二十話 京都(4) 治療
京都の伏見稲荷大社の一室を貸し切った私は、取りあえず未来に近い簡易的な病室を作ろうとした。
とは言え、色々と足りない戦国時代なので、殆ど一からの構築となる。
まずは掃除や布拭きを念入りに行い、朝廷や公家への献上品のはずの枕と布団を横流しする。
だが実際に寝かせる前に、本来なら病人に入浴は控えさせるべきだろうが、子供たちが不潔すぎた。
なので一度お湯を染み込ませた布で体を丁寧に擦り、終わったら水滴を拭き取り、あとは清潔な寝間着に着替えさせた。
ちなみに今さらだが、病人の介護は全て私が行っている。
取りあえず花子さんと桜さんにも後ほど手伝ってもらうが、見本としてまず一回は自分がやらなければいけないのだ。
それはともかくとして、今の日本は小氷河期で、秋でも冬に近い寒さになる。
なので室内の気温と湿度を一定に保つために、中央の囲炉裏に鍋を設置して湯を沸かし続ける。
あとは極度の栄養失調と風邪で胃腸が弱っているので、まずは温かい流動食から始めて、徐々に消化が良くて栄養が豊富な食べ物に切り替えていく。
念の為に京都の名医を呼び出して、漢方薬による治療も同時に進めながら、私は子供たちが完治するまで吐瀉物や糞尿の処理も含めて、付きっきりでお世話をしたのだった。
そもそも私には他にやることがないので、暇をしていたのであった。
伏見稲荷大社の御本尊の部屋で一日中ボケーとして無為に過ごすよりは、治療の名目で子供の相手をしているほうがマシだ。
何より今回病人の面倒を見るのは全て私のわがままだ。
仮宿の主にさらに一室を貸し切り、食費や医療費で色々とお世話になるのは申し訳なかった。
なのでせめてもの自己負担として、火を起こすのには薪や炭を使わずに狐火で代用した。
ついでに花子さんは、私の知りうる限りの医療技術を継承させるために、医師兼看護師見習いとして正式に雇うことになった。
この時代では異端だろうが、少なくとも手に職があれば子供たちを養うだけの蓄えができるはずだ。
ちなみに巫女の桜さんも成り行きで医療技術を学んでいるが、こっちは私のお世話係と言うか、いつの間にか専属秘書みたいになっているので、未来の知識や技術を会得した専門職よりは一歩劣るといった感じだ。
それでも今の時代から見ればあらゆる面でずば抜けているので、決して器用貧乏にはならなかったのであった。
伏見稲荷大社の一室を貸し切り、看病を始めて数日が経過した。
知識と経験不足を痛感しながらも京都の名医の力を借り、未来と今の時代の医療のすり合わせという試行錯誤を、何度も行う。
その結果、治療は上手く行って、孤児たち全員は順調に回復していった。
しかし発見当時はかなり衰弱していたことから、年相応に回復するまでには、もうしばらくの時間がかかりそうだった。
だが布団で横になって体を休めているのは退屈で、小さな子供はじっとしていられずに、落ち着きがないのが普通だ。
うっかり病み上がりに無理をして熱がぶり返すのは困る。
なので私は墨と筆を持って、京都の紙漉き職人に特別に用意させた丈夫な厚紙に、現代で言う所の漫画風な絵を白黒で描いていった。
ある程度絵が形になったら、厚紙を固定できる同サイズの木枠の額縁にはめ込み、伏見稲荷大社の病室で退屈している子供たちを前にお披露目する。
「昔々あるところに、おじいさんとおばあさんが──」
人並み以上に絵心があるのは良いことで、普通に嬉しい。だがそのせいでまた、変てこな歴史改変が進みそうで戦々恐々してしまう。
ちなみに今話しているのは桃太郎であり、日本の有名な昔ばなしである。
これなら戦国時代の人たちにも受け入れられやすいだろうと考えていたのだが、犬猿雉の仲間を得て、いよいよ鬼ヶ島に突入する直前で、花子さんから意外な一言が出てきた。
「稲荷神様。狐はお供に加わらないのですか?」
「えっ?」
私はそんな話しあったかなと思案するが、自分の知る限りは、桃太郎のお供は犬猿雉の三匹だけだ。
狐の存在は影も形もない。
だがそこで、桜さんがすかさず助け船を出してくれた。ただし、私にとっては泥舟にも等しい。
「桃太郎は稲荷神様の御加護を得ているからこそ、鬼と互角以上に戦えるのです。よって、お狐様は仲間にはなりません」
「「「なるほど!!!」」」
「えっ? ……えっ?」
説明を聞いた花子さんと病み上がりの子供たちは、皆深く頷いて納得している。
唯一腑に落ちないのは私のみという有様だ。
その後、新しい紙芝居を披露するたびに、狐の参入を希望する声が上がるのは言うまでもないのだった。
