戦わずして勝つ
数日に及んだ稲荷祭を無事に終え、稲荷山(元々名前はなかった)を登って本堂に戻り、再び中年の生徒たちを前に教鞭を執ることになった。
しかし今は何を思ったのか、織田さんと松平さん、そして護衛の武将たちがすぐには帰らず、予備の座布団と机を最前列に並べて、一緒に授業を受けることになったのだ。
「稲荷神は他国と、どのようにして戦うつもりなのじゃ?」
ただでさえ三歩進んで二歩下がる亀の歩みだったので、講義の邪魔をしないという条件で見学を許可したはずだ。
しかし織田さんは好奇心旺盛な性格らしく、大人しい松平さんとは違って、少しでも気になったことはすぐ質問する人だった。
「私なら、戦いません」
「それは戦わずに降伏するということか?」
「違います。戦わずして勝つのです」
「ふむ、……どういうことじゃ?」
また講義が脱線かと思ったが、織田さんの質問はこの学校を建てた目的にも絡んでいるし、丁度良い機会だと考えて、この場を使って皆に教えることにした。
「質問を質問で返すことになりますが、この学校を建てた目的を知っている方は居ますか?」
すると、いの一番に松平さんが手をあげたので、指名して発言を許可する。
「それは稲荷様の教えを広めて、国を豊かにするためです!」
「松平さん、正解です」
見事に正解を言い当てた松平さん。だが学校は元々彼の提案で建てて計画当初から関わっていたのだから、目的を知っていても当然とも言える。
「それではさらに先に進めて、何故国を豊かにする必要があるのか。はい、……本多さん」
松平さんに負けじと勢い良く手をあげたので、今度は彼を指名した。
「他国に戦で勝利して、領地を増やすためでござる!」
「半分正解ですね」
「はっ……半分でござるか!?」
その答えはまさに、戦国時代の象徴とも言える。勝利を目指すのは間違ってはいないが、私から見ると正解とは言い辛い。
極めて現代の女子高生らしい考え方だが、戦争なんてしないに越したことはないのだ。
「話し合いでは決着が付かず、どうしようもなくなった時、最後に取るべき手段が戦です。
勝てれば大儲けですが、負ければ大損。命を賭けた壮大な博打ですね。
おまけに勝利者も失う物が多く、はっきり言ってやらないほうがマシです」
さらに戦によって損失する可能性のある物、食料、人員、武器や防具、領土、時間、銭、……などを、思いつく限りあげていく。
たとえ戦に勝った領土を増やしたとしても、損失分はすぐには取り返せず、総合的にプラスに持ってくるには、とても長い時間が必要になることを付け加えておいた。
「だが稲荷神よ。戦乱の世は終わる気配がなく、誰もが戦に明け暮れておるぞ」
「それは上に立つ者が皆、目先の利益を追い求めるからです」
とうとう織田さんが手をあげずに腕を組んで考えながら、私に話しかけてきた。今の話にここまで付いてこれる人は、戦国時代ではかなり少ないはずだ。
「自領が貧しいからこそ他領の富を羨む。そして領土が大きいほど豊かになる。
考えは間違ってはいませんが、私から見れば愚かとしか思えません」
今の時代は弱肉強食であり、弱小勢力が生き延びるには、他領に侵略戦争を仕掛けて勢力を拡大するしかないことは理解している。
しかし戦国のそんな一般論を、私は真正面から否定する。
「私ならば、まず自国を豊かにして人心の安定と国力の増加を図ります。攻め込んでも容易に跳ね返され、侵略する側の被害が増えるだけならば、戦争など誰も仕掛けません」
学校を建てた目的は三河を豊かにすることだが、最終的には日本の民、全てと仲良くしたい。これも現代日本の価値観だが、未来では他県と戦争など起こさず、誰もが平和に暮らしている。
なので今の時代に何故ここまで険悪になって殺し合いをしているのか、歴史を知らない女子高生にはまるで理解できないのだ。
「あとは交渉次第ですが、双方の利益を提示することで協力関係を結ばせ、味方や中立国を増やしていくのが、私なりの戦い方です」
