二十三話 宣教師の扱い(4) 琉球王国
<琉球王国の役人>
日本の年号で例えると、永禄十年の春頃のことだ。
琉球王国は薩摩藩、正式名称は鹿児島領と貿易を行っている。
その際には、当然向こうの情報も流れてくるし、密かに収集していた。
そしてどうやら、最近の日本は長らく統治者をしていた足利将軍家が退位して、代わりに稲荷神と名乗る正体不明の少女が即位したらしい。
薩摩の者たちは本物の稲荷神だと信じているようだが、琉球王国に属している我々からすれば、何度聞いても胡散臭い。
なので征夷大将軍が住むと聞いた関東の田舎、今は江戸と呼ばれているが、琉球国王に確認を取った後、長年の付き合いのある大商人に船を出してもらう。
他にも疑問を持った役人仲間を引き連れて、公式の視察に向かったのだった。
江戸の港に着いた我々は船から降りて、辺りを見回す。
すると田舎に居を構えてからまだあまり経っていないというのに、大層な賑わいで、とても活気に溢れていることがわかった。
理由を聞けば、稲荷神を名乗る少女が表舞台に立つのが、ちょうど今日らしい。
貿易商人が気前良く船を出してくれたのは、これが目当てかと納得する。
彼も直に拝む機会を、楽しみにしていたに違いない。
そして人の流れに逆らうことなく、我々は稲荷大社を目指して歩いていく。
近づくほどに混雑は増していき、あちこちに露店が立ち並んで、誰もが熱心に客寄せしている。
「ふむ、稲荷神様も絶賛と書かれていますね」
ふと食欲を誘う匂いに惹かれてそちらを見れば、鉄板の上で串に刺した魚の切り身を焼いている屋台があった。
のぼりには、自分が今口に出したことが書かれているが、それを聞いた案内役の商人がすぐに説明してくれた。
「うなぎの蒲焼ですね。稲荷神様が直接この店でお食べになられたかは不明ですが、好物なのは本当ですよ」
征夷大将軍の好物と言うことは、うなぎの蒲焼が不味いわけがない。
琉球王国では見かけない食べ物だが、俄然興味が出てきた。
だがそれにしても、屋台料理にしては少し高いので、どうにも躊躇ってしまう。
「ここは私が出しましょう」
「ありがとうございます」
「いえいえ、誘ったのはこちらですから」
銭を払ってくれた商人に礼を言って、人数分の蒲焼きを屋台の料理人から受け取る。
それを一口齧ると、この世のものとは思えない濃厚な味が口内に広がった。
何というのか、筆舌に尽くしがたい。
「むう、飯か酒が欲しくなりますな」
「私も何度か食べているので、気持ちはわかります。
ですがここで時間を使っては、稲荷神様の降臨を見逃してしまいますよ」
確かに商人の言う通りなので、出来ればずっと味わっていたかったうなぎの蒲焼を食べきったあとは、店の前に置かれた指定の屑入れに、不要になった串を放り込む。
「何故食べ終わった串を回収するですか?」
「町の衛生を保ち、病魔を予防するためです。
実際目に見えて綺麗になりましたし、不潔にするよりはいいでしょう?」
商人の返答に今いち納得できなかったが、そんなものかと取りあえずは頷いておく。
確かに町が汚れているよりかは、綺麗なほうが良かった。
ともかく我々は再び歩き出して、人混みをかき分けながら何とか境内に入れた。
だがそれ以上は、進めなくなってしまった。
幸いなことに、狐の耳と尻尾を生やして艷やかな狐色の長髪が特徴的な、美しい少女の姿をこの目で見ることは出来た。
彼女は舞台の上に立って、集まった民衆たちのために、堂々とした立ち振舞いで士農工商という身分制度について説明していた、
その天女もかくやといった容姿や場の雰囲気に圧倒され、しばしの間、思わず呼吸も忘れて見惚れて聞き入ってしまった。
