征夷大将軍
三好の反乱はあっという間に鎮圧され、足利義輝さんは征夷大将軍を退位することになった。なおその際には、脅しに近い手段が取られたらしい。
たとえ五千もの三好軍に囲まれても、連合軍は少数精鋭であり、まさに一騎当千の強者を揃えていたので、少なからず犠牲は出るものの、実際にはいつでも包囲網を突破することができた。
つまり二条御所に立て籠もって足利将軍を守る重要度は、かなり低かったのだ。
むしろここで見捨てて三好に殺させるか、こっちから征夷大将軍を殺害したあとに、全ての罪を被せた賊軍を一人残らず討伐して、何も知らない次代に継がせて操ったほうが、後腐れなく片付くだろう。
これを知った私は、流石は命が軽い戦国時代。血も涙もなかったと感じた。
だがまあ色々思う所はあるが、終わり良ければ全て良しでだ。
私も大分この時代に毒されてきたが、たとえ現実を受け入れることは出来ても、やはり気苦労は絶えないので、いい加減平穏な余生を過ごしたいと、切に願うのだった。
かくして永禄の変の終結から一ヶ月が経ち、足利義輝さんは晴れてボッシュートとなった。
しかし別に亡き者にしてはいないし、自ら朝廷に征夷大将軍を返還するだけだ。
それに私も少なからず思う所があり、何もなしのはいさようならでは可哀想なので金と物を融通して、厳かな式典を開き、大勢の民衆に惜しまれつつ退位。…と感動的に演出した。
そして田舎に建てた大きな屋敷に親族と一緒に住まわせて、一生何不自由なく過ごせるように取り計らう。これまで相当激務だったろうし、三好に命を狙われたのだ。
せめてもの手切れ金と言うか退職金代わりだ。
だがまあ再び担がれて江戸幕府と敵対すると面倒なので、もちろん厳重な監視や移動や接触に制限はつける。なおこれらは全て、松平さんに支払ってもらっている。
彼には世話になりっぱなしで申し訳ないが、私が征夷大将軍の椅子を温めておいてあげるので、それまで頑張ってもらいたい。
時は流れて、征夷大将軍を退位してから一ヶ月後。再び京都御所にて位の高い権力者や大勢の民衆が集まり、私が次代の幕府を開くための式典が開かれた。
「ええー…稲荷大明神様! 本日はお日柄もよく…!」
「このたびは征夷大将軍の位を受け取っていただき! 真に恐悦至極でございます!」
だがまあ何というか、公家の方々からの扱いが色んな意味で酷かった。
厳かな式のはずなのだが、向こうの腰が滅茶苦茶低く、お役目を授けるのではなく、お願いですから受け取ってください状態なのだ。
松平さんが言うには、朝廷が神様を担ぎ上げることで、王政復古にワンチャン賭けているので必死になっているらしいが、自分は別に武士の世を終わらせるつもりはない。
あくまでも徳川家康にバトンを渡すまでの繋ぎに過ぎず、彼らの望みが叶うことはないのだが、ここは行けたら行くわ的な感じで、建前だけだが快く受け取っておくことにする。
「それほど望まれるのなら、仕方ありません。征夷大将軍のお役目。この稲荷大明神が引き受けしましょう」
「ではこれをもちまして! 稲荷大明神様は征夷大将軍となり申した!」
そして最後に、この国の京都に住まわれている本当の神様からの一言を、立場はこっちが上なので頭を下げずに堂々とした態度のまま、謹んで頂戴する。
ちなみに彼の姿は、すだれのような物に隠されていてよくわからなかった。
「稲荷大明神様。日の本の国を、よろしくお願い致します」
「微力を尽くしましょう」
…と言葉を返したが、その後は会話が止まってお互いに無言であった。何とも微妙な空気のまま、しばらく時間が経ったことで、公家の人が稲荷神を退室させるための発言を口にし辛いのだと、ようやく察した。
なので私から、これにて失礼…と立ち上がり、今代の朝廷から背を向けて、二条御所から外に出ていく。
何だか精神的に疲れたが、とにかくこれで第一関門は突破した。もちろんまだ安心するには早いが、今だけは肩の荷を下ろして、ふぅ…と心の中で大きく溜息を吐くのだった。
永禄七年の年末は、京都で過ごすことになった。
足利将軍が退位して、稲荷大明神が征夷大将軍になったことを日本中に知らしめるためにも、拝賀の礼や年頭の祝賀を、大々的に行わなければいけない。
その辺りは裏方の松平さんや織田さんにお任せなのだが、やっぱり面倒臭いなー…と感じた。
なお連合軍の今川、武田、斎藤の軍勢はそれぞれの国に帰り、こっちが滞りなく進むように他国に睨みを効かせてくれるらしい。
そして松平と織田が残り、護衛部隊と治安部隊に割り振って、京都の安定を図ることとなった。