そして自分が平穏に生きるためには、とにかく争いの芽を出てくる先から摘んでいき、牙を抜いて腑抜けにしなければいけない。
戦を起こして他所から奪う必要がなくなるほど、日本全国を豊かにするのだ。
この時代の一般常識では、領土が大きいほうが勝利するのは必然である。しかし現代知識で小国の安定を図ればどうなるか。
それこそ多少の不利など容易にひっくり返せるだろう。
「もし日本全国が飢えなくなれば、戦乱の世も終わると思いませんか?」
それでも人の憎しみは消えないだろうが、やらない善よりやる偽善である。
真面目な顔をして講義を聞いている織田さんは、歴史の教科書に何度も乗るほどの有名人であり、話について来られたので、頭も凄くいいはずだ。
今回のお話を、今後に生かしてくれることを期待したい。
そして学校を建てた目的から、計画の最終段階までを一気に説明したが、付いて来られたのは織田信長さんと松平元康さんの二名だけのようだ。
「まさに五穀豊穣の稲荷神であるな! この織田信長! 感服したぞ!」
「素晴らしいお考えです! 松平元康! 稲荷様にますます惚れ込みました!」
……と思ったら、生徒の殆どがウンウンと意味深に頷いていたので、戦国時代でも頭の回転が速い人が、相当数居ることがわかった。
「どっ……どうも、ありがとうございます」
やはり連日講義を受けて、物事を柔軟に捉えられるようになったのだろうか。ならば先程までは、きっと身分の高い人が勢揃いしたことで、萎縮してしまっていたのだろう。
「指導員だったか? 稲荷神よ。すまんが尾張にも貸してくれんか」
「私は構いませんが……」
チラリと松平さんを見ると、彼は明るい笑顔で織田さんに声をかける。
「もちろんです! 私たちは同じ道を歩む者! ならば向かう先も一つ! もちろん協力させていただきます!」
「それは助かるのう! よろしく頼む! 松平殿!」
「それはこちらの台詞ですよ! 織田殿!」
互いに笑い合って肩をポンポンと叩いているが、同盟相手だし仲が良いに越したことはない。それだけでなく、尾張と三河の武将も、何だか良い雰囲気だ。
昨日の敵は今日の友と言うべきか、何だか知らないがとにかく良しである。
しかし私は感動もそこそこにして、脱線した授業を元に戻すべく、無慈悲にも両手をパンパンと叩いて騒ぎを収め、本日の講義を再開するのだった。
彼らはその後三日間学校に滞在し、未知の美食に舌鼓を打ち、天然温泉を満喫し、戦国時代では珍しい土産を山程持って、それぞれの領地に帰っていった。
ちなみに織田さんは、外国の珍品名品を収集するのが趣味だと知り、お金は三河の殿様が払うからと、私が欲しい物をまとめた書類を渡しておいた。
一応松平さんにも探してもらっているが、私のおぼろげな現代知識ではなかなか見つからない。なので探してくれる人が増えれば、効率も上がると判断したのだ。
織田さんは快く引き受けてくれたが、条件としてタダで譲る代わりに、私の教えを請うことを希望した。この提案を、三河と尾張は同盟を結んでいるので、殿様が了承すればそれで構わないと返しておいた。
なお私が書いた集品リストだが、カタカナは避けて、漢字とひらがなだけを使って書かれている。
それでも皆は大層驚いていたので、はっきり言って貴方たちの書く文字は、どれもミミズがのたくったようにしか見えないです。これではとても読めたものではありません……と、そうはっきりと口に出した。
これは皆も薄々感じていたのか、気まずそうに俯いたり顔をそむける者も多かった。
この発言を受けて、織田さんと松平さんは、私の読みやすいひらがなと漢字を自領に広めようと乗り気になり、ぜひ講義に盛り込むようにと、随分熱心に頼まれた。
しかしただでさえ脱線続きで三歩進んで二歩下がる状況なのに、これ以上授業科目を増やすわけにはいかず、私ははっきりと断った。
それでも雪に閉ざされる冬の間に、ひらがなと簡単な漢字、ついでに足し算引き算と掛け算割り算をまとめた教科書を作成するので、あとはそっちで勝手に教鞭を執るようにと伝え、強引に締めくくったのだった。