結局内容に関しては半分も理解できなかったが、過去の征夷大将軍とは明らかに違う。
そしてこれまでとは常識が異なる新しい国として、日本が生まれ変わったことだけは、はっきりと確信したのだった。
そして時は流れて永禄十年の夏、琉球王国の首里城内は、上を下への大騒ぎになっていた。
原因は日本の征夷大将軍が、新たに任命されたからである。
その件について、王朝では毎日熱心な議論が交わされていた。
私は直接彼女をこの目で見た。そして琉球王国に帰還した後に他の役人たちと話し合い、国王にある提案をしたことで、他の役人たちからの大反対を受けて、派閥争いが勃発した。
なので首里城内では事あるごとに諍いが起きてしまい、現在に至るまで決着はついていない。
今朝から謁見の間に主だった家臣が集まり、評定を行っている最中だが、互いに牽制したり足の引っ張り合いばかりで、話は全く進んでいなかった。
ちなみに評定の議題は、琉球王国の物資を安く買い叩こうとする明の要求に、どう対応するかであった。
「国王様! 明の貿易に譲歩するのは、どうかお考え直しくださいませ!」
「横槍は止めんか! 明はお前たちが言う島国とは、比較にならぬ程の大国よ!」
向こうも本気で潰そうとは考えていないが、琉球王国は小さな島の寄せ集めである。
大国に強く言われれば黙って首を縦に振るしかないし、とにかく顔色を窺ってご機嫌を取らなければならない。
あとは他により良き貿易相手を見つけるかがあるが、自分や同じ派閥の役人たちはそっちに関しての提案をしているのだ。
奥の玉座に座って渋い顔をする我らの主は、この難局をどう乗り切るか必死に考えているようだ。
だが、これといった打開策がないのは一目瞭然であった。
なので私は他の役人たちと協力し、日本に琉球王国の後ろ盾になってもらって明の脅しを跳ね除ける。
然る後に貿易国として良好な関係を築いていってはどうかと、何度も進言しているのだ。
しかし大国派の者たちの言うことも一理ある。
そのために今朝届いた情報を使って、これまで言いたい放題されていたが、ようやく反撃に出た。
「確かに日本は小国です。大国の明と比べれば、劣っているのは間違いありません」
「そうであろう! そのような小国が後ろ盾になったところで、役に立たぬわ!」
長らく抵抗を続けていたが、自分がようやく非を認めたかと大陸派が勝ち誇る。
しかもそれだけでは済まずに、ここぞとばかりに口々に喧しく騒ぎ立ててきた。
「日本は蛮族が治める国ぞ! 後ろ盾になる条件に、琉球王国に従属要求をしてくるに決まっておろうが!」
「然り! 下等な島国には、これまで通りに我らに利がある貿易のみに留める! それが賢い選択ぞ!」
確かに日本は長らく内乱に明け暮れていたことから、足利将軍家による統治が上手くいっていないのは明らかだ。
大陸派が厳しい評価になるのもわかる。
しかし彼らには申し訳ないが、それは過去の征夷大将軍だ。
今回の最高統治者は、これまでとは大違いだ。
日本を根底から作り変えようとしているのは、この目で彼女を見た我々には良く理解していた。
だからこそ、変わりゆく日本がまだ地盤を固めている間に、琉球王国から歩み寄るのだ。
早いうちに加入すれば、共に栄光の歴史を歩むことが出来るのではと、そんな希望に溢れた未来を夢見てしまった。
きっと彼女はこれまで誰も出来なかった偉業を、次々と成し遂げていくことだろう。
なので日本を蔑む役人たちに、過去の過ちは一旦なかったことにして、これからの未来に目を向けて欲しいと考えた。
そのため恥じることなく、堂々と自分の意見を口にする。
「ところで今の征夷大将軍が、何年で戦乱の世を終わらせたのか。わかりますか?」
