十八話 正史に戻すために(1) 武田信玄
正史に戻すためにの後となります。事前にお読みください。
永禄六年の秋の岡崎城下の稲荷祭が無事に終わった。それ自体は良いことだ。
しかしその後、なし崩し的に私が幕府を開いて天下統一する流れになってしまった。
世の中は順風満帆にはいかないものだと、大きく溜息を吐く。
だがそれはもう、自分の意志一つでは変えようのない確定した未来である。
ならばプランBとして、江戸に幕府を開いた後に、松平さんにバトンタッチして正史に戻す作戦を思いついた。
これまで歴史を滅茶苦茶に改変してしまったことと、これから先にもお世話になるお詫びも兼ねている。
なので戦乱の世から完全に脱して、治安が良くなり日本中の民衆が平和を謳歌するようになってから返還するのが私なりのケジメであると、そう強く思ったのだった。
色々と面倒な事情はともかくとして、時は流れて永禄七年の春になった。
まだ朝日が登っていない山の中腹の社務所に、麓の村の神主さんが困惑しながらやって来た。
彼は玄関の引き戸を恐る恐る開けて、面会希望者が訪れましたと、居間でのほほんとお茶を飲んでいた私に伝えてくれた。
言われて彼の後ろを見ると、旅装束だが帯刀して隙のない中年男性の集団が私を観察していることに気づく。
そのうちの先頭の一人が、数歩前に出て深々と頭を下げる。
「武田信玄と申す。本日はよろしく頼む」
「はぁ、武田さんですか」
私の知り合いに武田さんと名乗る人は居ない。だが稲荷神を自称するようになってから、こういった飛び入りの面会希望者は珍しくない。
大抵は身分の高い人であり、神主さんが断りきれないために、こっちに回ってくるのだ。
一応は松平さんの許可を取っているようだが、色々とややこしい事情があり、本名が伏せられる場合もある。
ちなみに今回はと言うと、偽名の可能性は低そうだ。
何故なら歴史の知識はからっきしでも、今現在の三河国に隣接する勢力の統治者ぐらいは知っているからである。
私は三河と隣接する北東の国の統治者が武田信玄だったことを思い出し、もうその時点で嫌な予感しかしなかった。
「何はともあれ長旅でお疲れでしょうし、家の中にどうぞ」
それでも態度には出さずに冷静に振る舞い、稲荷神っぽくにこやかな笑みを浮かべて、彼らを迎え入れる。
「ありがたい。それではお邪魔させていただく」
「お供の方も、ご一緒にいかがですか?」
隙のない立ち振る舞いを行う者を複数人引き連れている。彼らの顔は藁傘で隠れていて見えないが、取りあえず全員を家の中に招く。
流石に室内では藁傘を外してくれたが、やはりと言うか全員がむさいおじさんであった。
しかしこの程度は予想済みであり、彼らがいきなり刀を抜いて私を拉致しようと襲いかかってきても、鎮圧できるぐらいには強いという自覚があるし、家族である狼たちも含めて、交渉よりも荒事のほうが断然得意だ。
なので情報を探るか、もしくは可能であれば拉致しようしても無駄な犠牲が増えるばかりである。
様々な紆余曲折があり、最終的には当主自らが出向き、事の真偽を見極めなければ動くに動けなくなったんだろうなと、殆ど直感だが私はそう考えたのだった。
皆が中に入った辺りで、武田さんが神主さんに席を外すようにと頼んだ。なので彼は一礼すると玄関の引き戸を閉めて、そのまま麓の村に帰っていった。
一方で私は、自作のタンポポ茶を沸かして、ちゃぶ台の上に並べた湯呑に順番に注ぎ入れていた。
そして土間から居間に上がってもらった武田さんと護衛の人たちのために座布団を敷き、しばらく座って待つようにと伝える。
「粗茶ですがどうぞ」
「感謝いたす。しかし稲荷神様が行うのだな。下女か巫女にやらせれば良いのでは?」
