二十話 京都(1) 退屈
京都の後となります。事前にお読みください。
京都の伏見稲荷大社を私の仮宿にしてから、数日が過ぎた。
三好の反乱は無事に鎮圧されたので、足利義輝さんは征夷大将軍を退位することになった。
脅しに近い手段だったことはともかくとして、上流階級への根回しと言うか面倒で格式張った準備が必要になるらしく、今すぐというわけにはいかなかった。
なので私は早く三河の我が家に帰りたいなと思いながらも、当分の間は伏見稲荷大社でお世話になることになった。
しかし、これがなかなか精神的に辛いのだ。
自分は稲荷神(偽)で通っているので、御本尊が安置された部屋に籠もることになる。
さらにはそこは聖域として扱われ、神職の中でも位の高い者や私が許可した者以外は、近づくことは許されない。
それでもって今現在は、入室を許可している知人や神主さんは、足利将軍を穏便に退位させるために、京都の位の高い方々への根回しに大忙しで、私に会いに来る者は殆ど居ない。
さらには主だった神職は稲荷神関連の仕事に追われ、今現在の伏見稲荷大社は人手が全く足りていなかった。
なので朝昼晩の食事の時間以外は誰とも顔を合わせないのは、良くあることなのであった。
「今日も暇ですね」
御本尊の安置された部屋は聖域で、本日何度目かわからない呟きを口に出す。
今現在この部屋に居る人は私一人だけなので、何処からも反応が返ってくることはなかった。
「筆記や模型作りなら時間潰しになりますが、いつ人が来るかわかりません。
それに、わざわざ京都に来て仕事をするのは、何か違う気がします」
念の為に狐耳を澄ませているが、今は近くに人は居ない。
独り言を聞かれる心配はないが、警戒しておくに越したことはないため、稲荷神(偽)の言葉遣いなのは、うっかりを避けるために念には念を入れてのことだ。
と言うのも入室こそしないものの、警備員は定期的に巡回しているのだ。
知らない人の足音が近づいて来たり、障子戸の向こうから本堂の稲荷神に異常がないかを、目を凝らしたり耳を澄ませて確認するため、時間潰しで何かをしようとしても、そのたびに気になって集中力が切れてしまう。
何より、京都の伏見稲荷大社は仮宿で、私の立場としては外からやって来たお客さんに過ぎない。
住み慣れた我が家とは違い、少々居心地が悪かった。
そこで私は、いっそのこと考え方を変えてみようかと、思ったことをそのまま口に出した。
「せっかくの京都です。この際ですし観光を楽しみましょうか」
私には征夷大将軍になる大仕事が控えている。だが、それがいつになるかは未定のままだ。
それにずっと備えているのは精神的に辛いものがあるし、せっかく京都に来たのだ。
戦国時代の日本の首都を見物するなど、滅多にできることではないため、気分転換や暇つぶしには丁度いい。
ぶっちゃけ退屈すぎて少々苛立っていたのが一番の理由だが、それを口外すると面倒を見てくれている伏見稲荷大社の関係者の胃がヒギイするので、お口チャックである。
思い立ったが吉日とばかりに、私は豪華な座布団から立ち上がって大声を出した。
「これよりお忍びで京都を散策します! 目立たない衣服の用意と、案内役の手配を!」
今現在の私の心の内は、京都観光一色に染まっていた。
そして待つこと十秒ほど、神主さんは多忙なためここには来れないが、たまたま近くを通りかかったのか大慌てで廊下を駆けてくる足音を捉える。
人数は一名のようで、御本尊の部屋の前で足を止めた。
若干息を切らしてかしこまりながら、恐る恐るといった表情で障子戸を開けて入室してきた。
そして明るく元気の良さそうな若い巫女さんが、緊張しながら話しかけてくる。
「失礼致します。稲荷神様、京都を散策とお聞きしましたが──」
「その通りです。繰り返しになりますが、貴女に目立たない衣服の用意と、京都の案内を頼みます」
私にとっては京都観光さえできれば、お供は誰でも良かった。
そして狐っ娘の本体と年齢が近い同性の巫女さんなら、言葉は崩せないが気持ち的には割と楽である。
なので深く考えることなく、殆ど直感で決めてしまう。
「えっ、あっあの?」
「お願いしますね」
言葉を強めると、若い巫女さんは明らかに困惑していた。
最終的には若干顔を青くしながらもコクリと頷いた後、慌てて部屋から出ていったのだった。
さっきの巫女さんが上に報告したのか、本堂の周囲が慌ただしくなってきた。
しかし外出するのも一苦労とは、戦乱関係なく狐っ娘には優しくない世の中である。
だが狐耳と尻尾が生えた人間など、この世には存在しない。
稲荷神のフリをしなければ問答無用で妖怪認定を受けて、今より悲惨な状況になっていた。
とは言え、たらればの未来を考えても意味はない。
今は京都観光をして、成り行きで征夷大将軍をやられるストレスを解消することが大事なのだった。
先程の若い巫女さんだが、お忍びの着付けや観光案内だけでなく、今後は私のお世話係として配属されることも同時に決まった。
伏見稲荷大社の神職は皆大忙しだったので、手が空いているのは最近入ったばかりで、私が来るまでは数日ほど先輩の指導を受けていた、見習い巫女さんしか居なかった。
なので苛烈な椅子取りゲームや、お世話係を巡る恨み妬みが繰り広げられることはない。
最終的には私の一言で決まったのだが、状況的にも妥当と言うか指導員のはずの先輩は多忙で手が離せないので、重要な仕事が割り振られていない人員は彼女しか居ないと判断されたのだった。
ちなみに巫女さんの名前だが、名字はなく、桜さんと言うらしい。
それはともかく、今の私は藁笠に長く上等な絹を薄く垂らして素顔を見えないようにして、狐色の髪はお団子状に束ねて耳と一緒に隠していた。
さらには巫女服も、伏見稲荷大社の物に着替えている。
サイズ的には一番小さくても私的には少々大きめであるが、ふわもこの尻尾もちゃんと隠せるため、完璧な変装と言える。
なお伏見稲荷大社や五国の連合軍からは、念の為にと護衛を用意してくれた。
しかしぶっちゃけ狐っ娘が一人居れば何とでもなるので、ぞろぞろと連れ歩いたら京都観光の邪魔になってしまう。
なので自分が呼ばない限りは一定の距離を開けて、決して散策の邪魔もしないことを条件に同行を許可した。
だが言葉で言っても納得しないだろうから、私がただ守られるだけの存在ではないことを証明するため、その辺に落ちている石ころを拾い、躊躇いなく素手で握り潰した。
さらに神主さんに許可を取って、境内の大岩めがけて小石を投げつける。
すると大きな亀裂が入り、轟音や衝撃が周囲の空気を揺らしたあとに、駄目押しとばかりに一瞬で距離を詰めて、縦に真っ直ぐ手刀を振るう。
結果、大岩は綺麗に真っ二つとなった。
その後、ただちに危険はないので、もし怪しい輩が近づいて来ても即切り捨て御免は駄目だと、驚愕の表情を浮かべる護衛のお侍さんたちに、言葉ではなく実力で理解させたのだった。




