれるのも、必然であった。
そして未来で遠出といえば車や電車であり、その際にお弁当を持参するのが定番だ。
私がいつものうっかりで呟いた結果、箱の中に惣菜やご飯を詰める方式が広まったのだった。
さらには環境や資源の問題を考慮し、使用済みの店の箱を綺麗に洗って乾かした状態で持ってきてくれれば、その場で詰めて箱代を割引して販売するサービスも、一緒に提案した。
これが思いの外上手く行った。
未来では廃れつつあるが、少し前のビン牛乳のような方式だ。
そして弁当箱には店の名前や印が刻まれており、客がそれを持ち歩くことで宣伝も兼ねる。
ついでに賞味期限は本日中であり、エコ弁当箱が汚れていても詰められるが、もし食中毒が大量発生すれば事件となる。
だが一人か二人程度なら、彼らの持ち込みが不衛生だったで済むことだ。
それはともかくとして、焼き鳥の飲食店の近くまで来た私は、大きな看板が立てかけられているのを見かける。
そちらをよく見ると、開店十一時からと書かれていた。
今は十時過ぎなので、すぐ近くで美味しそうな匂いがするのに、これでは食べられないことになる。
私は少しだけガッカリしてしつつ、ポツリと口に出した。
「開店は十一時からですね。残念ですが、諦めましょう」
焼き鳥を食べたかったなと思って溜息を吐くと、料理場で仕事中の店員が私のことに気がついたようで、慌てて顔を上げる。
「もっ! もしや! あっ、貴女様は!?」
「人違いです!」
その続きは聞かなくてもわかるため、これ以上喋られると不味いと思い、咄嗟に誤魔化した。
声を聞かれると正体がバレる危険があるとか、そんなことは頭の中から消えてしまい、その場はとにかく必死であった。
しかし職人気質らしい厳つい料理人は、納得のいかない顔でこっちをジロジロと観察する。
次にお供の二人に視線を向け、何やら合点がいったように、ふむふむと小さく頷いてポンと手を叩く。
「どうやら人違いだったようですな! お騒がせしてすいませんでした!」
「いえいえ、誤解が解けて何よりです」
変装が見破られるかと内心ビクビクしていた私は、その場しのぎでも追求を逃れたことにホッとする。
しかし怪しまれた事実は変わらないので、いつまでもこの場に留まるのは不味いと判断した。
さっさと離れるために、自然と一歩後ろに下がる。
するとそこで焼き鳥兼弁当屋で働く店員の代表らしき先程のおじさんが、若干固い笑みを浮かべて声をかけてきた。
「ところで、あー……お嬢ちゃんは、もしかしてうちの店に用があったのかな?」
おじさんの質問にどう答えようかと一瞬悩んだが、別に隠す必要もないので、素直に白状した。
「実は、そちらの焼き鳥を食べ──」
「どうぞどうぞ! 好きなだけお食べください!」
「ええー?」
あまりの豹変ぶりにドン引きである。
そもそも今は準備中だったはずなので、私は慌ててその件について彼に尋ねる。
「あの、準備中ではなかったのですか?」
「開店は十一時からだが、お嬢ちゃんが食べる分ぐらい、パパっと用意してみせましょう!」
何という人の良さだろうか。
だが人間は古来より、小さくて可愛い生き物には弱いという特性がある。
正体はバレていないので、幼女の見た目で便宜を図ってくれた可能性が高い。
しかし今はおじさんの善意に感謝して、ありがたく焼き鳥を食べさせてもらうことに決める。
「では、ご厚意に甘えさせてもらいますね」
「はいよ! それで何にするんだ? うちは、ねぎま、つくね、ささみ、砂肝──」
それ以外にも焼き鳥の種類を順番にあげていくが、私はただただ戸惑うばかりだった。
自分が未来で買うのは、スーパーかコンビニ棚に置かれているパック入りを気まぐれで選ぶぐらいだ。
名称なんて焼き鳥しか覚えていないため、種類をズラリと並べられても、何が何だかさっぱりわからない。
そこで私は、困った時によく使われるアレを咄嗟に口に出した。
「お店のオススメをお願いします」
「オススメか! うちの焼き鳥は何でも美味いよ!」
そんな景気の良い答えが返ってきたので、その場を逃れるための私の試みは失敗に終わった。
店員さんの答えも定番だが、これは本当に困った。
最終手段としてお供の二人に視線を向けると、それなりに付き合いが長いからか、すぐに意図を察してくれた。
お世話係がにこやかに微笑みながら、一歩前に出て堂々と発言する。
「では、全種類を一本ずつお願いします」
「はいよ! お前ら! 全種一本だ!」
「「「はい! よろこんで!」」」
何処かの居酒屋のやり取りを行い、おじさんは調理場に戻り、他の店員も含めて一斉に焼き始める。
そもそも既に何本かは出来上がって保存用の箱に詰められているのに、何故最初からやり始めるのかわからなかった。
だが、お嬢ちゃんには出来たてを食べて欲しいという店主さんの言葉に、それ以上は何も言えなくなった。
取りあえず邪魔をしては悪いと思った私は、お供の二人を連れてお店から少し離れた場所に移動する。
少しだけ裏路地に入って、身を潜めるようにして小声でやり取りする。
「私は少食なので、一、二本あれば十分なのですが」
「食べ切れない分は、我々が処理しますので問題ありません」
それを聞いて、もしかしてお供の二人も焼き鳥が食べたかったのかも知れないと思い至る。
「稲荷神様は全ての焼き鳥を味見し、残りを我々にお下げください」
「しかし、食べかけで汚いですよ?」
私は若干の申し訳なさを感じて口を開くと、皆で仲良くシェアし合うわけではないことが、次の一言で明らかになってしまう。
「決して汚くなどありません!」
二人共興奮状態で頬が紅潮していることから、私は否が応でもそれが彼らの真の望みなのだと察してしまった。
確か君主が使っている物を配下に下げ渡すのは、今でも普通に行われている。そこまで忠誠心か信仰心に溢れているなら、問題はないかと引き気味になりながらも無理やり納得させる。
その後、店主から声がかかって焼き鳥を全種類を受け取り、それぞれ一口ずつ堪能した私は、久しぶりに未来のB級グルメ的な物を食べられて、幸せそうに息を吐いた。
残りは約束通り、喜びを隠しきれないお供の者に下げ渡す。
そんな光景を店員や通行人が微笑ましく見守っていたことにも気づかずに、ルンルン気分で当初の目的地に向かって再び歩き出すのだった。