私は彼らにお茶を出した後、急須を台所に戻しに行きながら、武田さんのほうを向きもせず質問に答える。
「いつか一人になった時に困りますから、家では自炊をするようにしているのです」
松平さんにバトンタッチした後は、私は当然隠居することになる。
その際に、狼たちを連れて日本全国の観光及び食べ歩きツアーで、残り少ない余生を過ごすつもりだ。
下女や巫女を付き合わせることも出来るが、年寄りのわがままで振り回すのは申し訳ない。
「ふむ、どのような意味だ?」
「そのままの意味です」
なお、この計画は私だけの秘密で、武田さんに教えるわけにはいかない。
なので、深くはツッコまないでもらいたい。
「なるほど、そう言うことか」
「はい、そう言うことです」
彼は何かを察したように真面目な顔で深く頷くが、きっと勘違いしている。
いつか私自身の信仰が失われて、人々に忘れ去られて孤独に生きざるを得ない方面にだ。
だがそれを訂正する気はない。
何故ならいちいち言い訳するのは面倒だし、稲荷神を辞めて普通の女の子に戻りたいなどと口にしたら、どんな反応が返ってくるか予想不可能なのだ。
やがて台所から戻ってきた私は、最近お気に入りの座布団を敷いて静かに腰を下ろし、ちゃぶ台を挟んで武田さんと対面する。
「それで、今日はどんな御用でしょうか」
「噂の真偽を確かめに来た。……と言えばわかるか?」
いちいち思わせぶりなことを言う武田さんに、私はふむと小さな手を口に当てて考え込む。
私のやらかしが噂になって、尾びれや背びれが生えて独り歩きしていることは知っている。
だが彼がどの噂の真偽を確かめたいかを教えてくれなければ、こっちで勝手に想像するしかない。
なのでまずは、一番確率が高そうな質問を、当てずっぽうで口に出す。
「私が本物の稲荷神なのかを、調べに来たのですか?」
「その通りだ。そこで聞きたいのだが、お主が本物という証拠はあるのか?」
どうやら正解だったようだ。
しかし私が本物の稲荷神の証拠と言われても、正直困ってしまう。
狐の耳と尻尾を例に出しても、妖怪だと断言される可能性が高い。
これらの事情を考慮した結果、偽物であると自信を持って言い切れる私は、嘘をつかずに馬鹿正直に、それこそ恥じることなく堂々と返答した。
「私が稲荷神である証拠はありません」
「「「……は?」」」
そもそも私は稲荷神の偽物であり、民衆の前でただそれっぽく演じているに過ぎない。
その時々で彼らの望むように未来の知識を神の奇跡と称して、人々の願いを遠回りに叶えているだけだ。
なので偽物の証拠などいくらでも出てくるが、自分が本物ではないことは当人が一番良くわかっていた。
だがそれでは、妖怪討伐エンド待ったなしだ。
と言うわけで、呆然とする武田さんと護衛たちには、たった今思いついた言い訳で煙に巻いておくことにした。
「私の正体が稲荷神かどうかは証明できません。
そもそも隣の大陸では別の存在として崇められていたでしょうし、真偽を確かめる意味などないのでは?」
同姓同名の神様でも、地域によって役割が大きく変わる。
なので稲荷神も日本に渡来する前は全く別の存在で、五穀豊穣の加護など持っていなかったかも知れない。
まあ全ては私の想像だが、あながち的外れではない気がした。
「では稲荷神様のお力は、五穀豊穣だけではないと?」
正直何でそれを聞かれたのか、全く意味がわからないし、私は明確な答えは持ち合わせていなかった。
だが、武田さんが否定しないと言うことは、一応は納得してくれのだろう。
ならばと困った時の対応策として良く使う、愛想笑いして適当に誤魔化すだ。
「ごっ、……ご想像にお任せします」
「おおっ! なっ、何と言うことだ!」