結局リハビリも含めて十日もかかってしまったが、一人も死なずに子供たちは全員完治した。
もし失敗したらどうしようかと、内心はかなり不安だったが、戦国時代は未来の子供より病気に対する抵抗力があったようで、何とか無事に乗り越えられて何よりであった。
ちなみに何処で噂を聞いたのかは不明だが、長谷川等伯さんという人が、ぜひとも弟子にしてくださいと頼み込んできた。
医者ではなく絵師のほうらしく、うっかり拾ったならまだしも、どっちも弟子は取っていないと丁寧にお断りした。
しかしなかなか引き下がってくれなかったので、勝手に見て覚えるのなら構いませんよと、放置プレイをするハメになった。
なお噂の出どころだが、私が描いた紙芝居は巫女の桜さんが借りて、大勢の参拝者を前に披露していると聞いた。
大変好評なので他の巫女さんも語りを覚えて、今度から伏見稲荷大社の出し物に組み込むらしい。既に舞台化も決定しているとか、何だか予想を越えて色んな意味で言葉が出なかったので、そうですかと相づちを打つのが精一杯だった。
そもそも今の私は医者の仕事で連日徹夜続きだ。肉体的にはバリバリ元気でも、精神的にはちょっと色々危ない。
せめてもの息抜きとして子供たちのためという理由で、オタク的な思考に基づいて紙芝居を描いている状態だ。
これ以上面倒を増やす余裕はない。
だが結果的に長谷川さんや、その同好の士やお弟子さんまでが大集合してしまう。
そして私の紙芝居の技法に関して、議論や研究、またはモロに影響を受けることになるのだが、自分としてはもはや理解が追いつかずに、盛大に匙を投げるのだった。
無事に退院した子供たちだが、助けた後に何処かで野垂れ死にしても困るので、花子さんの下に付いて今後は色々教わるようにと言い含める。
その結果、信仰心が天井知らずで上がることになった。
さらに伏見稲荷大社の関係者一同は、稲荷様は医者の神でもあり、無病息災の御加護がある。そのような噂を大々的に広めた。
過大評価が過ぎるが、金儲けをするチャンスなので想定の範囲内だった。
しかし問題はここからだ。
稲荷神様の元なら最新の医療技術を覚えられて、治療も受けられる。
そんな根も葉もない噂までもが、京の都でまことしやかに囁かれるようになったのだ。
ちなみに伏見稲荷大社の神主さんが言うには、これは本願寺か延暦寺が流した偽情報であるらしい。
彼らは救いや教えを求める民衆を面倒見きれないと、稲荷神様に門前払いさせることで、こっちの信仰を下げる魂胆らしい。
確かに人間だったら無理なことでも、神様ならば可能だと思われても仕方がないことだ。
私は稲荷神を名乗る以上は撤退は許されず、迷える子羊を見捨ててはいけないのだ。
しかし、現実に神様に祈りを捧げたり賽銭やお供え物を捧げて、必死に助けを求めたとしよう。
その際には、願いが叶うことのほうが圧倒的に少ない。
だがしかし、たとえ自称であろうと稲荷神になってしまった私だ。頼られたからには人々を救うし、願われたからには叶える義務がある。
たとえそれが妥協に妥協を重ねた苦し紛れの代案であろうと、とにかく何らかの行動を起こさなければいけない。
それにだ。これまで散々馬鹿にされてきた一向宗に、この期に及んでまだ好き放題にされるのは癪だ。
相変わらずの一度も失敗を許されない綱渡りに、穴が開かない頑丈な胃で良かったと、心の中でホッと息を吐くのだった。
救いと教えを求める民衆をどうにかするために、私は足りない頭を捻って考えた。
その結果、医療の学校を建てることを思いつく。
今の時代は個人の診療所ならあちこちにあるが、大勢が学んだり患者を受け入れる総合病院や医療大学のような施設は、多分ない。
そもそも医療技術が未熟なので、基本的には漢方治療か自然治癒に任せるしかない。
あとは詐欺としか思えない祈祷で病魔を追い出すかだ。
私は医者ではないが、そんな酷い選択肢を強要される現状など、絶対に受け入れたくはなかった。
だが、どれだけ非情な現実を嘆いても、未来の医学を知る私は、この世界に一人しか居ない。
どう考えてもマンパワー不足であるが、狐っ娘は一日中働いても全く疲れないので、やってやれないことはない。
しかしそれでは、平穏な暮らしからかけ離れすぎている。
ならば学校や病院を建てて医者を増やし、医療技術を底上げして患者の治療の効率化を図る。
今は苦労しても将来的に楽になるなら別にいいかと、いつもの場当たり的な判断で形振り構わず突っ走るのだった。




