二十三話 宣教師の扱い(1) 舵取り
宣教師の扱いの後となります。事前にお読みください。
永禄十年の新しい年が明けて、各地の大名に稲荷の書を無料配布した。
私から言えばただの小中学校の教科書なのだが、皆はありがたがってそう呼称するのだ。
別に決まった呼び名がないので好きにさせたが、渡す際に江戸幕府の指令書も同封している。
それに沿って領地を経営すれば、戦国時代よりは確実に利益が出せるので、当面はこれで大丈夫だろう。
もちろん反対など許さず、稲荷神と征夷大将軍の権威を使い、有無を言わずに従ってもらった。
一度呼び集めて頭を下げさせた各地の大名を、本音トークで五穀豊穣をもたらすとぶっちゃけ、最後にはウキウキ気分で故郷に錦を飾らせた。
結果良ければ全てヨシである。
そしてその後の稲荷大社の謁見の間では、私と徳川さんと各部署の役人が勢揃いしていた。
これから緩い雰囲気で、江戸幕府の基本方針や今後の予定を話し合うのだ。
どうせ長い付き合いになるのだし、いちいち畏まった態度を取られては、私がやり辛いったらない。
なので、基本的には菓子を摘んだり茶を飲みながらの無礼講で、忌憚のない意見を出すような会議を行うよう。
そう命令したのだ。
そもそも中身が一庶民の私は、政治の表舞台に立って真面目に働くつもりは毛頭ないし、一応大まかな方針こそ出すものの、君臨すれども統治せずを維持したい。
つまり余程の大事で表舞台に引っ張り出されない限り、聖域の森の奥の小さな我が家に引き篭もっているのであった。
それでも征夷大将軍と稲荷神という称号を持つ者として、日本国の舵取りはやらなければいけない。
江戸幕府が私の意見を元にした調整をしてくれてはいるが、方針はこっちが決めるので責任重大過ぎる。
いくら頑丈な胃で回復が早いとは言え、大きな穴が開きそうである。
ちなみに胃痛関連ならば、徳川さんが私の無茶振りで胃腸薬が手放せなくなったのは有名な話である。
彼のためにもよく効く薬の開発を進めさせているが、それでも焼け石に水な気もする。
違う。そうじゃないと言われても、私の出番が必要なくなるまで、果たしてどのぐらいかかるのか皆目見当がつかないのだ。
長きに渡る戦乱の世のせいで、各地の大名や役人からの情報を聞く限りでは、かなり荒廃が進んでいる。
「微力を尽くしますが、この国の立て直しは一朝一夕にはいきません。各自肝に銘じておくように」
そう告げながらお茶菓子の塩せんべいに手を伸ばした私は、これにて閉会と宣言する。
こうして顔合わせ的な会議を終えて、正史とは全く違う江戸時代が始まったのだった。
私は永禄十年の正月三が日を、のんびり過ごした。
そして休み明けに、今後の日本の行末を決めるべく、稲荷大社の謁見の間に各代表を呼び集める。
諜報防止のために警備員を室内外に配置して、万全の体制で会議が始まった。
だがまあ別に聞かれても後ろ暗いことは何もないのだが、とち狂って妨害されないためにも、念を入れるのだ。
私は一段高い畳の上のさらに分厚い座布団に座ったまま、温かなお茶で喉を潤して一服する。
その後、取りあえず開会を宣言したものの、どうやって進めたものかとしばし思案する。
「ところで稲荷神様は、日の本の国をどのように導くおつもりでしょうか?」
そう徳川さんが尋ねてきた。
向こうから話の取っ掛かりを作ってくれるのはありがたいので、私はそれに乗ることにする。
「良い質問ですね。
皆さんは、今の日本の民が一番欲しがっている物は、何かわかりますか?」
「ふむ、食料ですか?」
即答してくれた徳川さんの意見は、至極妥当であった。
人間として最低限の生活を送るためには、まず衣食住を確保することから始まる。
その際に着る物と住む場所が不足していても、ただちに問題はない。
だが小氷河期で食料は殆ど得られないのは何処も同じだ。しかもこっちは、死に直結してくる。
なので他所の領土から食料を奪ったり勢力を拡大して自給自足しようと、全国の大名は戦を起こしている。
