新しい家族
田園風景を見た限り、今の季節は多分夏だ。私が寝ている間にかけてくれたと思われる麻の服を横に、退かして丁寧にたたみ、軽く伸びをする。
辺りを見回すと、おじいさんとおばあさんの姿はなかった。時計がないので何とも言えないが、きっと朝が早いのだろう。
「……お腹空いたな」
昨晩の混乱状態だった記憶を辿ると、夜中に招き入れてくれたあとは、私が眠るまで二人はそばに居てくれたが、物を食べた覚えはないのだ。
なので大泣きして精神的には落ち着いたが、今度はお腹が空いてきた。
「あっ、お粥だ」
木製のオボンの上に置かれた欠けた茶碗には、お粥がよそってあった。精神的な色々限界だった私を気遣ってくれたのかはわからないが、弱った胃に優しいのでとても助かる。
取りあえずノソノソと移動し、一緒に置かれていた箸を手に取り、きちんと正座してから、いただきますと手を合わせる。
「ん、冷めてる。でも……美味しい」
空腹なせいもあるが、おじいさんとおばあさんが自分のために作ってくれたのだと思うと、また涙が溢れてしまい、ちょっと塩っぱい味になったが美味しかったので問題なしだ。
品種改良されてないので未来とは色も味も違ったり、玄米で消化や質が悪くても気にならない。
食事を終えてお腹が膨れると、何はともあれ元気は出たので、箸を置いてごちそうさまでしたと告げた後、腕を組んでこれからのことを考える。
普通なら元の時代への帰還を目指すべきだろうが、その手段には正直見当がつかない。一番可能性が高いのが、最初に自分が倒れていた朽ち果てた社だ。
しかし怪しい場所は見当たらなかったし、もし帰れたところで、人間の姿と記憶が戻る保証は全くない。
ならば帰還不可能だった場合に備えて、この時代で生きていくことを前提に行動するべきではないのか。
「でも狐っ娘幼女だし。何より頭そんなに良くないからなぁ」
腕を組んでウンウンと唸って色々と考えてみるが、全くと言っていいほど名案が浮かばない。それでも鏡はないが、老夫婦の会話で今の私はお稲荷さんだと知ることができた。
身体能力が大幅に向上しており、自由に大きさと温度を調整できる狐火も出せるが、それで何ができるかと言うと、やっぱり首を傾げてしまう。
どれだけ強くても戦うのは好きではないし、下手に喧嘩を売って妖怪として退治されるのはごめんだ。
それに私は日本史の成績が悪かったので、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康等の有名武将の名前ぐらいしか知らずに、彼らにどんなドラマがあったのかは、全く記憶に残っていない。
永禄という年号から、戦国時代だと閃いたのは、奇跡だと言える。
茶碗と箸を片付けようと流し台を探すが、現代社会とは勝手が違うのか、キョロキョロ周囲を見てもこれといった物が見当たらずに、仕方ないのでその場に放置することに決める。
あとで見かけたらお礼を言っておけば良いだろう。
「……ん?」
私は諦めて再びその場に腰を下ろすと、聴覚に優れた狐耳に反応があった。外から大勢の人間の足音と話し声が、だんだんと近づいてくる。
もしかしてこの家の老夫婦が私のことを村人に教えて、妖怪退治に来たのでは…と考えたが、それにしては殺気は感じず、何処となく喜んでいる雰囲気だ。
私はどうしたものかと考えながらも良い案が出ずにオロオロしていると、やがて玄関の引き戸が外がガラガラと開けられ、昨日のおじいさんが顔を覗かせた。
「おお、稲荷様。目が覚めたようじゃな」
「はい、昨夜は泊めていただき、それにお粥もありがとうございます」
「ほほほっ、気にすることはありませぬ。…それよりも」
お粥をごちそうになったお礼に頭を下げて、おじいさんの背後を見る。
すると多分村に住んでいる住人だろうが、十を軽く越える老若男女が、揃って興味津々という表情で扉の隙間から私のことを観察していた。
「あの、……そちらの方は?」
「うちの村の者たちじゃよ。皆、稲荷様を一目見ようとのう」
