二十二話 幕府を開く(7) 月の女神
北条領の北の山間部での切り出し工事現場で、私はまたもやせっせと炊き出しを行った。
さらに一日の十時と三時に休憩時間を設定したり、大木を引っこ抜いたり岩を粉砕したりと、久しぶりに狐っ娘パワーで大活躍した。
だからなのか、松田さんたちお供の者たちは大いに慌てた。
「稲荷神様は視察か炊き出しをするか! 怪我人の治療に専念してもらえると助かりまする!」
なおこれには現場の監督役も含まれて、労働者たちからも自分たちの立つ瀬がなくなると泣きながら懇願されたので、取りあえず自重することに決めたのだった。
未来の重機のような狐っ娘パワーは、確実に効率は上がると思ったのだが、現場監督や労働者の胃に優しくない。
それに私のための稲荷大社建設工事なのに、当人に汗水垂らして働かれると、神様のために奉仕したり男としての誇りが何か色々と酷いことになるらしい。
なので土木工事とは関係のない分野での、ちょっとした心遣いに留めて欲しいのだろう。
そもそも凄く偉い人が仕事場でやたらめったらと口を出すのは、野球部OBが後輩たちの練習に参加するようなものだ。
つまり、ぶっちゃけはた迷惑以外の何ものでもなく、もっと言えば邪魔なのである。
取りあえず私は、炊き出し用の大鍋を適当にかき混ぜながら、少し離れた現場で、切り出し工事をせっせと行っている肉体労働者たちを、ぼんやりと眺める。
(切り出し工事の現場の様子は見れたし、スコップとツルハシも問題なく扱えてる。
ならもう、これ以上留まる理由はないかな)
元々は、引越し先の北条家の当主にご挨拶で、あとは何か現場で役に立つことがあれば良いかな程度だ。
ならば目的は達成されたと判断した私は、日が暮れる前にお供の者たちを呼び集めて、小田原城への帰還を告げる。
そして大河に向かい、行きと同じ船に乗り込んだ。
帰りは流れに逆らわずに進むので、かなりの速度で下っていく。
その途中で太陽が沈みきったために、松明をつけようという話になったが、私が待ったをかけた。
気を利かせて狐火を天高く打ち上げ、青白い光で夜の闇を明るく照らしたのだ。
しかも常に私の頭上に浮遊して付いて来るので、色の違いに目を瞑れば、とても便利であった。
しばらく夜の大河を眺めながら特に言葉もなく、静かに悠々と川下りをしていった。
その道中で、私の傍に控えていた松田さんがポツリと口を開く。
「稲荷神様は太陽神だけではなく、月の女神でもあらせられましたか」
「えっ?」
何それ初耳なんだけどと、素の状態で口に出しそうになったのを、慌てて押し留める。
「月の女神とは、どのような意味でしょうか?」
何とか間抜け面ではなく真面目な表情に変えて、松田さんに尋ねる。
「稲荷神様は、既に多くの御加護を日の本の民にもたらしておりまする。
さらに戦乱の世も終わらせる立役者となりましょう」
内心で、おっ、おう……としか言えない。
自分があちこちで盛大にやらかしているのは知っている。
しかし戦国時代に来てから結構経つが、稲荷神を自称して、深い考えもなしに未来の先取りを繰り返してきたが、その功績は随分と高く積み上がったものだ。
「そして月の女神とは、夜の闇に迷える人々の道を明るく照らすのでございます」
確かに一筋の光も差さない真っ暗闇は、常に言いようのない不安に襲われ、どこに向かえばいいのかわからなくなる。
だが月の光で足元が明るく照らされれば、目指すべき目的地へと辿り着けるし、先が見通せるので不安も軽くなる。
(太陽神は日本全国をあまねく照らすから、これまでの功績と天下統一だろうけど。
でも、月の女神は一体何処から?)
上手いこと言うなと思うものの、中身が一般人の私が月の女神という過大評価を聞き、人間の胃なら間違いなく大穴が開いている案件だ。
これ以上続けると羞恥心で顔が真っ赤になってしまうと判断した私は、咄嗟の話題そらしに、思ったことをそのまま口に出す。
「確かに私は、人々に知恵や技術を与えました。
太陽神はわからなくもありません」
江戸に幕府を開いた後は、大勢の人々を導くことになる。それに日本は国名から言っても太陽神は身近な存在だ。
自分がそうなれるとは全く思わないが、これまでやらかしを思えば仕方ない気がするため、今は甘んじて受け入れることにする。
だがもう一つのほうまで、ヨシとするわけにはいかない。
「しかし、人々に道まで示したつもりはありません。
太陽神だけでも分不相応ですのに、さらに月の女神を兼ねるのは勘弁してください」
大体稲荷神と言うのは、五穀豊穣の神様だ。
そこから私のやらかしによって色々と尾ひれや背びれついたが、何でもござれの太陽神だけではなく、痒いところに手が届く月の女神まで追加されるのだ。
これでは最初は非力でも、努力によってあらゆる神の力を会得した稲荷神が爆誕してしまう。多分設定だけなら全知全能の唯一神と良い勝負ができるんではなかろうか。
まあ聖戦を起こす気は毛頭ないので実際にやる気はないが、私がいくらなんても過大評価だと考えている間にも、松田さんの説明は続いていた。
「月の女神であるという根拠ですが、日本全国の長さ、重さ、容量等の規格統一がそうです」
あの時は不自然なワッショイワッショイだったので、ぼんやりとだが覚えている。
そう言えばそんなこともあったなーと、私が少し前のことを思い出していると、松田さんが続きを話してくれた。
「地域や職人ごとにそれぞれの規格があるため、道具や作業効率、生活等で常に差が生じております。
ですがそれは、日の本では普通なのです」
そんなこと、自分は戦国時代に来るまでは知らないかった。
