二十二話 幕府を開く(11) 奇病の村
危険領域を隔離するべく土埃が舞うほどの勢いで線を引いていた私だったが、割と早い段階で棍棒がへし折れた。と言うよりひん曲がってしまった。
なのでその辺に転がっている倒木や、割と真っ直ぐ伸びている大木を引っこ抜いて棒の代わりにしてみたが、どうもしっくり来ない。
そのため、しばらく試して納得がいかないので、結局新しい鉄の棒と交換しに元の場所に戻ることになった。
申し訳なさそうに折れ曲がった鉄の棒を返却する私を見て、最初は驚かれた。
だがすぐに気前良く二本目を貸してくれたのは、本当に助かった。
なお摩擦熱により先端が熱くなっていたので、手渡しをせずに地面にそっと置いたのは言うまでもなかった。
だがそれも、結局すぐに使用不能になったため、三度目を調査しに戻ると向こうも慣れたのか、若干苦笑気味でそっと差し出す優しさを感じた。
ちなみに四本目以降は近くの町村で調達してきたのか、予備が大量に積まれていた。
なので交換はスムーズに進んだが、いちいち戻るのが面倒なので狐っ娘の体にくくりつけて持っていくことに決める。
その姿は武器をたくさん持った武蔵坊弁慶か、最終決戦直前に取り付け部品をいっぱいつけた戦闘ロボットのようだ。
だが贅沢は言ってられないので、とにかく効率重視で危険領域を絞り込んでいくのだった。
結局ぐるりと囲むだけで丸一日かかってしまったが、線の中心付近に病魔を発する何かが居るのは、ほぼ間違いないだろう。
なお武田さんは大勢の人夫を手配して、低い柵を立てたり頑丈なロープを引いたりしており、自分の引いた線が消えないように工夫していた。
原因究明やある程度の対策が固まるまで、新しく奇病に感染する者を一人でも減らそうと頑張るつもりらしい。
境界線をようやく引き終わり、万全を期すために近くの村で一泊した後、早朝に出発して今では低い柵が出来ている街道に再び集合する。
そして私は、ここから単独で奇病の村に向かおうとしたいたのだが、そこで待ったがかかった。
「「「我々もお供致します!!!」」」
多分だが生還は絶望的な死地に向かう稲荷神様という構図が、お供の者たちのやる気や使命感に火をつけてしまったのだろう。
今も大勢の人夫が境界線の柵を立てたり、縄を繋いだりと土木工事をしている最中だが、何事かと視線が一斉にこちらを向く。
前にも説明して納得してくれたと思ったのに、どうやら一日経って考えが変わったらしい。だが彼らには残念だが、私は全くこれっぽっちも考えは変わらない。
そのため、相変わらず歯に衣着せずにはっきり告げる。
「迷惑ですのでお断りします。自殺志願者はいりませんので」
思いっきり突き放すような発言だが、病魔の正体は判明していないのだ。
わかっていることと言えば、一部地域の水場は危険。
そこに近い陸地もウイルスか細菌、または元凶である謎の生物によって、汚染されている可能性が高い。
例えるなら、ろくに装備も医療知識もない一般人を大勢引き連れたまま、正体不明の疫病の中心地を調査させるようなものだ。
しかも聞いた話では、発病後に助かった者は一人もおらず、遅かれ早かれ全員が死亡するという脅威の致死率だ。
これで何の成果も得られなかったら、手の込んだ自殺と何も変わらない。
なので私は、義憤に駆られる彼らに大声で堂々と告げる。
「貴方たちの役目は、奇病の原因を突き止めたその後です!
忠告を無視して先走った挙げ句、病魔に冒される! それこそが恥と知りなさい!」
「「「ははー!!!」」」
足を引っ張るなよ。いいな。あと、絶対に付いて来るなよ! と念押ししただけなのだが、少し声を荒らげたのはとても効果的だった。
取りあえずお供の者たちは皆平伏したあとに、境界線の奥に人が入ってこないようにと守護を命じたので、これで一安心だとホッと胸を撫で下ろす。
そして医者の花子さんから、特注の医療用鞄を受け取る。
「稲荷神様。どうか。ご無事の帰還を」
「私に毒や病魔は効きませんし、何も心配はいりません。
特に成果が得られずとも、数日後には戻る予定です」
しばらく留守にするため、犬ぞりに繋いでいたワンコたちを解放する。
すると寂しそうに遠吠えを始めたので、そんな可愛い狼の頭を順番に優しく撫でていく。
医者の花子さんやお世話係の桜さんに家族のお世話を任せた後、私は皆に背を向けて、柵で区切られた危険区域へと、足を踏み入れたのだった。
正直なところ時間をあまり無駄にしたくない。なので数歩進んだあとは、医療用鞄を大事に抱えて疾走を始めた。
時計がないので正確にはわからないが、多分数分足らずで甲斐で奇病の被害が一番酷い村に到着する。
ここは案内役の人の故郷と聞いたし、先に役人が訪れて私が来るという連絡も届けてくれているはずだ。
だが近日中にとは連絡がいっていても、いつ来るかは伝わっていなかったらしく、寂れた村の入口でしばらく待っても誰も来ない。
いつまでもポツンと立っていても仕方ないため、取りあえず周囲を見回しながら特に目的もなく歩くことにした。
通行人が殆ど見られない中で、そろそろ大声を上げて村人を呼び集めようかなと考えていると、大通りの正面から、白髪交じりのおじいさんがこちらに向かって歩いて来る姿が見えた。
「あの──」
「おおっ! 稲荷神様でございますな! お待ちしておりました!
