二十四話 北海道(3) 準備期間
元は長山村のみだったが三河に広まり今では全国の恒例行事になった稲荷祭。
それが今年も、無事に行われることが正式に決定した。
さらに新たな特別な出し物を行うと前もって告知したため、全国から見物客が押し寄せてくることが予想される。
稲荷祭の当日は大変混雑するのはほぼ確定なため、周辺の駐屯地から自衛隊に出動要請を出す。
万が一に備えて救護場を設置したり、治安維持活動に専念してもらうことになった。
ちなみに私が企画した宝クジだが、全国の稲荷神社から同時発売することになった。
うちは宵越しの銭は持たない経営方針で、神主さんや他の従業員も賛同してくれている。
これは戦国時代でよく見かけた腐敗した宗教法人ではない。
稲荷神社は清廉潔白であると、アピールする狙いがあった。
だがこの志に感銘を受けた民衆から多額の寄付が集まり、余計に運営資金が増えるという悪循環に陥ってしまう。
本当にどうしてこうなったと、主張したい気分であった。
容易には使い切れない程の銭を、民衆に還元するための宝クジだ。
これを未来の貨幣価値における、三百円で販売する。今の時代で言えば十文ほどなので、庶民のお財布にも優しい意見を押し通した。
他の神社仏閣が行うならまだしも、稲荷大社は民衆の味方なので、高額な値段設定は極力避けるべきだ。
あとは宝クジの一等なのだが、幕府の役人からの意見は未来で言えば八千万円とか、夢を売る気あるの? と、思わずツッコミを入れたくなった。
だがまあ、これでも庶民からすれば物凄い金額には違いないので、冷静に考えれば悪くない賞金設定かも知れない。
物は試しということで、今回は一等は八千万円にして、その他の等を増やし、未来の日本よりも当たりやすくした。
花火では使い切れない運営資金を宝クジに回したので、多くの民衆が夢を叶えて市場を活性化させることを期待したい。
なお、偽の宝クジを防ぐために透かしや連番、特殊な判子など、色々な細工を施した。
手間暇かけたおかげで、偽装防止の技術が発達したのは嬉しい誤算だと言える。
だがしかし、宝クジの全国同時発売などという無茶をやったがために、職人たちや稲荷神社関係者が漏れなくヒギイした。
さらには販売開始の初日に長蛇の列が出来てしまい、たったの数日で各地で売り切れてしまう。
そのため、最初は亀と鶴の二パターンしかなかったが、あ~わ行の宝クジも追加で売り出すことが、急きょ決定したのだった。
それでも何とか販売に漕ぎ着けて、購入希望者全員に行き届いたのは幸いだった。
ちなみに一部の大名や役人まで列に並んで、気に入った連番を大人買いしている姿が目撃されたらしい。
その際に縁起を担いだのか、稲荷と狐が飛ぶように売れた。
これもあの御方が戦乱の世を終わらせたおかげだと、何だかんだでワッショイワッショイが加速したが、この程度ならまだチベスナにはならない。
だがお金を持っている大名や商人の大量購入が相次いだため、お一人様何枚の制限をつけるハメになったのは、本当に勘弁して欲しかった。
一方で花火はどうかと言うと、火薬の基礎は現時点で出来ていた。
あとは試行錯誤を行い。色を付けたり打ち上げたり、花のように見える構図を練るだけだ。
見本として私が、花火とはこういうモノだとばかりに、職人たちを前に狐火を夜空に打ち上げることで、青い花を咲かせた。
だが狐火は青一色だし、勢い良く放出したときの風切りや、パッと花開く爆発音は出ない。
なので、見た目も演出も地味なのは否めない。
そのために私は、工夫で補うことにした。
夜空に咲くのは花だけではなく、犬や猫、狐や狸などの可愛らしいキャラクターを演出したのだ。
あとは金属を混ぜて燃焼させるという見本を提示したら、現場の職人に丸投げではある。
技術の発展は失敗と試行錯誤の積み重ねだ。
火気厳禁で、安全管理に細心の注意を払うようにと再三忠告する。
「もし間に合わなくても、来年も秋祭りがあるので大丈夫ですよ」
場当たり的な思いつきで、こっちが無茶な注文をしている自覚がある。
安心させようと口に出したのだが、これが花火職人たちを焚きつけることになってしまう。
結果的に彼らのやる気は急上昇して、脇目も振らずに仕事に取りかかったのだった。
後日談となるが、私は宝クジと名付けた。だが世間では、稲荷クジと呼ばれるようになった。
また、他の商人や神社仏閣がすぐに真似して、大々的に宣伝して販売を始めた。
自分がクジを全国で売り出し開始したのが初夏で、稲荷祭は秋の終わりだ。
当選番号を発表するまでが長いので、その間に利に聡い者が飛びつくのは容易に予想できることではある。
なので私は、どう対処したものかと頭を悩ませたが、徳川さんや幕府の役人たちは全く心配していなかった。
そんなこんなで面の皮が厚い、もしくは二匹目のドジョウを狙う気満々の者たちは、正式名称が宝クジなのを良いことに、自分たちこそ稲荷クジだと堂々と宣言した。
しかし民衆は誰一人としてその名で呼ばず、差別化するためか、勝手に富クジと呼称するようになった。
その富クジだが、一枚につき金一分から二朱ほどの価格で販売された。
これは未来の貨幣価値に換算して、一万から二万円ほどの高値である。
一般庶民には手が届かないので、複数の家庭からお金を出し合って購入する者が何人も出るほどの、大人気となった。
現代的な金銭感覚で一枚三百円で売り出していた私は、これを聞いて唖然とした。
だが確かに、富クジで儲けようと考えれば、そのぐらいの価格設定はむしろ妥当と言える。
そもそも自動化が進んでいないので、一枚一枚手作業で刷らなければならず、真面目に作ろうとすれば、かなりの労働力が必要になる。
おまけに賞金の交換も人手がいるし、稲荷大社の事務員は当分家に帰れなくなるのは確定である。
しかし一等は稲荷クジと同額なので夢は見られたはずだが、全体的に当選確率がかなり渋かったのは、お察しと言える。
ちなみに結果だけ言うと、日本全国で雨後のタケノコのように大量発生した富クジに、民衆が熱狂して夢を見たのは最初だけだった。
二回目以降は殆ど見向きもされなくなり、稲荷祭で当選発表が行われた後は、自然消滅した。
ギャンブルというのは、最終的に親が勝つようになっているのが普通だ。
しかし稲荷クジの場合は、子が勝つように調整されている。
なので富クジよりも当たり率が激高であり、夢を叶える人も多い。
このような事情もあり、雨後のタケノコは急激に数を減らしていくのだった。




