二十二話 幕府を開く(5) 環境保護
私たちは大河の船着き場に着いたので、すぐに陸に降りる。そして稲荷大社用の木材の切り出しを行っている現場に向かう。
だが陸地に移った直後に、川の中にあるものを見つけたので、私はピタリと足を止めた。
先に下船した松田さんたちも、自分が川の一点を見たまま微動だにしないことに気づき、立ち止まって尋ねてくる。
「稲荷神様、如何された?」
「少し、気になる物を見つけました」
そう言って、さらに目を凝らして大河の水面を見る。
するとまるで拡大表示したように、範囲は狭いが遠くのものが細部まではっきりと見えてきた。
(ふむ、アレはもしかして?)
黒く光沢を放つ体をウニョウニョと蠢かせている、普通の魚よりも長い生き物だ。それが何匹も、大河の中を元気良く泳いでいた。
私は一目見て、あれはナマズやドジョウではないと理解した。
ならば他に詳細を知っているのは一種類しかなかったので、その後の行動は早かった。
「鰻だああああっ!!!」
まさか未来ではめっきりお目にかかれなくなった天然の鰻を、こんな所で見かけるとは思わなかった。
そのあまりの嬉しさに思いっきり素が出るだけでなく、恥も外聞もなく見た目相応の子供のように、私は躊躇うことなく大河に飛び込む。
「「「稲荷神様!?」」」
周囲の者たちが驚く声など全く聞こえずに、とにかくもう無我夢中である。
大河を何匹も泳いでいたので、その中でもっとも長く大きな鰻を狙って捕まえようとする。
だがやはり体の表面がヌルヌルで滑るためか、殺さずに生かして捕らえようとしても、なかなか思うようにはいかない。
泳いで逃げようとしても狐っ娘なので余裕で回り込めるが、決め手に欠ける。
とにかくしばらく息継ぎなしの水中戦を行い、相手が疲れてきたところで、自分の身の丈ほどもある鰻の首根っこをガッチリ捕まえたことで決着した。
こうして私は、ようやく陸に上がったのだった。
辺りを見回すと船着き場が下流に見えたので、鰻を捕まえるために上流に泳いでいたようだ。
しばらく私が片手で完全防水の巫女服についた水滴を簡単に払っていると、松田さんや護衛の人たちが焦った様子で駆け寄ってきた。
「稲荷神様! ご無事でございますか!」
「私は大丈夫です。それより、心配をかけて申し訳ありません」
先程の軽率な行動は、稲荷神のすることではないと今さらながら自覚したので、深々と頭を下げる。
「いっいえ、稲荷神様に大事がなければ良いのです」
何事もなくて良かったホッと胸を撫で下ろした彼らは、次に私が小さな手でガッチリ捕まえている鰻をマジマジと観察する。
そして護衛の一人である本多さんが、私が持っている鰻を見て口を開く。
「それは鰻でござるか?」
当然聞かれると予想していたが、先に何故あんな突拍子もない行動を取ったのかと、総ツッコミを受けなくて助かったと安堵する。
流石にそっちを尋ねられては、説明が難しいのだ。一応理由としては単純明快なものがある。
(鰻は絶滅危惧種で、中でも天然物は滅多に食べられない高級食材。
だからこそ、ここで会ったが百年目で、絶対に逃すまいと捕まえに行った。……とは言えないしね)
個人的には物凄くわかりやすかったが、今の時代の人たちにそのまま伝えるわけにはいかない。
なので本多さんの純粋な疑問は、話題そらしとしてはありがたい限りであった。
「鰻なら三河の川でいくらでも捕れるでござるが、北条領も同じでござったか」
つまり戦国時代は高級魚でも絶滅危惧種でもない。庶民でも気軽に食べられるのが、鰻だったことになる。
ならば何故今まで気づかなかったと言うと、あまりにも身近すぎたからだ。
長山村や岡崎城下で当たり前のように食べられていても、私へのお供え物は常に厳選される。
米や山菜や肉等、それこそ庶民は滅多に口に出来ない高級品ばかりだ。
村人が焼いて食べたり川で泳いでいるのを見かけても、どうせドジョウかナマズだろうと思い込んでいたし、鰻といえば蒲焼きやうな丼のイメージが強すぎた。
裂いてタレをつけて串に挿して焼き、食欲を誘う強烈な香りを漂わせてこその鰻だ。
ぶつ切りにして塩を振って焼かれた謎の塊を見ても、何かの魚としか思えない。