ささっ! どうぞこちらへ!」
やけに乗り気なおじいさんは連絡を受けていたのか、私のことをとっくにご存知だったらしい。
そして大勢ではなく自分一人だけだが、村を蝕む奇病を解決してくれると信じているに違いない。
だが当人である私は、実際にはそこまで万能ではないし、出来るとも思っていない。
それでも解決に繋がる一助になれば十分に役目を果たしたことになるので、今は興奮気味の老人の後を黙って付いていくのだった。
寂れた村の中では比較的マシな家屋に案内された私は、引き戸を開けて屋内に招き入れられた。
お邪魔しますと一言告げて、土間で下駄を脱いでオンボロな畳に足を乗せる。
すると奥の閉じられた部屋から、何やら可愛らしい声が聞こえてきた。
「……誰? おじいさん? それとも、お客さん?」
奥の引き戸がゆっくり開いて、小さく可愛らしい顔がひょっこり覗いた。
彼女は私と視線が合って、明らかに驚いた顔をしたのがわかる。
「孫娘の桔梗ですじゃ。儂と同じく、奇病にはまだ冒されておりません」
おじいさんはそう言って、私と同い年ぐらいの少女の桔梗ちゃんに私の紹介する。
なのでこちらも微笑みながら、小さく会釈する。
「いっ! 稲荷神様!? 何もない家ですが! どっ、どうぞおくつろぎを!」
確かに周囲を見ると、あまり裕福な家ではないのか本当に何もない。
だが別に歓迎して欲しいとは思っていないので、白湯を出そうとするのを止めさせて、隣のおじいさんに疑問に思ったことを尋ねてみる。
「ところで、あの子の両親の姿が見えませんが、仕事ですか?」
「桔梗の父は半年程前に突然。母は先日亡くなりましてな」
思わず天を仰ぎそうになるぐらいの絶望的な現状を、開幕から聞かされてしまった。
まだ何もしていないのに、私の精神的にガリガリと削られていくのがわかる。幸いにして回復が早いので、どん底に落ちることはないことだけが救いであった。
しかし、何とも理不尽極まりなく人の命を奪っていく。
個人的な感情だが、断じて許されることではない。あくまでも私がそう判断しただけだが、奇病を駆逐するには十分な理由になった。
鬱シナリオよりハッピーエンドが好きな私としては、多少無理をしてでも早急に何とかしなければと、若干焦ってくる。
そのため特に深い考えもなく、目の前の彼に声をかける。
「今からこの家の菌や微生物を一匹残らず焼き尽くしますが、よろしいですね?」
「「えっ!?」」
おじいさんと桔梗ちゃんが驚愕するのを横目に、私は両手を合わせた中心に狐火を展開する。
先程は一応口には出したが、別に返事は聞いてなかった。
過去に使った狐火は、灯りや温度変化、衝撃による吹き飛ばしだ。
しかし今回はこれまでとは用途が異なり、焼却対象の選別を行う。
北条さんの領土に来た時に、今までよりも狐っ娘が馴染んできた感覚があった。
何となくだが一回り成長したと言うべきか、体格的にはまるで変わっていないが、今なら多分できると思うのだ。
だが相変わらずのぶっつけ本番であり、しかも相当高度な処理らしく、なかなか狐火が発動しない。
それでもどうにか、珍しく汗をかくほど意識を集中させて、両手のひらの中心付近に狐っ娘パワーを集めていく。
「きっ! ……狐火!」
かなりか細い声だったが、私の両手から生まれた狐火は、あっという間に家中に広がった。
人間だけは器用に避けて、この家を瞬く間に覆い尽くしたのだ。
燃焼時間は数分ほどだろう。
勢いだけは凄かったので、煙の出ない青白い炎が村一面に広がるかと思いきや、実際に行えたのは一、二軒隣の家までだった。
しかし私はと言うと、一回狐火を放っただけで精根尽き果ててしまう。
今は畳の上に四つん這いになり、疲労困憊となって呼吸も荒く滝のような汗を流す有様である。
(思った以上に! しんどい! こっ、この力は、今後使わないようにしよう!)