確かに気持ちはわかる。昔は神様の存在を信じられていたことから、この耳と尻尾がピョコンとはみ出た紅白巫女姿の私を、幼い稲荷様だと勘違いされてもおかしくないのだ。
しかしいくら信頼関係を築いても、中身が現代の女子高生などとは口が裂けても言えないので、決して公表せずに墓まで持っていくのは確定だ。
「一応、狐火は灯せますよ」
「「「おおー!!!」」」
右手を前に出して熱くない青い炎をパッと灯すと、村人たちの表情は驚きに変わる。自分としては灯りや種火代わりしか思いつかなかったが、稲荷様ロールプレイとして信用を得るには便利そうだと実感した。
「稲荷様は、やはり山の社から来たのでしょうか?」
「はい。山の社で合っています。しかし帰れなくて困っているので。しばらくの間、村に置いてもらえればと…」
昨晩は本当の幼子のようにワンワンと大泣きしたので、私が家族と離れ離れになり、元の世界には帰れないのは既に知られているだろう。
ならばあとは適当なカバーストーリーをでっち上げて、稲荷様っぽく振る舞えば、取りあえずの辻褄は合う。
幸い今の幼女体型なら、物心がついてすぐに地上に来た。あいにく向こうのことは殆ど覚えていない。
そうはっきりと口にすれば簡単に誤魔化せるので、ある意味子供で助かったと、ホッと胸を撫で下ろす。
村人たちが大勢で何やら話し合っているのを横目に、私の表情こそ穏やかだが、もし住むのを断られたらどうしようと、内心ではかなり緊張していた。
やがて集団の中から一人がこちらに進み出て、笑顔で口を開く。
「我々は構いません。むしろ稲荷様にこの村に住んでもらえて、感謝したいぐらいです」
他の村人も皆好意的らしくにこやかな笑顔であった。取りあえずは許可が取れたので、しばらくの間は村に住まわせてもらえることになり、一歩前進である。
とにかく少しずつでも、戦国時代で生きていく術を身に着け、地盤を築いていかなければ、あっという間にあの世行きだ。
詳しいことは知らないが、今の日本では毎日のように戦が起こっている。まさに生き地獄という時代だ。
自分自身がそもそも直接戦うのは好きではないので、なるべく平穏に暮らすために稲荷神っぽく演じて、村人たちから生活用品を分けてもらうのが良いだろうと、私は足りない頭であれこれ考えるのだった。
お稲荷様(偽)である私が何処に住むかだが、山の中腹にある社の近くが良いのではないかと、村人たちは満場一致でそのように決まった。
自分としては普通に村の一員として住まわせてくれればいいのだが、やはり神様は人間よりも遥かに格上であり、特別扱いしないと世間的に不味いらしい。
言われてみればもっともで、これから先に下々の者である人間から無理難題を言われないためにも、自分は神様だと暗示をかけて、人間の命令など聞く必要はないという、今の扱いを受け入れることにした。
今の私にできるのは、人並み外れた身体能力と狐火ぐらいなので、雨乞いや豊作を祈願されても正直困ってしまうのだ。
「稲荷様! これでどうでしょうか!」
麓の村の衆が総出で、山の中腹にある社の境内の下草を刈り、稲荷様の御神体が安置された本殿のすぐ横に、掘っ立て小屋(社務所)を建ててもらった。
「ありがとうございます。皆さんのおかげで、本当に助かりました」
「いえいえ! 五穀豊穣の神様である稲荷様を祀るのは、当然のことですから!」
ここまで一週間という短期間で完成したが、有り合わせの木材を使ったので、継ぎ接ぎだらけで隙間風は吹き込むし、見た目もオンボロであり、地震が来たらすぐに崩れそうだが、何より無料なので贅沢は言えない。
今は夏の忙しい時期でもうすぐ稲の収穫が間近だ。そんな時に豊穣の神である稲荷様がひょっこり現れたのだから、縁起を担ぐという点では重要なのだろう。
私の手助けは豊作祈願に繋がるのかも知れないが、手に職のない現代の女子高生にとっては非常にありがたい。
仕事を終えて麓に下りていく大勢の村人たちを、笑顔で手を振って見送りながら、そんなことをぼんやりと考えるのだった。