なお今回は、自分の身長ほどもある大物を間近で見たからこそ、興味が湧いた。
そしてマジマジと注目し、未来では居るはずのない鰻の存在に、初めて気づけたのであった。
「もし叶うならば、遠い未来でも鰻を好きなだけ食べたいものです」
「どういうことでござるか?」
正直説明するのが面倒だし、私の寿命が尽きる前には鰻が絶滅することはなさそうなので、割と適当に返答する。
「鉱山と同じく、海や川の資源も有限ということですよ」
「はははっ! 稲荷神様も冗談──」
だが本多さんが冗談だと勘違いしておどけても、私は表情を崩さずに真顔のままである。
そんな自分の様子にただならぬものを感じたのか、彼はすぐに姿勢を正して謝罪する。
そして護衛たちも、こっちの一挙手一投足に気を配っているのがわかる。
誰も喋る者が居なくなったところで、私は至って真面目な口調で彼らに語りかける。
「貴方たちは当たり前のように森林を伐採し、資材にしています。
ですが、大樹になるには長い年月がかかります」
今ここで伝えるのもどうかと思うが、環境保護の概念だけでも教えておけば、少しは汚染や資源の枯渇が緩和するのではなかろうかと、いつもの行き当たりばったりで適当に口に出す。
「鰻もこれと同じです。人間が際限なく取り続ければ、未来の日本で一匹も見かけなくなるでしょう」
ぶっちゃけ私が老衰で亡くなった後の歴史など、どうなろうと知ったこっちゃない。
だがそれでも自分は一人の日本国民なので、自国の未来が少しでも良い方向に進んで欲しいとは、ほんのちょっと思っている。
「まだ個体数が多いうちは、絶滅させないための調整は比較的容易です。
しかし枯渇寸前から回復させるのは至難の業で、膨大な時間がかかります」
異常気象で種が絶滅するのは珍しくないが、人間のわがままで数を減らしているのを見ると、何ともやりきれないものを感じる。
別にイルカやクジラを保護する団体のように過激になれとは言わないが、少しでも心に留めておいてくれれば幸いである。
「何も考えずに大量生産大量消費を続ければ、貴方たちの子孫に多大な負担をかけることになります」
このまま何も考えずに浪費し続ければどうなるか。
隣の大陸は言うまでもないが、確かアメリカでも白人がプレーリードッグを狩ったことで、砂漠化が進んだと何処かで聞いた覚えがある。
なので希少な野生動物が絶滅するのは、もはや避けられないだろう。
だがせめて日本だけは同じ轍を踏まずに、自分たちで正しい答えを出して、より良き未来を歩んで欲しかった。
とまあ志は立派だろうが、結局私が言っていることは俗に言う丸投げであり、それを悪びれもせずに堂々と口に出した。
「貴方たちが正しい選択をしてくれることを、心から願っています」
何となくはっきりしない象徴的な言葉でお茶を濁して、あとは頑張ってくださいと現場に任せる。
正しい答えを何も提示していないのは、自分でも明確な解決策は持ち合わせていないからで、今ここで何をしようと、後の歴史には大した影響はないだろうと高をくくっていた。
だが願わくば、湖に小石を投げ込んで僅かな波紋が起こるぐらいは、少しでも良いので環境保護へと舵を切って欲しいと思ったのだった。
けどまあ散々熱く語ったが、ぶっちゃけ資源や環境に関しては、今はそこまで重大ではなかった。
鰻を捕まえるために川に飛び込んだ理由を誤魔化していたら、何かもう色々とテンパって脱線してしまったので、私自身も何を喋っているのさっぱりであった。
しかもこの後、松田さんの追求から逃れるために、環境破壊解決案として、うろ覚えの植林や養殖についても伝授することになったし、どうしてこうなったである。
結局全ては終わった後には、肉体的には全く疲れてないが、精神的にはクタクタになってしまったのだった。
ちなみに鰻はお世話係の桜さんや護衛が、樽に真水をたっぷり入れて持ってきてくれた。なので私が下手な言い訳を始めてすぐの辺りで、泥抜きのためにそちらに移動させて、今はピンピンしている。
生臭いまま食べるのは嫌だったが、今すぐ食べたい私にとっては、まさに断腸の思いであった。




