三十話 天草四郎(5) 商船
島原城から海岸沿いを移動すること二時間と少しで、遠目に港町が見えてきた。
案内役の話では、そこの大商人の息子が天草四郎である可能性が高い。
それがわかったのが、ちょうど今朝のことらしい。何ともタイムリーな情報だが、私にとっては都合が良かった。
なのでとにかくまずは、彼に面会することから始めなければいけない。
現在は藩主とその部下、そして領民の仲は険悪の一言に尽きるが、こういう時こそ神皇である私の立場が生きてくる。
ちなみにキリスト教と稲荷神は相性が悪いが、人類みな兄弟とは言わないものの同じ日本人が相手なのだ。
一揆ではなく抗議活動に留まっているうちならば、話せばわかってくれるだろうと、私は楽観的に考えながら犬ぞりを走らせた。
港町に近づくにつれて、段々行き交う人が増えてきた。
通行人とぶつからないように慎重に犬ぞりを操る必要があるが、狼たちは賢いので、いちいち指示しなくても上手く避けてくれる。
それに私を中心にして、護衛が円陣を組んでいるので領民は近寄れない。
街道の拡張工事を行っても横幅がまだ狭いため、注意しておくに越したことはない。
おかげで注目を集めはするものの、中心地の私は隠れて殆ど見えないため、そっちの意味で目立たなくて本当に助かった。
やがて目的の港町の目の前まで来て、何やら周囲を木の柵で囲んで、通行人を検問をしている姿を見かけた。
現在キリスト教の信者が団結して、抗議活動を行っている最中なので、警戒するのも無理はない気がする。
それにしても、これでは天草四郎に会うのも一苦労だ。
私は、さてどうやって通ったものかと頭を悩ませて、気分を変えるために何となく海を眺める。
そこには小舟で漁をしているだけでなく、大型の商船が頻繁に行き来していた。
次に検問の向こうの町中の大通りに視線を向けると、様々な露天が並んでいる。
先代が亡くなる前まで圧政が続いていた島原藩にしては、かなり活気があることに気づく。
(領民はキリシタンが多数派。いくら年貢や税率を圧政前に戻したとは言え、回復が早すぎない?
もしかしなくても、上の命令には従わずに好き勝手やってるのかも知れないね)
神の子である天草四郎を上に立てて、徹底抗戦の構えを取っているのが伺える。
勝手に検問しているということは、年貢や税金も踏み倒している可能性が高いが、元々石高を過剰に見積もって取り立てを厳しくしていたのだ。
反旗を翻すのもある意味では当然であり、私からは何とも言い辛いが、一揆を起こすまでに至っていないのが幸いとさえ思えた。
しばらく検問の列に並んで順番を待ち、あと数人ほどで審査を受ける段階になった時、私はあることに気づいて慌てて周囲を見回す。
「稲荷神様、いかがされましたか?」
「いえ、少し気になることが」
護衛の一人が小声で尋ねてきたので、私は警戒しながら答える。
そしてたった今出港し、大海原の向こうに遠ざかっていく船団に目星をつけて、じっと見据える。
はっきりとは言葉では言い表せない嫌な予感がしたので、念の為にお供の者たちに命令を出す。
「少しの間で良いので、周囲を静かにさせてください」
「了解致しました!」
すると護衛の者たちが、一斉に刀に手をかけて大声を出す。
「稲荷神様の勅命である! 全員今すぐ口を閉じて大人しくせねば、即刻切り捨てる!」
そう堂々と告げると、周りの人たちは皆震え上がり、一言も喋らなくなる。
きっと彼らは私の名前が出たことで、円陣の中央に居るのは稲荷神だと半信半疑ながら、理解したのだろう。
取りあえずこの場に居る者たちには、神皇の権威が通じて良かったと思う反面、無駄に怖がらせてごめんなさいと心の中で謝りながら、違和感の正体を確かめるべく意識を集中させる。
波の音や人の息遣い、風や虫の音、その他諸々の雑音の中から、何とか目的のモノを拾うことができた。
だがこれを聞いた瞬間、私は瞬間湯沸かし器のように速攻でブチ切れてしまう。
「お父、お母、誰か、助けてぇ!」
「ぐすんっ、人買いに売られるなんて、嫌だよぉ!」