そうなのかーと口を挟みたいところだが、無能アピールしたら不味いことになるので、黙って聞き役に徹する。
「だがもし全国で規格が統一されれば、その結果何が起きるか、稲荷神様は既にご存知であるはず」
これに対しては、他にわからない者が居るため、松田さんが丁寧に説明してくれた。
まず、職人が設計図を見て作成しても、地域ごとに規格が違えば、どれだけ精密に似せて作った所で、何かしらの不具合が起きていた。
これが改善されると言うことは、北条家だけでなく、日本全国の文明レベルを強制的に押し上げる一助になる。
それ以外にも地域ごとに重さや容量に差がなくなるので、商人も誰が相手でも公正な取り引きが出来る。
年貢の取り立ても誤差がなくなり、十ごとに単位が上がるので、計算がしやすくなったりと、とにかく良い事ずくめだ。
ただしこれは、きちんと日本全国の大名や民衆が素直に言うことを聞いて、私の教えに耳を傾けた場合だ。
過去の歴史を紐解けば、同じことを実行しようとした権力者は何人も居た。
だが結果は失敗で、戦国時代になっても地域や権力者ごとに誤差が生じていることからも、それは明らかである。
だが北条家とその家臣団は、既に私の前情報、つまり行く先々で散々やらかししていたことを掴んでいた。
だからこそ、規格の統一は必ず成功すると確信しているため、小田原城で心底感服することになったのだった。
なおこれは、私にとっては滅茶苦茶プレッシャーになる。胃に穴が開くことはないが、出来ればワッショイワッショイは勘弁してもらいたい。
しかし、規格の統一は未来のためにも必ずやらなきゃ駄目なので、今さら止めますとは言えないのが辛いところだ。
だがこれでは終わりではなく、残念なことに松田さんの追撃はまだ続いていた。
「道を示されたのは、もう一つあります。環境保護についてでございます」
そう言えば、あの時は勢いのままに川に飛び込んで鰻を捕まえた言い訳が、咄嗟に思い浮かばなかった。
なので、話題をそらすのに必死だった。
「しかし統治者として素晴らしいだけでなく、我々人間に近い感性を持ち合わせておられて、心底ホッとしました」
それはどういう意味だろうと私が首を傾げると、すぐに松田さんが答えてくれた。
「古来より神々は人より上位の存在でした。そのため我々を見下し、時には天災を起こし、戯れに命を奪った。
それと同じぐらい加護を授けて助けはしますが、とにかく非常に扱い辛い相手なのです」
私はフムフムと頷く。つまり私は見た目こそ狐っ娘幼女で、凄い力や知識を持っているが中身は元女子高生だ。
松田さんたちにとっては、比較的扱いやすい相手なのだろう。
「その点、稲荷神様は人と同じ視点で我々に寄り添い、戯れに命を奪うこともなく、加護を授けて日の本の民全てを救おうとする。
さらに、鰻一匹で大騒ぎをする貴女は、本当に見た目相応であり、その……大変、可愛らしく──」
それっきり松田さんは頬を朱に染めて黙り込んでしまい、周りのお供も何やら露骨に視線をそらす。
普通の神様ならここで人間ごときがと激怒するだろうが、自分は中身が一般人なので別に何とも思わない。
だか結局何とも微妙な空気が流れる中で、私のほうが小っ恥ずかしくなって耐えられなくなったため、慌ててコホンと咳払いをする。
「それはともかくとして、環境保護が道を示したとは?」
「そっ、そうでしたな! これは失礼を!」
あの時に追求されなかった理由はわかったが、やはり大変恥ずかしいので、記憶の彼方に葬り去ってしまおうと心に決める。
そんなことより環境保護についてだが、私としては感銘を受ける程ではない。
確かに未来の日本では、限りある資源を大切にと、何度も聞いた覚えはある。
実際にこのままでは地球の資源が枯渇してしまうと頻繁に騒がれているが、私もごみの分別を大雑把に済ませることが、たまにあった。
だがまあ、環境保護団体に属していなければこんなものなので、地球資源がまだ数多く残されている戦国時代に、この概念に大いに感銘を受けるとは思わなかった。
しかしその点について松田さんの補足が入り、私は納得せざるを得なくなった。
「海沿いの山間部では木材資源が枯渇し、禿山も多く見られます。
我々にとっては、目前まで迫った危機なのでござる」
海沿いでは禿山がたくさんというのもそうだが、北の山岳部まで船を出して運んできているのだ。
北条領だけでなく、他の領地でも木材資源の枯渇は、相当深刻な問題なのだろう。
「ですので植林については、稲荷神様にぜひともご教授いただきとうございます!」
私に向かって、かしこみかしこみと両手を合わせ頭を下げる松田さんを見ながら、まさか自分も朧気な知識だけなので自信がないと言い出せない。
そのため、取りあえずこの場を乗り切るために、いつも通り適当な台詞を口に出す。
「私も植林にはそれ程詳しくはありませんが、微力を尽くしましょう」
「「「おおおー!!!」」」
やるからには100%成功させる気でやる。
だが、最初から全部が上手くいくなんてのは有り得ないし、植林に詳しくないのも本当だ。
とにかくやる気になった私を見て、松田さんだけでなく、周りの皆も大喜びしている。
このことから木材資源の枯渇は、自分が考えている以上に今の日本では深刻な問題のようだ。
何とか解決したいところだが、植林してから大木になるまで膨大な時間がかかる。
なので、ちゃんとした成果が出るのはいつになるやらだ。
結局私がやれることと言えば、稲荷神の権威と拙い未来知識、あとは現地の専門家と協力しながら、たとえ少しずつでも完成形に近づけていくしかないのだった。