永禄五年の冬になり、稲荷山と学校を同時に閉めて、警護も兵士から狼たちに交代させる。
生徒や関係者は皆国へ帰り、それぞれのお役目に戻っていった。
その際に多くの者が別れを惜しんだが、現代で例えるなら、温泉旅館に住み込みで学校に通える生活は、やはり魅力的なのだと実感した。
何はともあれ、教師育成の初年度は何とか終了することができた。
かなりの詰め込み教育だったがこれからの彼らは、それぞれが個別に指導員を育てて、三河だけでなく尾張も豊かにすることを切に願う。
冬の稲荷山は大変危険であり、稲荷神が立て札を撤去する春までの間、全面通行止めとする。……と記載した立て看板を、麓の参道の入り口に設置する。
神主さんには話を通してあるので、これで来年までは平穏に暮らせるはずだ。
長山村の社の隣には警邏隊の詰め所が建てられ、無謀な冬山登山を試みる参拝者を止めてくれるらしいが、それでも絶対ではない。
しかし稲荷神(偽)から参拝の自粛を呼びかければ、誰も登ろうとはしないし、それでも稲荷山に押し入ろうとする者は、殆どの場合で他国の間者だ。
怪しい輩は家のワンコたちが問答無用に捕縛して、麓まで引きずっていっている。
「ふう、……これも有名税なのかな?」
小さな社務所の中央にある囲炉裏に、村の鍛冶屋に打たせた金網をセットし、現代式の製法で作らせた角餅を二個乗せる。
座布団に腰かけた私の近くには、狼たちが寒い外を避けて暖を取り、我が物顔でくつろいでいた。
「毎年規模が大きくなっているし、来年が怖いよ」
教師としての活動が実を結ぶかはわからないが、やらないよりはマシで、三河の発展と治安が高まれば、それだけ長山村が戦に巻き込まれる可能性が低くなる。
なお実際にどの程度の効果が見込めるかは不明だが、今年は不穏な気配はなく無事に終えられそうなので、一先ずは成功と言える。
しかし私の認知度が高まってきたことで、稲荷祭の規模が膨れ上がり、来年は岡崎城下で開催することに決まってしまったのは、残念でならない。
ついでに不審人物の検挙率も上がり、毎日のように稲荷山への侵入者が現れている。
狼たちは狩猟本能を満たして、麓の警邏隊から捕まえたお礼として鹿やイノシシの肉がもらえるのだから、皆俄然やる気になっているようだ。
最近では地の利を生かしたり、陣形を組んで効率よく侵入者を狩る術を覚えて、戦闘能力が格段に高くなっている。
「あっ、……お餅焼けたかな? よっ……と」
片面が焼けたようなので角餅を指で摘んで裏返すが、表はまだ焦げていない。
「お餅と同じで片面だけ焼けても、全体にはまだ熱が通ってないんだよね」
稲荷神の名前がどれだけ広まっても、まだまだ噂止まりだ。
正しい教えだと知っているのは、今の所は三河と尾張だけである。それでも敏い者は気づき始めているが、日本を焼いている餅に当てはめれば、まだ金網に乗せたばかりの段階で、私の教えた現代知識が全国で実を結び、民衆が飢えから解放されるのは当分先になるだろう。
「千里の道も一歩からだけど。私の場合は天寿を全うできれば勝ちかな」
妖怪として殺されるのだけは絶対に嫌なので、とにかく平穏無事で心穏やかに暮らしたい。そして狐っ娘が人間と同じ寿命なのかは怪しいが、そうであって欲しいと願っている。
「少なくとも平穏に暮らしていくには、戦国時代が終わらないといけないんだけど」
最終的に徳川家康が江戸幕府を開いてめでたしめでたしだったことは覚えているが、そこまでの道筋はさっぱりだ。
しかしここで下手に動いて、戦乱の世が激化することになったら目も当てられない。
とにかく今は、三河が攻め込まれないよう、あとは敵を跳ね除けるだけの力をつけられるように色々頑張る。そして自分が寿命でポックリ逝くまで、時間を稼ぐのだ。
焼けたお餅を箸で摘んで皿に移し、醤油を垂らして最近届いた海苔を巻き、フーフーと息を吹いて美味しそうに頬張る。
どれだけ熱くても舌は火傷はしないが、ハフハフと小さな口を動かしながら、二個目のお餅が焦げる前に急いで回収するのだった。