ちなみにお寺さんが連日抗議に来ているが、全て門前払いさせてもらった。源氏や平家、女狐や妖怪とか、いちいちうるさいし、今は直接相手にしている暇がないほど仕事に追われているのだ。
朝廷に抗議文を送っても彼らは既にこっちの味方であり、私がその気になれば錦の御旗はいつでも掲げられる。もちろん本気で朝敵にするつもりはないが、寺院への脅しとしては効果は抜群らしく、ぐうの音も出ないほど、すぐに黙ることになったのだった。
年が明けて、表舞台に立つ日がやって来た。
私は稲荷大明神(偽)なので、伏見稲荷大社の本宮の舞台を使い、多くの民衆の前で征夷大将軍関連の式典を開いた。
そして松平さんから手渡されたカンニングペーパーを、恥じることなく大声で読み上げる。
「ええー、本日は天候にも恵まれ…」
神々しいオーラをまとう美幼女が、一生懸命頑張るお遊戯会にしか見えないが、そんな民衆たちから浴びせられる、微笑ましくほっこりとした視線は気にしないことにする。失敗して大笑いされるよりはマシなので、最後まで押し通した。
しかし今後も同じような式典を開くのは面倒なので、次からは松平さんか織田さんに代理を頼もうかな…と、そう思ったのだった。
永禄八年の新年の挨拶が終わるやいなや、京都には治安部隊と現代知識を広めるための指導員を残して、私はまた神輿に担がれて三河に帰っていった。
途中で夜営を行い、篝火を焚いて陣を張り、人払いをした後、松平さんと織田さんに、今後の予定を打ち明けた。
「ええっ! 関東で幕府を!? てっきり岡崎だとばかり!」
「…名古屋でもなかったんじゃな」
二人は私が何も言わなかったので勝手にそう思い込んでいたらしく、何とも残念そうに呟いた。
「しかし稲荷神の言う関東の土地は、湿地や浅瀬ばかりで何もない田舎じゃぞ?
本当にそこで幕府を開くのか?」
織田さんは顎を掻いてそう言うが、未来の東京はそれはもう凄いのだ。しかし戦国時代の関東には行ったことはないので、多分彼の言う通りだろう。
「はい、今は何もないでしょうが、ゆくゆくは東の京都と褒め称えられる程に、豊かになりますよ」
「そりゃまあ、稲荷神が手がければ、何処でも日本一になるじゃろうがのう」
正史では私が居なくても日本で一番栄えているので、何でもかんでも稲荷神ありきで考えるのは止めてもらいたい。
それにバトンタッチした松平さんなら、必ずや成し遂げてくれると信じているのだ。
「しかし今の関東の実質的に支配しているのは北条氏康です。
そこに幕府を開くというのは、彼の領土を奪うことになります」
「やはり戦は避けられませんか?」
「はい、こちらの要求に従わなければですが…」
征夷大将軍になれば戦国時代があっさり終わる。…と言うこともなく、それを成すためには日本全国の大名を呼び集めて、私の前で平伏させなくてはいけない。
ようは稲荷大明神にはそれだけの力がある凄い存在だと、この国の民にきちんと自覚させるのだ。
(…まるでガキ大将にでもなった気分)
とにかく日本の何処かで戦が起きたら、すぐに介入して場を収め、逆らう者はぶん殴ってでも強引に服従させる。これができなければ、誰も私を征夷大将軍とは認めてくれないだろう。
今回は北条氏康の領土を奪うことになるのだが、一応文を送って頼んでみるつもりだ。しかしこのままでは反対されて、戦になる可能性が高い。
そして征夷大将軍に敗北は許されず、やるからには絶対に勝たなければいけない。それも圧倒的な大差でだ。
「まあ、成るように成ります」
「…であるか」
「ですがもし戦になれば、敵味方が明確になりますし、悪いことばかりではありません」
少なくとも松平、織田、今川、武田、斎藤が私の味方なのは、既に明らかになっている。あとはいつも通り、出たとこ勝負だ。
しかしこんなことなら、もっと事前に懐柔工作をしておけば良かったと後悔したが、あの時はその場の思いつきと行きあたりばったりで、一刻も早く征夷大将軍になり、戦国時代を終わらせることしか考えていなかった。
そして現代の女子高生には戦の駆け引きはわからないが、その辺りは慣れている人に全面的にお任せしよう…と、夜が更けるまで三人で話し合いを続けるのだった。
本編はこれにて完結となります。
次回からは山も谷もなく、年代ジャンプが多発する番外編となります(江戸時代が平和過ぎるので)
そういった展開が苦手な方はご注意ください。
なおそれでも相変わらず、厄介事は起こるのですが…。