まさに生き地獄だったが、私が天下を統一したことで一応の平和は訪れた。
だがまだ戦火はくすぶっているので、もし日本の舵取りに失敗して稲荷神や江戸幕府が信頼を失えば、戦乱の世に逆戻りだ。
ぶっちゃけ命がけの綱渡りではあるが、思えば私がこっちに来てからずっと続けている。
それこそ今さらであった。
何だかんだで長考したが、私が日本をどう導きたいのかは、転生してから全く変わっていない。
それは、快適で平穏な生活を手に入れることである。
つまり未来のように便利な道具に囲まれて、毎日美味いご飯をお腹いっぱい食べる。
明日への不安もなく狼たちと戯れたり、お風呂に入って身ぎれいにした後は、布団に入ってぐっすり熟睡だ。
これは上流階級だけでなく、民百姓に至るまでもたらしたい。
何故なら私は、ゆくゆくは征夷大将軍を退位して元の普通の女の子に戻るからだ。
楽隠居してまで、稲荷神を続けるつもりは毛頭ない。
あくまで一個人として何処か静かな場所で、寿命が尽きるまで平穏に暮らすつもりだ。
その時に、もし便利で快適な生活が上流階級のみの特権では、一庶民として余生を過ごす時に、平凡な私ではとてもではないがのんびり暮らしてはいけない。
そんな諸々の事情があるため、日本の民に五穀豊穣をもたらすための舵取りを行う。
これは既に決めていたことだ。
なので徳川さんや集まった各部署の代表に、私は新たな質問を投げかける。
「では、その食料を確保するために、必ず必要になる物は何ですか?」
「ふむ……これは、該当項目が多すぎますね」
徳川さんだけでなく、他の家臣も考え込んでいる。
これは頭の良い人ほど、パッと思いつく候補が増えるので迷ってしまう。
その際に焦らす趣味はないので、私は早々に答えを口に出した。
「正解は水です」
「水ですか?」
謁見の間に集まっている者たちは皆、何故そこで水? という顔をしていた。
なのでこの時代の人にもわかりやすいように、私は足りない頭を捻って、噛み砕いて説明をしていく。
「米や野菜や家畜、魚や草木、果ては人間に至るまで。
あらゆる生き物は、水がなければ生きていけません」
水を安定的に供給できなければ人は生きていけないし、農業をするのも不可能となる。
その点では日本は恵まれているとはいえ、私は長山村で井戸を掘った経験がある。
いくら水源に近くても、天候不順の影響を受けるので、決して軽んじることはできない。
なお将来的には上下水道完備が理想だが、人力が主な時代なので、かなりの月日がかかることが予想される。
なのでこれは、一旦置いておく。
ちなみに家臣たちも水の重要性を良く知っているようで、何やら難しい顔をして話し合っていた。
「下流の村では水争いが頻繁に起きていると聞くぞ」
「水源に近ければ田んぼ引き込めるが、水量を見誤れば致し方なしよ」
「日照りが起きたときは酷いものぞ。お救米を出しても、餓死者が大勢──」
私は水源近くの村に住んでいたので、そこまで危機感を持ったことはない。晴れ続きでも、せいぜい川の水位がほんの少し減ったかなぐらいだ。
だが役人たちの話を聞き、日本中が割と酷い有様なのを理解してしまった。
これはもしかしなくても、自分の想像以上に今の日本はヤバイのではと、内心で焦り出す。
(もしかして今の日本の水資源は安定供給には程遠く、相当ヤバいのでは?)
最初は水不足を解消するために、全国的に治水工事をしましょう。と、無難な方針を提示するつもりだった。
だがこのままでは、成果が出る前に屍の山を築くことを、たった今、否応なしに理解させられてしまった。
なので足りない頭を捻って、急いでプランBを考える。
犠牲が出るのを嫌う性格が裏目に出た結果だし、何とも難儀な性格だが、自らの精神衛生上やるしかない。
たとえそれが後先考えない、場当たり的に行動だとしても、犠牲を最小限にするためである。
私は腕を組んで、知恵熱が出そうなほど一生懸命考えるのだった。




