十八話 正史に戻すために(2) 寿桂尼
武田さんとの話し合いが終わって、しばらく経った。
するとまたもや、我が家に来客が訪れたのだった。
彼女は寿桂尼さんと名乗り、そろそろ五十近いようだが、今川さんの領地から遥々やって来るぐらいなので、大変健脚で元気が良かった。
「稲荷神様! どうか孫の今川氏真のために、お力をお貸しください!」
一応は成り行きで我が家の居間に招いた。
だがしかし、まさか寿桂尼さんが松平さんが人質にされていた今川家当主の身内だったとは。
敵地に乗り込んでくるとは、命知らずにも程がある。
長山村の周囲は警戒厳重なので、松平さんの耳にも当然届いている。
その上でわざわざ許可を出して面会までさせるとは、一体何を考えているやらだ。
少し前は可愛い子狸かなと思っていたが、最近の彼は腹黒タヌキにランクアップしているように思える。
(少し前まで人質にされてたのに、松平さんの懐の深さは大したものだよね)
だが松平さんは、今川をどうしたいのだろう。
具体的なことは何も聞いていないが、私のスタンスとしては来る者は拒まずだ。
余程うざい相手でなければ門前払いはせずに、かかってこい! 相手になってやる! なので、当然のように寿桂尼さんともちゃぶ台を挟んで向かい合う、
(そう言えば武田さんは、ちゃんと家に帰れたのかな)
ふと思い出した武田さんについて考える。
敵だと判断したら問答無用で切り捨てるのが、戦国の世の常である。
私との話し合いが終わったあとは、何かを決意したような表情をしていた。
彼がこれからどう動くかは知らないが、自分が面倒を被らなければいいかと、いつもの棚上げをするのだった。
何にせよ今は、決死の覚悟でこの場に来た寿桂尼さんとお話するのが重要である。
そして私は基本的に脳筋ゴリ押ししか出来ない。
松平さんの思惑がどうあれ本音をぶっちゃけるだけだし、その結果で彼女を深く傷つけるとしても、嫌いな嘘をつくよりはマシだ。
なので今川への協力要請に対して、いつも通りに誤魔化すことなく正直に返答した。
「私は今川氏真さんに、力を貸す気はありません」
はっきりお断りしたことで、寿桂尼さんがあからさまに狼狽える。
だがまだ諦めていないのか、なおも食い下がってきた。
「では稲荷神様を祀るために、絢爛豪華な神社を新たに建てましょう!
何卒! 孫の今川氏真のために! お力添えを!」
居間で座って話している寿桂尼さんは、畳に頭を擦りつけんばかりに下げている。
見事な土下座だと感心するが、これでは断った私が悪者のように思えてしまう。
(寿桂尼さんが必死なのはわかったけど。やっぱり駄目だね)
やはり今川に協力する気にはなれない。
私が彼女の味方になると言うことは、これまでお世話になった松平さんを裏切るということだ。
「松平殿と同盟を結び! 決して裏切りません! ですのでどうか!」
相変わらず、私の協力を得ようと頑張る寿桂尼さんだが、松平さんの信頼を裏切りたくないのは事実だ。
だが今川に救いの手を差し伸べない一番の理由は、それではなかった。
取りあえず、まずは彼女にそのことを伝えて、一旦落ち着いてもらわなけれは話が先に進まないと思ったが、なかなか難しそうだ。
それでもやるしかないと私は小さく溜息を吐いてから、静かに声をかける。
「寿桂尼さん、頭を上げてください」
私は彼女の頭を無理矢理にでも上げさせるために、絶対に協力する気はないと断言する。
「どのような条件を出されようと、今川氏真さんに力を貸せません」
「そっ、そんな!?」
私が頭を上げせた時の彼女は、絶望に染まっていた。
そもそも自分は立身出世には興味がないし、神社に祀られて民衆から崇め奉れたり、他者から尊敬を集めたいわけでもないため、どんな好条件で出されても全く食指が動かない。
(それに戦国大名に力を貸すってことは、面倒な仕事を押しつけられるのと同じじゃない?)
