二十二話 幕府を開く(14) 寄生虫
村の一角にある朽ち果てた廃屋のすぐ隣には、住民たちのお墓があった。
なお、未来のように光沢のある綺麗な長方形で、何々家の墓と畫かれているわけではない。
適当な大きさの石を置いて、そこに名前を彫るという簡単な作りだ。
そして桔梗ちゃんに案内してもらったお墓以外は、何処も草茫々で荒れ放題だ。
朽ちて寺院か仏閣か判別がつかなくなった建物を見るに、人の手が入らなくなってかなりの年月が過ぎているように感じる。
「神職の方は私が生まれる前に──」
「そうですか」
やはり奇病にかかって逝ってしまったのだと考えていた私は、彼女の次の言葉を聞いて、何と返したらいいのか困ってしまった。
「夜逃げしたらしいです」
「そっ、そうですか」
とにかく、返事をするだけで精一杯であった。
確かに普通の人の感性からすれば、先祖代々の土地なら話は違ってくるが、謎の奇病でいつ死ぬかもわからない村に、永住したいとは思わない。
そして十年近く経っても誰もやって来ないことから、村に蔓延る奇病の被害は相当深刻なのだと察してしまった。
お墓の管理をする人も親族しか居ないため、何処も荒れ放題になるのも納得である。
だがまあ、その辺の事情は置いておいて、今はとにかくやるべきことを先に澄ませるべきだ。
「本当に良いのですね?」
「はい、お父とお母も稲荷神様のお役に立てるなら、きっと本望です」
桔梗ちゃんは何かに耐えるように唇を噛んでいるが、別に怒っているわけではない。
彼女の承諾をもう一度聞いた私は、まずは大人が数人がかりで運ぶような墓石を、よいしょっと持ち上げる。
そしていつも通りに、素手で丁寧に積み上げられた土を掘っていく。
ほんの数分程度で木製の棺の上蓋に指が触れたところで、桔梗ちゃんがおずおずとした様子で声をかけてくる。
「あの、稲荷神様。できれば、二人共」
「わかりました。調査が終わったあとは、私が責任を持って供養しましょう」
「あっ、ありがとうございます!」
そう言って、すぐ隣に埋められたと思われる少し傷んだ棺も強引に引っこ抜き、念の為に中身を確認する。
ちなみにドラキュラが寝るような長細い形状ではなく、樽のように縦長なタイプだった。
確かに棺桶という文字から連想するなら、何となくそれっぽく感じる。
私が桔梗ちゃんにこれに関して尋ねると、すぐに座棺について説明してくれた。
何でも村では死者の体を傷つけることを忌み嫌うようで、火葬ではなく座った姿勢で樽に詰めて、そのまま土に埋めて弔う風習があるらしい。
そんな風習が当たり前に信じられている村で育ちながらも、罵倒や叱責を恐れずに真っ向から立ち向かい、奇病の解決に努める桔梗ちゃんは凄いと思った。
きっとまだ若いので柔軟な発想で行動を起こせたのだろう。
とにかく引っ張り上げた座棺の中身を彼女に確認させると、小さく首を縦に振った。
「お父とお母で、間違いありません」
「では、お借りしますね」
死装束を着せられた二人はガリガリに痩せ細っていても、何故か腹部だけは異常に肥大していた。
これはまさに、奇病と呼ぶに相応しい不気味さであると同時に、闘病生活の過酷さを否応なしに感じさせられたのだった。
とにかく奇病で亡くなった人の遺体は確保した。では次は何処で調査するかだ。
村の住人とは売り言葉に買い言葉で喧嘩別れしたので、協力を得るのは不可能だろう。
幸いにして墓を掘り起こしている間は、周囲に怪しい気配は感じなかった。
しかし、今後邪魔が入らないとも限らない。
ならばと発想を切り替えて、村から離れて例の巻き貝を採取した水場に向かうことに決める。
そこなら武田さんのお触れで、余程のことがなければ村人は近づかない。
私たちには病魔は効かないし、正式な許可を取っているので川や用水路に行っても何の問題もない。
結果、大人二人にしてはやけに軽い座棺を重ねて持ち運び、桔梗ちゃんに再び道案内してもらう。
そして念の為に村人に気取られないように裏道を歩き、例の小川へと向かうのだった。
巻き貝を採取した場所は元々水場として使っていたらしく、ある程度の広さが確保されていた。
なので私はそこに座棺を二つ並べて、奇病の調査を開始した。
なお桔梗ちゃんには素人だが、今は猫の手も借りたい状況なので、臨時の助手として手伝ってもらう。
その結果、紆余曲折あって奇病は病原菌ではなく、例の巻き貝が媒介している寄生虫によって引き起こされることを突き止めた。
さらには寄生虫は水の中でしか生きられず、皮膚から体内に侵入して内臓を機能不全に陥らせ、人間を死に至らしめる。あとは多分だが、他の哺乳類にも感染する。
きっと巻き貝は中間宿主なのだろう。
これに関しては思いっきり端折ってしまったが、詳細を書こうとするとR18グロになる。
そして死体を切り刻むので、あまり気分の良いものではない。なので致し方なしだ。
その際に、狐っ娘パワーで寄生虫を見るために目を酷使しすぎて疲労困憊になったり、グロ耐性のない桔梗ちゃんが途中で何度も吐いたりした。
だがそのおかげで、奇病に対する理解が深まった。相変わらず治療法や解決策は提示し辛いが、今の私にできるのは、多分これが限界だ。
あとは武田さんや後世の医療従事者に丸投げするとして、奇病解決までの道のりが大幅に短縮されたのは確かなので、現時点では最良の結果と言えるのではなかろうか。