「さて……と、これからどうしよう」
立て付けが悪くガタつく玄関の引き戸を開けて、入ってすぐの右手にカマド、左に倉庫、正面には一段高い畳の大部屋に家財道具の一切が置かれ、仕切りがなく窓も木枠で外から丸見えの状態のあばら家の敷居をまたぐ。
土間に下駄を揃え、村の皆で古い畳を出し合ってくれたようで、上にあがらせてもらい。さらにペラペラの煎餅座布団を敷いて、中央の囲炉裏の前にありがたく座らせてもらう。
本来は格式高く、高位の僧侶や高貴な人のみが使用を許されているらしいが、未来を知る私にとっては、ただの丸形煎餅座布団に過ぎない。
ちなみに座布団は綿が入ってない厚い麻なので、何も敷かないよりはマシ程度だ。なので割と切実に綿花が欲しくなったので、村の人にそれとなくお願いしておいた。
「とにかく生活用品一式は全部中古だけど、村の人たちからタダでもらったし、食料も置いていってくれた。
湧き水も年中凍らずに流れてるようだし、水の心配がいらないのは良かったよ」
稲荷様の御神体へのお祈り前に、汚れた手を清めるのが主な使用目的だが、別に飲めないわけではないし、山の中腹に登ってくる村人たちも普通にガブガブ飲んでいる。
社の近くの急な崖に木枠の管を岩盤の隙間に突っ込んであり、そこから自然に湧き出てくるので、この時代の井戸水よりは腹を下す確率は低そうである。
もっとも、狐っ娘が腹痛を起こすかは不明なのだが。
「あー……お風呂入りたいなー」
目の前まで迫っていた危機を回避したことで、心に余裕が生まれ、今までは緊急ということで横に置いていた雑念がひょっこり顔を出す。
一応薪はもらったがカマドで火を起こすのが精一杯の量であり、一から十まで狐火で代用しようにも、使い慣れないうちは火力調整が難しい。
「そもそも五右衛門風呂もないしなー」
煎餅座布団に座って腕を組んで考えるが、相変わらず空っぽの脳みそでは良い考えが浮かばない。
現代の女子高生としては、毎日お風呂に入って体を洗わない生活は、とてもではないが耐えられない。
しかし木材資源全盛期である戦国時代の日本では、鉄は貴重であり、大釜を作ってくれと言っても、そもそも鍛冶職人でない私では、何処をどうすれば五右衛門風呂ができるのかがわからない。
さらに今は先立つものがないし、下手に要求をすれば、怒り狂った村人にせっかくの住処を追われるかも知れない。
「汗臭いからお風呂入りたいー。でも水浴びは嫌ー」
参道から外れるが、傾斜を下った先には渓流が流れており、詳しい種類は知らないがイワナかヤマメが泳いでいて、水もとても澄んでいる。
川での水浴びか。湧き水を桶に貯めて布の切れ端で体を拭いてもいいが、やはり浴びるほどのお湯を使って、体をゆったり沈めたいと思ってしまうのは、現代の女子高生のサガと言っても良いだろう。
「はぁ……お腹空いたし、おにぎり食べて今日はもう寝よう。……グスン」
やはり元の時代に帰れないことと、自分や家族や友人の記憶がなくなってしまったことで精神的に不安定になってしまう。
今も夜の闇に包まれても小屋の中で安全だが、山中でたった一人という現実は変わらず、無性に心細い。
独り言が多いのも寂しい気持ちを紛らわせるためだが、若干涙目になって鼻をすすりながら、作り置きの握り飯を小さな口に運ぶ。
村の人の心遣いを感じて多少は気が楽になり、やがてお腹が膨れたようで、あくびをしながら畳の上で横になる。
適当な衣服を上にかけると、数分もしないうちに、スヤスヤと寝息を立て始めるのだった。
夜中に妙な物音を感じて目が覚める。相手は足音を殺して小屋を取り囲んでいるようだが、狐耳は普通の人間よりも遥かに良く聞こえるのでバレバレだ。
おまけに夜目も効くので、木枠の窓の隙間から外の様子をこっそり伺うと、数匹の野犬の姿を確認できた。
玄関は閉めてあるので家の中に居る限りは安全だが、絶対ではない。それにこの先もずっと付きまとわれたり、参道を登ってくる村の人が襲われたら一大事だ。
(私に退治できるかな? うーん、……何とかなるでしょ!)
