二十話 京都(10) 延暦寺
正門を強引に押し開けることで閂を破壊して、真正面から堂々と延暦寺に入場したので、次はここの代表である覚恕法親王に面会しなくてはいけない。
流石に問答無用で焼き討ちをするほど短気ではないため、取りあえずは寺院の境内を奥に向かって歩いていると、同行している本多さんが興奮した様子で話しかけてきた。
「稲荷神様! 凄まじい怪力でござるな!」
「私は稲荷神なので良いですが、女性にその褒め言葉は使わないでくださいね」
「ははっ! 肝に銘じまする!」
稲荷神を名乗ってはいるが、見た目も中身も女性の私は、馬鹿力を褒められても全然嬉しくない。しかし本多さんの言ったことは事実なので否定もできなかった。
だが自分は決して、ボディビルダーだと主張しているわけでもない。
取りあえず彼には、怪力を褒め称えるのは女の武将か、力自慢している女性にするようにと釘を差し、これ以上被害が広がらないように気を配るのだった。
それはとにかくとして、私と近衛二十名は無事に延暦寺の境内に入った。
何度か襲撃はあったものの、その全てを退けて全員無傷なので、今の所は順調と言える。
境内を歩きながら辺りを見回すと、京都の住民や伏見稲荷大社の関係者から聞いた通りの光景が広がっていた。
行く宛のない多くの難民に施しや教育を行い、保護するのは立派だし、住民の相談に乗ったり調停を行い争いを回避する役目もある。
だがその対価として、銭や物資を寄付という形で要求するだけではなく、中には体を要求して白昼堂々性行為を行っている者も居た。
さらには色んな意味で腐っていたり大なり小なり悪事に手を染めている僧が巣食っているのだと、松平さんや織田さんといった各地の大名や、朝廷や公家から教えてもらっている。
何と言うか何処の国も延暦寺や本願寺といった宗教施設に手を焼いているのが、仕事に疲れたような暗い表情をする身分の高い中年男性を見ていると、嫌というほど伝わってきたのだった。
そして私は今、問題の延暦寺の境内を奥に向かって歩いているのだが、周りに目を向けると、昼間から酒を飲んだり賭け事に熱中したりと、どう考えても真面目に職務に励んでいるようには見えない。
正門での騒ぎには当然気づいているのだろうが、大多数の者が君子危うきに近寄らずで、我関せずであった。
つまり延暦寺の中で比較的まともな僧は私たちを襲撃した者で、それはあらかた再起不能になったため、あとは弱腰だったり私腹を肥やしたり、戦闘能力のない老人や女子供ばかりが残った。多分だが、きっとそんな感じだろう。
あとは他にも、手のひらを返して、稲荷神である私に乗り換えて保身を図る者も居る。
例えば各勢力が事前に渡りをつけていた僧だが、彼らは今現在にこやかな笑顔でこちらに近づいてきて、問題なく会話が可能な距離まで来ると、姿勢を正して整列する。
そして代表の若い僧が一歩前に進み出て、恭しく頭を下げて私に話しかけてくる。
「お待ちしておりました。稲荷神様」
「手はず通りですね。覚恕法親王の元まで、案内を頼みます」
「はい、こちらでございます」
まだ若いながらも先見の明があり将来有望そうな代表の僧が案内役を買って出たので、私たちは彼の後ろを歩いていく。
周囲に目を向けると、僧の他にも境内の庭には難民らしき者が、多く集まっていることがわかる。
彼らはこちらに興味深そうな視線を向けてくるものの、話しかける元気がないのか、それとも私のことを恐れているのか、すぐにまた項垂れて俯いた。
特に理由はないが釈然としない何かを感じた私は、無意識に思ったことを口に出す。
「難民が多いですね」
「稲荷神様が来るまでの京の都は、日夜争いが絶えない生き地獄でございました」
私の問に対して、案内役の僧は前を歩きながら淀みなく答えていく。
「延暦寺は規模が大きく、民の心の拠り所です。救いや保護を求めて難民が押し寄せたのでございます」
私は心の中で、なるほどと納得した。三河国がまさにそんな感じだからだ。稲荷神の噂を聞いて、千人を越える難民が押し寄せたときは肝が冷えたものだ。
日の本の民は戦乱の世に疲れ果てて、救いや癒やしを求めているという所だろうが、快適で平穏に暮らしたいだけの私にとっては、いい迷惑だった。
心の中で溜息を吐きながら、辛くなるから話題を変えようと考えて、案内役の僧に別の質問をする。
「保護した難民の扱いは、どのようにしているのですか?」
「施しを与えて、仏の教えを広めております。それ以外は特に何も。
人は皆、死ねば仏ですので」
想像以上の待遇の酷さに、内心ドン引きであった。
例えるなら、穀潰しであるニートに毎日最低限の食事を与えて、あとはほったらかし。病気になったら祈祷はするだろうが、死んだらそれまでだ。
なお私は働いたら負けというネタ動画しか知らず、周りにそんな人は居なくて実際に見たこともない。表現的には何か間違っている気がするが、頭の中にパッと思いついたのでまあいいかと思った。
だがそれでは、ぶっちゃけ拷問と勘違いしそうだし、自立支援や就職の斡旋をしないと、難民の未来は永遠に暗いままだ。
案内役の僧が無力感に打ちひしがれた悔しそうな表情をしているのが、言葉の節々から伝わってくる。
これが彼の演技かどうかは不明だが、全部嘘とは言い切れない。
なので、比叡山でキャンプファイヤーをする決意が強くなる。近衛の二十人も、きっと自分と同じ気持ちだ。
空気が重くなってしまったので、その後はしばらく無言での案内だったが、とある襖の前で案内役の僧が足を止めた。
私的にはとうとう来たかと、ラスボスの部屋前に辿り着いた気分になった。
「この奥に、覚恕法親王様が居られます」
出来ればセーブポイントでも欲しいところだが、人生そんなに甘くない。
だがまあ後先考えていないのはいつものことなので、延暦寺が燃えても燃えなくても、その場の判断としてはきっと最適なのだろうと、開き直って考える。
「これまでの内部工作と道案内、ご苦労でした」
突入前に彼やその仲間の頑張りを労うと、案内役は何か言いたそうにして迷いながら、やがて真面目な顔で口を開く。
「稲荷神様のお役に立てるのならば、苦労のうちに入りません。
それよりどうか、皆をお救いください」
若い僧の涙ながらの訴えに、私は静かに彼の手を取った。
「延暦寺の変革の時が来たのです。
私は日本そのものを作り変えて、この国の民を一人も余さずに救うつもりです」
ただし手段は脳筋ゴリ押しに限るという言葉を、喉まで出かかったところで何とか飲み込む。
そして私は、感極まって嬉し涙を流す案内役の手を離す。何故か後ろには彼と志を同じくする者たちも付いてきており、揃って男泣きしているが、些細な問題だろう。
とにかくラスボス前のやり取りが終わったことで、前に向かって歩き出す。後に続くのは近衛二十名だ。
そして、覚恕法親王という大層な名前の人の部屋に入る前にふと考える。ここは最初に驚かせて、会話の主導権を得たほうが良いのではないか。
ならばと、いつもの短絡的な脳筋的思考により、周囲に人が居ないことを確認した後、ラスボスの部屋に続く襖を乱暴に蹴破る。
「失礼しますね!」
こうして私は最後の戦いを開始するべく、ダイナミック入室したのだった。