自分は毎日を平穏に暮らしたいだけなのに、寿桂尼さんはそこが全くわかっていない。
どれだけ高収入や高待遇を約束されても、朝から晩まで馬車馬のように働かされては本末転倒である。
特にこの時代の大名というのは超絶ブラックであり、コンビニの店長よりも年中無休ではないかと、松平さんを見てそう思った。
とは言え彼を振り回しているのは私なので、本当はもっとホワイトかも知れない。だが何となく松平さんは、自分が居なくても相当な苦労人な気がしたのだった。
それはともかくとして、私は大きく溜息を吐く。
次に、寿桂尼さんに何故断ったのかという、具体的に説明していった。
「まず言っておきますが、協力できないのは今川氏真さん、彼個人に対してです」
「えっ? ……あの、申し訳ありません。お言葉の意味がわからないのですが」
呆然としている彼女に向けて、私がこれから何をするつもりなのかではなく、成り行きでやらなければいけなくなったことを、頭の中で順序立てていった。
どうしても協力できない理由としてはまず、これらをはっきり伝える必要がある。
「私は近いうちに天下を統一します」
「なっ、何と!?」
寿桂尼さんが思いっきり驚いたと言うことは、これはまだ秘密だったのようだ。
しかし松平さんは腹黒タヌキなので、それなりに長い付き合いである私の性格は良くわかっている。
つまりここで打ち明けることも、想定の範囲内のはずだ。
もし想定外だったらごめんなさいだが、言ってしまったからには仕方ない。
そもそもこれを打ち明けなければ話が進まないので、構わず言葉を重ねる。
「でっ、では! 足利将軍家は如何されるのですか!?」
「無駄な血が流れるのは好みません。退位してもらったあとは、政治とは無縁の場所に隠居させます」
「そっ、そうですか」
何だか物凄く動揺して問いただしてきたので、足利将軍家と繋がりでもあるのだろうか。
その辺りは私は全く興味がなかったし、私の返答に安堵した雰囲気が伝わってきたので、構わず説明を続ける。
「天下を統一した後は、私は日本全国に五穀豊穣を与えるために多忙となります。なので、彼個人への助力は不可能なのです」
ここまで聞いてようやく納得してくれたのか、寿桂尼さんは嬉しそうな表情で何度も頷く。
「それは確かに、稲荷様の仰られる通りでございますね」
本当は征夷大将軍などやりたくない。
だが狐っ娘の体で平穏な暮らしを勝ち取るためには、泣きごとを言ってられないのだ。
それでも日本が平和になったら徳川家康さんにバトンを渡し、私は悠々自適な楽隠居生活に突入し、余生をのんびり過ごすという希望は残っている。
「あの、稲荷神様」
「何でしょうか?」
真面目な表情を浮かべて姿勢を正した寿桂尼さんが話しかけてきたので、こちらも少し身構えてしまい、緊張気味に答えを返す。
「上洛はいつ頃を予定しておられるのでしょうか?」
「松平さんに任せていますので、彼の準備が整い次第ですね」
ただの一般人である自分に、政治や軍事のことを期待されても困る。なので、現場に丸投げである。
松平さんはまだ若いが大名をしていて、最近は腹黒タヌキが板についてきた。
さらには優秀な家臣の支えもあり、上洛の準備は順調に進んでいると聞いている。
「では上洛となりましたら今川も! 末席で良いので加えていただきたく存じます!」
「私は構いませんが──」
「ありがとうございます! 言質は頂きましたので、これにて失礼致します!」
何か良いことでもあったのか、嬉しそうな表情に変わった寿桂尼さんは、私に向かって深々と一礼して、勢い良く座布団から立ち上がる。
そして戦国時代の四十代後半とは思えないほどの健脚で、社務所の引き戸を開けて外に出ていった。
彼女は連れてきた護衛たちと何やら話して、最後にもう一度、満面の笑みを浮かべてこちらに深々と頭を下げる。
(一体何がどうなったのか。さっぱり意味がわからないんだけど)
最初から最後まで、まるで嵐のようなおばさんだった。
けどまあ、今川には協力できないと納得してくれたので、とにかくヨシだ。
私は自分の分のお茶に手を伸ばして、口に運んで静かに喉を潤す。
取りあえず話し合いは終わったので、次は立ち上がって戸棚からお煎餅を取り出しに行って、まずは一服するために、ゆっくり動き出したのだった。