元々はインドア派な気がしたが、今は村の人に混じって重い材木をまとめて担いで山道を駆け上がったり、無駄にアクロバティックな動きを披露したりと、お稲荷様の身体能力は相当高かった。
それにいざとなれば狐火がある。山火事を起こすわけにはいかないので、低温状態を維持して空中を漂わせるだけだが、それでもびっくりさせて追い散らすことはできる。
とにかく万が一の備えがあるのは心強い。
私が撃退方法を考えている間にも、野犬は小屋の周囲で匂いをかぎながらウロウロしているようで、木枠の窓の隙間から様子を窺いながら、飛び出すタイミングを慎重に図る。
噛みつかれたら大変なので、家の倉庫にあった手頃な長い棒を武器にして、玄関脇に身を潜める。
「……今だっ!」
狐耳が音を拾ってすぐ近くまで接近したことを確認すると、玄関の引き戸を開けて勢いよく飛び出した。
驚いて固まっている野犬めがけて、木の棒を勢いよく振り下ろす。
「ぎゃうんっ!?」
「よし! 次っ!」
そのまま、二匹目、三匹目、山の奥に逃げようとした四匹目と五匹目までも、何故か追いつき追い越しで一瞬で正面に回り込んで、脳天めがけて木の棒を振り下ろしていく。
そして結果的に、ワンショットスリーキルとは違うが、野犬の群れを見事一撃で再起不能にすることに成功したのだった。
逃げようとしたワンコを引きずって、社の前まで連れて来ると、一番最初にぶっ叩いた犬がヨロヨロとだが起き上がって逃走を企てていたので、木の棒アタックの二発目を食らわせて、無理やり大人しくさせる。
その後、五匹を境内の一箇所にまとめて見下ろしながら、勢いで退治しちゃったけど、これからどうしようか…と、頬に手を当てて考える。
ワンコは皆、恐怖のあまりガタガタと震えており、どうやらどちらが格上なのかを、完全に理解したようだ。
「犬なら家で飼えるかな?」
正直一人ぼっちはとても寂しいので、アニマルセラピーとして一緒に居て欲しいのが本音だ。
木の棒でバンバン叩いてしまったが、やらなきゃやられる状況だったので仕方ない。
取りあえず私は、ここで待つようにと完全に萎縮したワンコたちに告げると、一度小屋に引っ込んだ。
その後、入ってすぐ左の倉庫から鹿の肉を探し出すと、無造作に手に持って再び外に出る。
「きっと鹿肉の匂いに釣られてきたんだろうね。
食べてもいいけど、私の命令には従うこと。……わかった?」
「「「バウバウ! バウワウ!」」」
ワンコたちが必死にコクコクと頷いているので、私は手に持った鹿肉を群れの中心に放り投げると、皆で取り合うように勢い良く食べ始めた。
しかし余程空腹で足りなかったのか、あっという間に完食し、物欲しそうなつぶらな瞳が飼い主を射抜く。
「うぐっ! しっ、仕方ないなぁ! でも、今日だけだからね!」
ハッハッハ…と嬉しそうに尻尾を振るワンコたちの可愛らしさに胸キュンしつつ、私はニコニコ笑顔を取り繕うことなく、もう一度鹿肉を取りに倉庫へと向かう。
人間ではないが家族ができた嬉しさもあるのかも知れないが、とにかくこれで寂しくはなくなった。
しかし犬にしてはやけに体が大柄に見えるのだが、今はお肉をあげることが重要だと、私は考えることを止めたのだった。