二十二話 幕府を開く(13) 集会所
村に戻った私たちはすぐに、何やら慌てた様子のおじいさんが走ってきて、息を切らせながら声をかけれた。
何でも、集会所で村の者たちが待っているので、稲荷神様には、ぜひともお越しくださることを強く願います! そう頭を下げられたのだ。
私としては成果の報告と今後の協力を要請するためにも、一度顔を合わせておくべきだろう。
時間は限られているので、承諾してすぐに移動することになった。
そこは村の取り決めを行うための会議室として使用されているらしく、外から見たらごく普通の平屋であった。
中に入ると奇病を発症していない住人で、なおかつ各家庭の代表が集まっていて、土間より少し高い木の床に腰を下ろしていた。
彼らは私の帰還を心待ちにしていたようで、戻ってくるなり興奮気味な様子で質問してくる。
「いっ、稲荷神様! 奇病について、何かわかりましたか!?」
私も取りあえず桔梗ちゃんから借りている草履を脱いで、土間から木の床に上がりながら、何気なく答えを口に出す。
「奇病に関しては、それを媒介する生物を、ほぼ特定しました」
「「「おおー!!!」」」
これまでずっと正体不明だった奇病が、ここに来て一気に進展した。
それを肌で感じて、集会場に集まった人たちが大きくどよめく。
しかし未来の知識を持つ私から言わせれば、何とも微妙な成果だ。
確かに奇病にかかっていない人は、多少なりとも生き延びる可能性は上がる。だが既に発病している人の治療法は見つからず、見捨てるしかない。
それに直感で判断しただけで、確たる証拠がない。
あの巻き貝がどのような病原菌かウイルス、もしくは寄生虫を撒き散らし、どのようにして人体に感染し、効果を及ぼす範囲は、他の動物や人同士ではどうなのか。
こういった対策を取るために必要な情報が殆ど集まっていないため、私はそのことを口に出す。
「ですが今のままでは、対策を講じるのは難しいです」
今の時代では治療法を確立させるのは困難だろうから、せめて接触を回避してどの距離を取れば度安全が確保されるのか。
そこは調べておきたい。
「解決に導くためには、皆さんの協力が必要になります」
だから私は恥じることなく、村民の皆に協力を求めた。
「もちろんですじゃ! 我々にお任せあれ!」
「おう! このまま奇病を滅ぼしてやる! 何なりとお申しつけください!」
取りあえず集会所に居る者たちの心は一つのようで、皆の表情も明るく、快く協力を申し出てくれた。
これなら何とかなりそうかなと思った私は、少し息を吸って気持ちを落ち着かせた後、さっそく本題に入った。
「では、奇病で亡くなった人の死体の提供をお願いします」
「「「……えっ!?」」」
しかしその一言で、先程までは良い雰囲気だった集会場の空気が一瞬で凍りついてしまう。
だが私は謝らない。何故なら奇病の原因究明のための人体解剖は、避けては通れない必要なことだからだ。
「いっ、稲荷神様! 死体をどうなさるおつもりでございますか!?」
恐る恐るといった感じで村人が尋ねてきたので、私はあっけらかんと答える。
「奇病の原因を突き止めるために、死体を切り刻んで内部を調査します」
これを聞いた直後、集会所の中が大いにざわめく。
「死者を傷つけるなど! なっ、なんと罰当たりな!」
「まるで妖怪! いいや! 地獄の鬼よりも酷い仕打ちですぞ!」
さっきまでは全面協力してくれる雰囲気だったのが、一瞬でちゃぶ台返しされてしまった。まあひっくり返したのは私なのだが、それは仕方ないことだ。
死体解剖に関しては、京都で受け入れられた。だがそれは、稲荷神様独自の医療として浸透しており、戦国時代の常識から外れても、重症患者を救える治療法を学びたいと、わざわざ門戸を叩く生徒が大勢居たからだ。
さらには朝廷も支持してくれたり、医療学校を建設していたのも大きかった。
その一方で、甲斐の奇病に冒された村など誰も行きたがらない。
さらに山奥のど田舎には、稲荷神の噂は殆ど伝わっていないのだろう。
(はぁ、仕方ないか)
武田さんの使者から聞いてはいるだろうが、遺体解剖を行うための同意を得るには、まだ時期尚早であった。
さらには病状についての聞き取り調査を行おうには、これでは協力を得るのは難しい。
ならばこれ以上、この場に留まる理由はない。そう判断した私は先程まで話をするために座っていた木の床から、よっこらしょと立ち上がる。
「あの、どっ、どちらに行かれるので?」
「他の村に行きます。現地住民の協力が得られない以上、ここに留まる理由は、もうありません」
死体解剖反対を喚き散らすぐらいならまだいい。だが、奇病の調査を妨害されては流石に困る。グダグダな展開になる前に、さっさと帰還するに限る。