そして現在私は、狐っ娘パワーを使い過ぎてグロッキー状態になり、立ち上がることさえできずに、近くの草むらに寝転んでいた。
その横で桔梗ちゃんが目を凝らして、本来なら顕微鏡を使わないと殆ど見えないはずの寄生虫を、熱心にスケッチしていた。
未知の存在の名前に関してだが、日本住血吸虫とでも名付ければいいかと、墨と筆でも意外と絵心のある幼女を眺めて、呼吸を整えながらぼんやりと考えていたのだった。
私の力が戻って普通に動けるようになるまで待っていたら、 辺りはすっかり日が暮れてしまった。
その間に桔梗ちゃんは、オスとメスの日本住血吸虫を何枚か描いてくれた。取りあえず灯り用の狐火を展開するぐらいは大丈夫だったので、携帯食料である乾パンを齧りながらの作業であった。
ちょびっと蜂蜜をくわえてあるので、初めて甘味を食べた彼女は瞳を輝かせていた。
それはともかくとして、大きな収穫があったのは良かった。
なので今は片付けとして、隅々まで調べさせてもらった彼女の両親の遺体を、丁寧に拾い集めて座棺に戻す。
色んな部分をバラバラにしたので死装束はもう着られないが、それでも上からそっとかける。
小川近くの広場の中央に、隣り合うように座棺を並べたところで、あることを思い出して近くの桔梗ちゃんに一声かける。
「ご両親へのお別れは?」
「少し、時間をください」
「そうですか」
そしてもう一度静かに、死者への弔いだけでなく、奇病解決への一歩を踏み出せたことへの感謝を込めた黙祷を行う。
一分ほど経ったあと、彼女のほうに視線を向けて声をかけた。
「蓋を閉じます。少し離れてください」
蓋をかぶせて仲良く並べた座棺から少し距離を取って、私は右手に新たな狐火を生み出す。
これが桔梗ちゃんとその両親の、本当のお別れになる。
何だか柄にもなく緊張しつつ、まるで格式高い儀式のように粛々と事を進める。
「今から二人を天に返します。願わくば、あの世で幸せに暮らせますように」
右手の狐火を飛ばしながら呟く。
稲荷神は神道なので、仏教の極楽は入場拒否されてしまうかも知れない。
桔梗ちゃんにその点をツッコまれるのは面倒だ。
既に座棺は炭になり、二人の遺体は白骨以外は残っていない状態で、私は狐火を巨大な龍へと変化させる。
「……わあっ!」
「あの世への、水先案内人……いえ、水先案内龍ですね」
もし二人があの世に逝けなくても、それは道案内をした龍の責任だ。
だから私を責めないでね、という予防線であった。強引にでも、現場に責任をなすりつける気満々であった。
巨大な龍が夜の闇を切り裂いて空へと登っていくのを、しばらくの間、私たちは黙って見守っていた。
だが今の狐火でまたもや全ての力を使い果たした私は、足がふらついて本日何度目かのよつん這いになってしまう。
そんな息を切らした状況で、もし私が死んだら転生ではなく、今度こそ天国に行きたいなと、心底そう思ったのだった。
ちなみに、良い雰囲気が台無しになるので言わなかったことがある。
実は二人の死体からは物凄い悪臭がしていた。でも桔梗ちゃんが傷つくので、これ以上の説明は省かせてもらう。
後日談となるが、奇病の中間宿主である巻き貝と病状については、稲荷神の権威でゴリ押して納得させた。
なので甲斐では、巻き貝が媒介している日本住血吸虫との長い戦いが始まることになる。
被害が酷い場所では積極的に生息地の埋立工事を行い、田んぼではなく畑へと変えていった。
治療法は見つかっていないが予防法はわかった。あとは現場の者たちに頑張ってもらうしかない。
日本国民に余裕があれば、巻き貝は絶滅を寸前で回避して、溜池等で厳重に管理される。
まあその辺りの判断は武田さんに任せるが、どうせ一朝一夕には事が済まない問題なので、流石にそこまで責任は持てないのだった。
さらに余談だが、桔梗ちゃんは私のお世話係になった。
故郷の村であれだけ堂々と啖呵を切ったので、ある意味では仕方ないことだ。
なので、両親のあの世逝きを見送ったあとに、もし居辛いのなら一緒に来ますかと訪ねると、二つ返事で首を縦に振った。
その際におじいさんに関してだが、孫娘ちゃんの身内で老い先短い老人だ。
なので武田さんにお願いして、もし村から離れる気があるなら、別の引越し先を手配しましょうと、それとなく手を回した。
あとは彼の選択次第だ。
なお抗議した武士や桔梗ちゃんには申し訳ないが、残念だが当然という感じで、その村の奇病対策は後回しにされた。
一応自己防衛策は告知されたので、武田さんの領地経営が一段落するまでは、自前で頑張って欲しいとのことだ。
即刻根切りや取り潰しにならないよう、私が待ったをかけたので、これでもマシなほうである。本当に戦国の世は命が軽いと実感した。
そして桔梗ちゃんが巫女服を着たことによる影響だが、脱いだらあっさり元に戻った。
私が感じていた謎オーラも消えたことから、装備中のみの特殊効果か。もしくは馴染む前に脱いだことで霧散したのだろう。
何にせよ、目に見える悪影響が残らなくて一安心した。
だがある日、桜さんと花子さんと桔梗ちゃんという歳の近い三人が集まり、宴席で義姉妹の契りを結び、生死を共にして稲荷神様を決して裏切らない宣言を行っていた。
それを偶然目撃してしまった私は表情筋が崩壊して、一瞬だけだがチベットスナギツネのように、何とも言えない顔をしたのだった。