武田さんは天井を見上げて大声を出すが、よく見ると護衛の人も感極まって嬉し泣きしている人もいる。
「これで稲荷神様が成した! 全ての偉業に説明がつく!」
その様子を見た私は大いに混乱し、何でそんなに過剰に反応するのと? と、口には出さないが内心は物凄く動揺してしまう。
だがまあ何はともあれ、取りあえず冷静になるために、タンポポ茶で乾いた喉を潤すのだった。
しばらく武田さんや護衛の人たちが私の神性について熱心に議論していたが、結局あらゆる事象を司る天地開闢の始神の分霊にされてしまった。
けれどご想像にお任せしますと口にした以上、こっちからは何も言うことはできない。
話し合いが一段落した武田さんは続いて何かに気づいたのか、もう一度私に質問してきた。
「しかし偽物と疑われたままで、本当に良いのか?」
わざわざ心配をしてくれる優しい武田さんに、私は微かに微笑みながら返答する。
「知識や道具を伝え終われば、稲荷神の存在は不要となります。
あとは愛すべき民たちが、私なきこの国に五穀豊穣をもたらしてくれましょう」
未来の日本と比べればまだまだ発展途上だが、三河と尾張は豊かになった。
この流れが全国に広がるのは、もう止まらないだろう。
中身が一般人の私としては、平和な時代が来て身の安全さえ確保されれば、信者が一人も居なくても全然平気だ。
それどころかワッショイワッショイされるのにはうんざりなので、さっさと普通の女の子に戻りたい。
「私は既に表舞台から降りた身で、知恵はあっても神通力は狐火以外は使えません。
それに、現世の主役は貴方たち人間です。そんな中で稲荷神の存在など、邪魔なだけでしょう?」
自分が使えるのは脳筋ゴリ押しと狐火だけだ。未熟な稲荷神なので、あんまり頼らないでね。と、正面から口には出来ないので、遠回しに釘を差しておく。
そのはずだったのだが、武田さんや護衛の人たちは何とも悲痛な表情を浮かべている。
おまけに俯いて深く考え込んでいたと思ったら、ゆっくりと口を開いた。
「稲荷神様、世話になった」
「どう致しまして」
しばらく思案を続けていた武田さんが何かを決意したのか、座布団から立ち上がる。
護衛たちも無言で後に続き、私の家から順番に外に出ていく。
(はぁ、稲荷神の偽物だとバレなくて良かったぁ)
引き戸を開けて外に出ていく武田さんたちの背中を見つめながら、私はそんなことを考えていた。
自分はそんな大した神様ではないと予防線を張り、本物の証拠などないけど、あんまり表舞台に出しゃばるつもりはないとも、若干遠回しだが言い訳はしておいた。
しかし武田さんは始終重い空気だったことから、私のことをかなり警戒しているのは違いない。
なので早いところ征夷大将軍を松平さんに渡して楽隠居しないと、いつか偽物だとバレて妖怪として退治されそうだと、少しだけ不安に思ったのだった。
なお武田さんの訪問だが、松平さんは当然のように知っていた。
書状でやり取りをして正式に許可を取り、今後の対応を決める前にと、私の家まで山越え谷越え遠路はるばるやって来たのだ。
何でも彼も天下を統一するために京の都を目指しており、その通り道で障害になるのが三河だった。
ついでに言えば正体不明の私は、何をしてくるのか全く行動が読めずに、物凄く恐ろしく見えていたらしい。
他にも松平さんが念の為に忍びを雇って遠くから監視をしていたし、社務所の隣の小屋の狼たちも耳を澄ませて様子を窺っていた。
しかし何事もなく相談は終わったので、結局彼らの出番はなかった。
その後数日も経たないうちに、松平と武田が同盟を結ぶのだが、その場を乗り切ったと思って安堵する狐っ娘には、知る由もないのだった。