「それが一体何だと言うのだ? 何年だろうと大して違わぬわ! 馬鹿馬鹿しい!」
首里城の謁見の間では、あからさまに私たちを馬鹿にするような嘲笑を浮かべる者だらけだった。
しかし、座したままの国王様だけは違った。
「ふむ、何年で終わらせたのだ?」
彼は真剣な表情をこちらに向けて、はっきりと尋ねてきた。
なので私は畏まった態度で背筋を伸ばして、恭しく答えた。
「六年でございます」
「そっ、そんな馬鹿な!」
「そうだ! たったの六年で日本の乱世を治めるなど、ありえぬわ!」
謁見の間の役人たちが慌てふためいているが、私はさらに言葉を重ねる。
「そうですね。日本の統一まで六年なのは間違いでした。申し訳ありません」
「はははっ! そうであろう!」
「やはり十年! いや、最低でも二十年は必要だろう!」
確かに戦乱の世を終わらせようと心に決めてから、実際に全国の大名たちを平伏させるには、並大抵の苦労ではない。
殆どの者が失敗する中で、たとえ成功するにしても膨大な時間はかかるのは間違いない。
だがあいにく、今回も征夷大将軍は従来の常識には囚われていなかった。
そして形だけの謝罪してから、大きな声で彼らに告げる。
「苦しむ民衆を救うために動き始めたのが、永禄三年。
乱世を治めるための天下統一を決意したのが、永禄六年
そして江戸に幕府を開いたのが、永禄九年でございます」
「「「……は?」」」
日本で見聞きした情報を頭の中で整理しながら話しているが、言葉にすると本当に規格外過ぎる。
敵対する派閥の者は揃って口を半開きにして、呆然とした表情を浮かべる。
そんな中で奥に座している国王様だけは、真面目な顔で私に声をかけてくる。
「嘘偽りのない情報か?」
「日本では誰もが信じておりますので、事実でございましょう」
徳川家が広めた偽情報の可能性もあるが、何度も裏を取ったうえで、どうにも本当のことらしかった。
少なくとも征夷大将軍をこの目で見た者たちは、皆が心の底から信じ切っていた。
「あっ! 明らかにおかしいであろうが! たったの六年で日本を統一するなど! このような偉業! 人間には到底不可──」
「今代の征夷大将軍は稲荷神と名乗っており、神の奇跡を体現せし者であると、まことしやかに囁かれております」
言葉もないとはこのことだ。
対立する役人連中は皆口をつぐみ、青い顔をしている。
たったの六年という圧倒的な速さで乱世を治め、神の奇跡を体現する者と聞けば、言葉を失うのも無理はない。
それでも国王様だけは冷静であった。
いや、少し指先が震えているので、内心ではかなり動揺しているのかも知れない。
「日本国の征夷大将軍に、琉球王国の後ろ盾を提案する手紙を出そう。
交渉の使者は、そなたらに任せる」
大陸派とは違う日本派の家臣たちが背筋を伸ばして、国王様に向かって一同に頭を下げる。
「国王様! どっ、どうかお考え直しを!」
これだけ言っても諦めたくないのか、明の脅しを受け入れる選択をした役人が慌てて国王様を制止する。
だが我らが主は、座したままで首を振る。
「日本が琉球王国に無理難題を要求をするようならば、白紙に戻す。これで良いな?」
「ごっ、ご配慮いただきありがとうございます」
敵対する派閥の者たちは、皆渋々といった表情で引き下がった。
これで一応の決着となったが、差し当たっての問題は日本が琉球王国に対して、一体何を要求してくるかだ。
何しろ今の征夷大将軍はやること成すことが規格外で、行動が全く読めない。
もしも明以上に酷い要求をしてきたら、私たちの目は節穴だったことになるが、何故かそんな気は全くしない。
必ず琉球王国にとって良い結果になると、確信めいた予感がするのだった。