一応、病気を運ぶ生物を特定したのだ。証拠がなくて直感だけだが、説明できなくてもゴリ押すのが吉だろう。
もし丸投げせずに今度も調査を行うなら、死体解剖に協力してくれそうな村を教えてもらう。
今後はそっちで本格的に進めたほうが、色々と揉めずにスムーズに進みそうだ。
だが集会所に集った村の住人はそれでは不満らしく、今度は私に文句を言ってきた。
「稲荷神様は、我らを見捨てるおつもりか!」
「奇病から救われる日が来ることを願い! 村民一同、祈りを捧げてきたのですぞ!」
「稲荷神様は村民にとっての光明ですじゃ! どうか! お考え直しを!」
つくづく好き勝手なことを言ってくれる。神様だから何でも出来ると思っているのだろうか。
しかしあいにく、狐っ娘の中身はごく普通の一般人だ。
医療の心得があれば一目見ただけでピンと来るかも知れないが、自分はどれだけ徹底的に調べても、殆ど不明な項目で埋まる。
そして私は村の住人を助けたいと思っているからこそ、足りない頭で精一杯考えた末の死体解剖だ。
だが現実には、それ以外の手段で奇病を解決してくださいとか、何とも身勝手な頼みである。
なので私は今も口々に罵っている村人たちについカッとなってしまい、右足で木の床を勢い良く踏み抜いた。
「黙りなさい!」
「「「ひえっ!?」」」
勢い余って手加減せずに全力で踏みつけても、床板を踏み抜く程度で止まって良かった。
狐っ娘パワーが戻りきっていたら、多分集会所ごと吹き飛んで小さなクレーターができていたかもと、心の中でホッと息を吐く。
ともかく今は、これ以上私のイライラが溜まらないうちに、村人たちを黙らせるほうが先決だ。
「救いの手を振り払ったのは、貴方たちの方です!
それに対して、とやかく言われる筋合いはありません!」
「でっ、ですが──」
「くどい!」
今度は床を踏みつけずに、まだ何か言いたそうにしている村人たちを、言葉だけで黙らせる。
それに、別に私は助けないとは一言も口にしていない。それでも救出の優先順位は下方修正されるが、結局は奇病を克服するには変わりない。
少し腹が立ったのは事実だが、命を落として良いというわけではないのだ。
何にせよ、これ以上この場に留まる意味はなくなった。
私は帰る前に巫女服を返してもらおうと、桔梗ちゃんを探す。
すると彼女は、集会所の入り口で青い顔をして立ちすくしていた。
土間に置かれた少女の草履を履いて、私は玄関に向けてゆっくり歩いて行く。
「稲荷神様は、この村を去ってしまわれるのですか?」
「そうなりますね」
きっと先程のやり取りを聞いていたのだ。もしかして、桔梗ちゃんも私を引き留めるのだろうか。
しかし私は、村を去ると決めている。
そのため、巫女服を返してもらおうと口を開く直前、桔梗ちゃんは真剣な表情を浮かべたまま地面に両膝をついて、深々と頭を下げる。
「私の両親の死体を使ってください!」
「桔梗! お前──」
「おじいちゃんは黙ってて!」
だが土下座を行って死体解剖を許可した彼女を叱責しようとしたおじいさんは、何故か口から泡を吹いて一瞬で気を失った。
幸い痙攣しているが生きてはいるようで、他に青い顔をしている集会所の者たちに介抱されている。
しかし今の彼女は、何というか鬼気迫るといった感じだ。
そして足元の幼女が謎オーラを帯びているように見えるが、気のせいだと思いたい。
これがもし狐っ娘パワーの暴走によって引き起こされた場合、巫女服を着せたせいで色々とアカンことになったのだと証明されてしまう。
興奮気味な桔梗ちゃんの感情に合わせて、立ち上るオーラは色を変えていく。
周囲の人間が巻き込まれているのが何となくわかるし、私まで変な重圧を受けて少々息苦しい。
「お父は年の始めで、お母は先日亡くなりました! 二人共、とても苦しそうでした!
たとえ死体を切り裂かれても、奇病の犠牲者がこれ以上増えないほうが、絶対喜ぶはずです!」
このまま放置しては、絶対ヤバいことになると確信した。
なので桔梗ちゃんがこれ以上興奮したり、怒りゲージを溜める前に、私は集会所からの離脱を図る。
「案内をお願いします」
「はい! お任せください! うちは土葬なので死体は残ります!
お父は少し不安ですが、お母はまだ大丈夫なはずです!」
私の一言でようやく安心したのか、孫娘ちゃんは落ち着きを取り戻すと同時に重圧もピタリと消えた。
すると集会所の大人たちが何人か腰を抜かして、へたり込んだ。中には失禁している者も居たし、ちょっと味噌の匂いもした。
やはり早急にこの場から去るべきだと考えて、桔梗ちゃんの背中を押すようにして、私は足早に歩き出すのだった。