状況的にはかなりキツイが、人間にとって有害な菌や微生物という、目に見えない何かを残らず焼却したはずだ。
だが今の科学では確認のしようがないので、少し不安ではあるが、私は何故か確信があった。
それに対するしわ寄せも当然起こるだろうが、今は奇病にかかるよりはマシだと割り切ってもらう。
「稲荷神様! 大丈夫ですか!?」
「だっ、大丈夫です。少ししたら、動けるようになる……はず」
息も絶え絶えな私だが、心配する二人を元気づけるように片手を上げて静止して、何とかそれだけは伝える。
しかし、流石は不死身の狐っ娘だ。しばらく大きな狐火を出せないだろうが、呼吸はすぐに落ち着いてきた。
普通に体を動かすだけなら支障もなさそうな程には回復した頃、深呼吸して四つん這いから、よっこらしょとおもむろに立ち上がった。
柔軟体操のように少し体を動かしてみた結果、今は見た目相応の幼女の力しか出せないことを、本能的に理解した。
それでも謎の力が物凄い速さで、何処からともなく流れ込んで来ているのを感じる。
これなら数時間ほどで全回復しそうだと、少しだけ安堵する。
おおよその状況把握が終わったところで、取りあえず計画を次の段階に進めるために、おじいさんと桔梗ちゃんに声をかける。
「今から、近くの水場の様子を見に行きます」
「ええっ!? 倒れられたばかりですよ!」
「そっ、そうですじゃ! もう少し安静にされたほうが!」
そうは言っても、家の無菌状態も長くは続かない。その前に原因を特定をして予防策を講じなければ、元の木阿弥だ。
数日経っても収穫なしで帰還し、何の成果も得られませんでした! と涙ながらに報告するのは絶対に嫌だった。
何より私のイメージする神様という存在は、退かぬ! 媚びぬ! 省みぬ! である。ここで弱腰になって安静でもしようものなら、稲荷神としての沽券に関わる。
だが自分の身を案じてくれる二人の気持ちもわかるし、それ自体はとてもありがたいことだ。
なので私は、ここであることを思いついて、彼らに提案する。
「ではそこの桔梗ちゃんに、私の仕事を手伝ってもらいます」
「わっ! 私ですかぁ!?」
いきなり当事者にされた桔梗ちゃんは思いっきり驚いているが、構わず説明を続ける。
「はい、貴女なら私の巫女服も問題なく袖を通せるでしょう。
これを着ている限り、病魔は手出しできませんので」
今から向かう場所は普通の人間が行けば、奇病に感染する可能性がある。
中心地に近づくほどに死亡率が高くなる。そのため、最初は自分だけで行くつもりだった。
しかし今の私は狐っ娘パワーが低下しているし、これではおじいさんと桔梗ちゃんが納得しないだろう。
そんな事情もあり、身内と言っても男性なので、彼には少しの間、席を外すように伝える。
そして家の中に二人っきりになった後、木枠の窓と引き戸を閉めて、誰も見ていないことをしっかり確認する。
(覗き確認ヨシ! そう言えばこれを脱ぐのは、お風呂や寝る時以外では久しぶりだなぁ)
私は彼女の目の前で、愛用の巫女服を一枚ずつ脱いでいく。
これは私にとって、強固な鎧のようなものだ。
埃や汚れや雨、汚染や有害物質を完全に弾くが、何故か通気性も着心地も抜群という凄い服である。
なので桔梗ちゃんにこれを着せれば、謎の不思議パワーが彼女の身を守ってくれるはずだ。
だがそこで、重要なことを伝え忘れていたことを思い出した。
私は何やらこっちに見惚れている彼女にゆっくり顔を向けて、申し訳無さそうに声をかける。
「貴女も服を脱いでください。上から羽織るのではなく、直接着たほうが効果も高まりそうなので」
「ええっ!? そっ、そんな! 恐れ多いです!」
しかし今さら止める気はないので、取り乱す孫娘ちゃんの服を、力技で破らないように丁寧に脱がしていく。
これでも足りない頭で必死こいて考えた、たったひとつの冴えたやり方だ。
だが無理やり引っ剥がされて悲鳴を上げる桔梗ちゃんを見ていると、何とも申し訳ない気持ちになる。
それでも何とか衣装交換を済ませて、村娘狐幼女がここに出来上がったのだった。