「お家に帰りたい! 家族に会いたい!」
方角として先程出港した商船だが、そこから何人もの女子供の悲鳴が絶え間なく狐耳に入ってくる。
私は、とてもではないが平静ではいられなかったし、微笑が消えて、段々と無表情になっていく。
やがて、もうこれ以上は聞くに堪えないと判断したので、耳を澄ませるのを止めて、大きく息を吐いて気持ちを切り替える。
そして周りの護衛に声をかけた。
「あそこの商船団は見えますか?」
「よく見えますが、それが如何されましたか?」
港町を出たばかりの船団を指差すと、お供の者たちが道を開ける。
私が指し示す場所には、何隻もの船が帆を張り、悠々と海原を移動していた。
これは憶測だが可能性が高いため、たった今聞いたばかりの事実を伝える。
「あの船団は、奴隷販売を行っているようです」
「「「えっ!?」」」
私の命令で静かにさせていたので、お供の者たちだけでなく通行人や町の人たちも、一斉に驚いた。
そして現状では、どうしてわかったのかという理由を詳しく説明している暇はないし、証拠を押さえないと可能性止まりだ。
実際その目で見なければ確証はないのだが、自分の中ではもう奴隷商人としか思えなかった。
ちなみにだが、人買いは戦国時代は違法ではなかった。
幕府を開いてからの稲荷維新で、奴隷の売り買いは禁止にしたのだ。
たまに裏ルートで流通させている闇商人も居るが、そういった輩は少なくともお膝元の江戸では見なくなって久しい。
しかし今のように、地方で極稀に見つかる場合もある。
この事実は、未来の価値観を持つ私にとっては不快でしかない。
同族である日本人が物のように売り買いされて、奴隷として酷い扱いを受けている。
それを知ってしまった以上は、到底見過ごせるはずがなかった。
なので私は、隠しきれない怒りが声として外に出てしまったが、構わずに宣言する。
「あの商船団を拿捕します」
「でっ、では! 急ぎ早舟の手配を!」
島原藩の案内役が興奮した様子で、港町で早舟を借りようと提案する。
しかし問題の商船団は、今もどんどん遠ざかっている。
下手すればこっちがもたついている間に、地平の彼方に逃してしまうかも知れない。
「時間をかければ追跡が困難になります。私が直接向かいます」
「「「ええっ!?」」」」
本日二度目の驚きだが、私にはそれに気にしている余裕はなかった。
今やらなければいけないのは、奴隷商船を摘発して、捕まっている人たちを自由にすることだ。
「何より不正が行われている以上、何処に仲間が潜んでいるかわかりません」
「たっ、確かに! 港町の住人が加担していることも、十分に考えられます!」
だが今はまだ、誰が奴隷販売に手を貸しているかは明らかになっていない。
たとえ早舟を借りようとしても、もしその相手が犯人グループの一員だったら、あの手この手で時間稼ぎを行う可能性も十分にあり得る。
そのような事情もあり、これ以上の問答は不要とばかりに、犬ぞりから飛び降りて地面に着地する。
そして私は、もはや一分一秒でも惜しいと考えて、海岸に向かって勢い良く走り出した。
「貴方たちは、各々の判断で行動してください!」
「了解致しました! すぐに追いつきますので! しばらくのご辛抱を!」
別に援護は必要ないが、自分は日本の最高統治者だ。立場上護衛を付けられて当然なので、甘んじて受け入れる。
だが私としては、可愛い孫が私のために体を張って頑張っているように見えて、少しだけ微笑ましく感じた。
それはともかくとして、走って砂浜に到達した私は、泳ぐのではなく、水面を走るようにして海を渡りだした。
漫画やアニメで良くある、右足を踏み出したら沈む前に左足を前に出せば、水面を走れる。そんな滅茶苦茶な発想である。
しかし狐っ娘の不思議パワーを両足に回して、人並み外れた身体能力を合わせれば、沈むことなく目的の商船団に向けて、海上を一直線に疾走できる。
本当にとんでもない肉体スペックだと思いながら、囚われている子どもたちを助け出すために、私は恐れることなく危険地帯に真っ直ぐ突っ込んでいくのだった。




