二十二話 幕府を開く(1) 船旅
二十二話 幕府を開くの最中となります。ご了承ください。
私は多少強引でも正史に軌道修正して、三河や尾張ではなく江戸幕府を開こうと、関東の一部の土地を要求した。
だがそこは北条家の領地だ。
すんなり行くとは思えないが、それでも何とか譲ってもらえないかという内容を文に書いて出したところ、永禄八年の初夏に返事が届いた。
結果は、快く譲り渡してくれるらしく、戦が回避されて一安心であった。
だが一つ問題があるとすれば、その際に私の住む新しい稲荷大社を建てようという話が持ち上がったことだ。
自分としては別に有物でも構わないのだが、その意見は素気なく却下された。
言われてみれば征夷大将軍とは全国の大名に号令を出す存在だ。その拠点がみすぼらしくては、誰も従わないだろう。
しかし、別に一から新しく建てるではなく銭を節約するためにも改築でも構わないとそう主張したが、やっぱり却下されてしまう。
それでも今後、日本の治安や食糧事情が安定したら、後任の松平さんに征夷大将軍を継がせるのだ。
どれだけ早くても十年以上はかかるだろうが、未来で言う定年まで勤めれば、多分退位できるだろう。
そうなったら何処か小さな一軒家に住んで、老衰で亡くなるまでの僅かな余命を、のんびり平穏に暮らすのが私のささやかな夢である。
もちろん今はまだ誰にも言っていないので、秘密である。
今は日本中が戦乱に明け暮れており、民衆は皆救いを求めている。
そんな状況で稲荷神を自称する私の退位うんぬんが表沙汰になれば、せっかく征夷大将軍の号令の元、一つにまとまりかけていた各国が、再び大混乱に陥るに決まっているからだ。
そのような事情もあり、国内情勢が安定するまでは大人しくしておく必要がある。
私が、さっさと退位したいなーと考えているなど、漏らさないように気をつける。何度かうっかり口に出したこともあったが、その場に居た人たちからは追求はなかった。
なので多分バレていないはずだと、内心でホッと息を吐くのだった。
永禄八年の夏に、新たな幕府を開くために稲荷大社が必要という旨を伝えて、今度は全国から寄付金を集めた。
京都のやんごとなきお方が、征夷大将軍になってくださいと稲荷神様に頼み込んだという噂が広まっているため、最初からお金を出さないという選択肢はない。
援助してくれた者の名前は神社の施設に刻まれるので、一方的な搾取というわけではない。名誉では腹は膨れないが、私のこれからの統治に期待ということで、申し訳ないが先行投資してもらいたい。
だがここで、思わぬ問題が起きてしまう。
何と寄付金だけでなく、難民も全国から一斉に集ってきたのだ。
なおその件について松平さんは、このように述べていた。
「まだ第一波なので少ないほうです。もし来年も不作なら、これを遥かに上回る第二波が到来するでしょう」
当然北条さんにとっても予想外のことらしく、何とも対処に苦慮している。
遠回しに難民は稲荷神様に救いを求めてやってきたので、何とかしてくれませんかという文が、間を置かずに送られてきた。
そのような事情があり、先行投資した以上の銭や年貢が入ってきたことで、ようやく自転車操業から三河の物資をかき集めて、北条領に送ることが正式に決定した。
取りあえず難民が餓死しない程度の兵糧を送らなければ、稲荷神の信仰は地に落ちて、天下統一が遠ざかってしまう。
背に腹は代えられないので仕方ないが、私はまたもや松平さんの胃に負担をかけてしまい、何とも申し訳なく思うのだった。
支援物資を送ることが正式に決定したわけだが、ここで私が北条さんの領地に行く提案を行った。
何故かと言うと、彼とは江戸幕府を開いた後にお隣さんになるのだ。
引越し前の下見や一度挨拶しに行くのは未来では普通のことなので、せっかくの機会ということで輸送隊に便乗させてもらうことにした。
なお今回は格式張った行列ではない。
三河に余力があまりないという問題もあるが、速度重視の船団での海の旅である。
何にせよ松平さんが大変な時に、自分も何か役に立てないだろうかと考えた末の決断だ。
稲荷山に引き篭もっているだけでは見えないこともあるし、北条さんの領地が大変らしいので、そこで慈善活動を行って信頼を勝ち取れば、円滑な協力関係を築けるかも知れない。
そもそもうだうだ考えるのは性に合わないので、迷ったら取りあえず飛び込んでみるのが私である。
思慮深さなど何もなく、とにかく最低でも顔合わせや引っ越しのご挨拶だけは済ませたいなと、そう思ったのだった。
戦国時代の領海がどのようになっているかは知らないが、永禄八年の夏に三河を出発して、領内から外に出る頃には、護衛として今川さんの水軍も加わり、船団はさらに賑やかになった。
だが未来の船より足は遅く、方位磁石もないようで、遠くの陸地が見えて安全に進むことが前提となっている。
それ自体は構わないのだが、大海原という代わり映えしない景色が続き、これといった娯楽もないので少しだけ退屈であった。
しかし船の上でのんびり釣りをしたり、何故だかサメが寄ってきたので海に飛び込んで格闘戦を挑んで勝利し、子分にして上に乗り海のトリ○ンごっこしたりと、ここでしかできない楽しみもあったので、まあヨシである。
それでも一日二日はまだいい。だが三日目も同じことが続けば退屈過ぎてどうにも我慢できなくなる。
なのでストレス発散に、夏の海と言えばこれでしょと、鳥に関係する歌を熱唱してしまうのも無理もないことだ。
その際にかなり暇をしていたためか、ノリノリで大声で歌い、大層遠くまで響き渡った。
輸送隊と護衛の全員に聞こえたのは間違いないだろう。
途中で京都から同行しているお世話係の桜さんから、何故か用意周到だったようで、恭しい姿勢で琵琶を渡された。
最初は彼女が見本として軽く弾いてくれたので、私も見様見真似であれこれ弄ってみる。
すると初めて触れる楽器に戸惑ったものの、流石はハイスペックな狐っ娘で、すぐに人並みの演奏ができるようになった。
そこからは私が知っている海関連の曲を、演奏しながら歌うことになり、さながら海上のコンサート会場であった。
中には船員が、稲荷神様の歌声で船酔いが治りました! とか、芸術の御加護まで持っておられるとは! とか、物凄くもてはやされたりもした。
その場のノリでやっちまった私は若干戸惑ったものの、皆の退屈が紛れたならそれでいいかとと前向きに考えるのだった。
余談だが、私の歌を聞いたのは船団の者たちだけではなかった。
ずっと陸地が見える位置を航行していたので、町村の住人や海賊たちにも丸聞こえである。
なので、この美しい歌声は生者を海底に引きずり込もうとしている船幽霊。もしくは人魚に違いない。そんな変な伝承が誕生してしまったのだった。
そのイメージ的にはボン・キュッ・ボンのグラマラスボディであるため、見た目幼女の私とは色んな意味で違いすぎたのだった。
北条家の領海に入った時に私たちは、難民たちの元へと向かう輸送隊、さらに松平と今川の水軍とは、別行動を取ることになった
そして一番の目的は引越し先へのご挨拶なのだから、まずは北条さんの水軍の船に乗り換えて、小田原城を目指す。
戦国時代の常識では、他勢力の領地で味方と分かれ、少数で他の軍船に乗り替えるなど有り得ないだろう。
だがあいにく私は、普通ではなかった。
この程度の人数なら狐っ娘パワーでゴリ押せば、時間はかかるだろうが何とかなると考えているため、割と気楽なのであった。




