十五話 一向一揆(3) 備中鍬
<難民>
風呂の説明が一段落したので、役人の案内を受けて私たちは次の施設へと向かった。
村の一角に小屋が建てられていたので、風呂と同じく役人が先に扉を開けて、内部を見せて説明を行う。
「農機具小屋だ。稲荷神様が発案及び開発され、量産体制が整った物が置かれている」
「……見たこともない道具ばかりですね」
数点ほど見たことがあるが、殆どが用途不明の道具なので何だか不思議な気分だ。
既に量産体制が整っていると聞いたが、三河国は稲荷神様の教えを全面的に支持しているということだろう。
自分たちもいずれはそうなるだろうが、説明を聞くだけでは、まだまだ半信半疑の者も多くいた。
「今年は開拓に専念してもらう。本格的に使うのは来年からだ。
だがまあ、この辺りは初年度でも役に立つか」
役人が農具の一つを手に取ってこちらに見せると、村人たちにはそれがクワだとすぐにわかった。
しかし一枚刃の平グワでなく、明らかに形が違い、先が四つに分かれている。
「クワでしょうか?」
「正解だ。名前は備中グワで、稲荷神様が考案した道具の一つだ」
平らなクワではないので違和感があるが、これが一体どのように使うのかが気になった。
「実際に使ったほうが早いが、クワに土がつきにくく、深くまで刺さり、掘れる。……以上だ」
何とも簡潔だが、わかりやすい説明だ。
収穫が終わって固くなった田んぼや、開墾には大活躍しそうである。
五穀豊穣の神様だからこそ、備中グワを授けたのだろうが、私たちはここで一つ大きな疑問が生まれた。
「備中という名の由来は?」
「知らぬ。稲荷神様に尋ねても、はっきりとは教えてくださらなかった。
なのできっと、海よりも深いお考えがあるに違いない」
役人が知らないのならこれ以上聞いても無駄だと考えて、取りあえずの納得はする。
やること成すことが、人間の常識から外れているからこその稲荷神様だ。
きっと我々には窺い知ることができない事情があるのは、容易に推測できた。
その後は農機具小屋内の未知の道具の数々の簡単な説明を受けて一段落したあと、再び歩き出して次の施設へと向かう。
そして私たちは、村から少し離れた場所に建てられた小屋に入る。
「ここが肥料小屋だ」
「うっ、臭いが酷いですね」
「お前たちが来る前の見本として、量は少ないが発酵前の肥料を運び込んだからな」
確かに実物があったほうが説明もしやすいだろう。
肥料小屋と聞いたが、辺りを見回すと換気用の窓が多い馬小屋のように思えた。
「それぞれ、鶏糞、牛糞、人糞に分かれておる」
「糞尿を集めてどうするのですか?」
「発酵が十分に進んだ後、田畑にすき込むのだ」
役人の説明を聞いて、私や他の村人が絶句したのは言うまでもない。
だがしかし、中には肥料について一部知っている者もいるのか、彼らは小さく頷いていた。後で詳しく教えてもらう必要がありそうだ。
「作物は土の中の活力を吸い取って育っている。なので田畑は何もしなければ、年々弱まっていく。
そこに定期的に肥料をすき込むことで、活力を蘇らせるのだ」
私はそこまで聞いて、なるほどと頷いた。
だが実のところ、良くわかっていなかった。しかし今は、とにかくそういうものだと思い込むことが重要である。
「腐葉土やぼかし肥料等の施設も近くにあるが、構造も用途も殆ど同じだ。
故に説明は省略させてもらう」
そう言って歩き出した役人のあとを追うが、次は何処に行くのか気になって質問する。
すると、家畜小屋だと教えてくれた。
難民だった私たちに、家畜である牛か馬を与えてくれるだけでも、随分と気前が良い話だ。
一年間の生活保障と言い、それだけ我々に期待してくれているのだと考えると、とても嬉しくなってくる。
「家畜とは牛でしょうか? それとも馬でしょうか?」
「両方だ。あとはそれ以外にも、鶏と山羊がおるぞ」
「えっ? そっ、それはどういう?」
両方与えてくれたことに感謝する。しかしその後、鶏と山羊と聞いて、理解が追いつかなかった。
まだ頭の中で考えが整理できていないうちに、大型の家畜小屋に入る。
周りを柵に囲まれている中、鶏と山羊が別々の場所に分けられて、のんびりと雑草を食べているのが窺える。
他にも馬と牛も居たが、過去に見たことのない家畜のほうが気になってしまう。
「これから鶏から卵を、山羊からは乳を搾ってもらう」
いよいよ自分の頭がおかしくなってきたかと思った。
鶏の卵もヤギの乳も手に入れるのは良いが、それを一体どうするのか、皆目見当もつかなかい。
「最初に言っておくが、卵ならばお前たちは既に食べておるぞ」
「「「えっ!?」」」
「炊き出しの塩粥に、黄色の糸が入っておっただろう?」
そう言えば塩粥の中に黄色い固形物が混じっていたことを思い出すが、あれが卵だったようだ。
だがあの時は、久しぶりの美味い食事に感動のあまり、中身が何かなど全く意識していなかった。
それでも何やら見慣れない食材が、卵の他にもいくつか含まれていたような気がした。
村人たちが頭を捻っていると、家畜施設の概要を説明し終えた役人が、詳細は後ほどと言って再び歩き出す。
次に連れてこられたのは、村の外れに建てられた水車小屋で、中に入ると石臼が止まることなく回り続けていて、穀物を粉にしていた。
役人は周りにこぼれ落ちていた種籾を拾って、私たちに見せる。
「開墾した田畑の春の終わりには、まずはこれを撒くのだ。
稲荷神様は無償でと申されたが、こちらの懐事情も少々厳しいのでな」
その種籾は見慣れた物だったので、村人一同もよく知っていた。
「了解しました。しかしこれは、蕎麦でしょうか?」
蕎麦は蒔いてから収穫までが早く、荒れ地でも良く育つ。そして腹は膨れるのだが、あまり美味しくはなかった。
「蕎麦ならば、開墾したばかりの畑でも立派に育とう」
「はっ……はあ、それは確かに」
開拓村に来る前に炊き出しで食べた塩粥を思い出した。
あれと似たような料理なら過去にも何度か味わったことがあるが、似ているのは見た目だけであり、三河国の炊き出しほどの美味ではなかった。
なので私は、村人の代表として役人に尋ねた。
「お役人様。もしかして蕎麦も、塩粥のように美味しくなるのでしょうか?」
「ほう、勘が良いな。その通りだ」
何と言っていいのか、この村に来てからではなく、それより前の三河国に入ってから驚きの連続である。
「お前たちは、蕎麦の他に大豆も育ててもらう。まあ、醤油に加工するのは町の職人だがな」
言葉もなかった。
稲荷神様の教えにいちいち狼狽えていては身が持たないし、疑問に思うことなく黙って従い、実際に体験すればわかると伝えられたのは、このことかと実感した。
本当にこれまでの常識がまるであてにならない怒涛の展開が続くが、それは良い意味の驚きに満ち溢れていた。
なので開拓村に来てからの自分や家族、村人たちの表情はとても明るいのだった。




