十話 長山村の秋祭り(2) 煮干し
成り行きで料理教室を開くことになった私だが、雑穀を麦飯に加えた炊き込みご飯は割と日常的に食べていたらしく、驚きは少なかった。
しかし私は雑穀だけでなく、醤油漬けにしたイノシシの肉を細かく刻んで入れてあり、十分に下味がついているのは漂ってくる香りでわかる。
さらに麦だけではなく米も混ぜでおり、お椀によそい、あらかじめ良く洗った山芋を、丁寧に擦ったとろろを準備しておき、それを躊躇いなくご飯にぶっかける。
そんな衝撃展開を目にした麓の村の住人は、全員揃って大きな悲鳴を上げた。
きっと彼らはこう思ったことだろう。これ絶対美味いやつだと。
なお、実際に味見をした者も大変好評だったので、私的にはやったぜであった。
次の料理である、うどんとそばに関しては時代劇にも頻繁に登場する。
なのでわざわざ私が教えるまでもないと考えて、特に説明もなく無言で調理に移った。
「その材料から見るに麦粉は団子、蕎麦粉は蕎麦がきでござるな!」
「本多さん、いつからここに?」
「焼きおにぎりの試食からでござる!」
つまりは最初から居たことになるが、時間が経つごとに見物人が増え続けているので、もはや誰が誰やらで気づかないのも無理はない。
村長宅の外がどうなっているかは、はっきりとはわからない。
しかし美味しそうな香りに誘われて、大勢の人が集まっていることだけは、開きっぱなしの玄関の引き戸や木枠の窓から、何となくだが察している。
彼らは私の邪魔はしないように気を使って、未知の食材や最新の調理器具が並んでいる台所には、絶対に近づかないのは幸いであった。
しかし本多さんまで来てたとは、思わなかった。
彼がただの興味本位で首を突っ込むことも、まあないとは言わないが、何か理由があるのだと考えた。
「頼まれ物を届けに来たでござる!」
そう言って彼が後ろを向いて目配せすると、木箱を持った数人の男性が人混みをかき分けて前に出てきて、台所の隅にそれを順番に並べていく。
私はすぐに置かれた木箱まで歩み寄って、蓋を開けて中身を確認する。
「煮干しがありますね」
小魚を煮た後はすぐに干して乾燥させた物だ。
生のままでこっちに運んでくると、その前に傷んでしまうため、漁村の漁師さんにお願いして現地で加工してもらい、出来たてを急いで届けさせたのだ。
私の頼みを叶えてくれる松平さんには、本当に感謝しかない。
(この煮干しもどれだけ保つかわからないけど。秋祭りまでは大丈夫でしょ)
保存料がない時代なので、いくら乾物と言えども賞味期限は短い。
だが、近日に迫った秋祭りには、十分に保ってくれるだろう。
私はヨシっと気合を入れて、調理を再開する。
「しかし、稲荷神様が小魚を食べられるとは思わなかったでござるよ」
「いえ、煮干しは食べませんよ」
「えっ? でっ、では、何故天日干しした小魚が欲しいと?」
下味をつければお菓子代わりになるが、煮干しはそのままでは苦いままだ。
なので、あまり好き好んで食べたいとは思わない。
もっとも海の魚が手に入りにくい麓の村では副菜として食べるのも悪くないし、日常的に煮干しを作って畑の肥料にしている村もあるらしい。
だが、今回の目的はそれではない。
私はキョトンとした顔をして首を傾げる本多さんに、実演を交えて教えることにした。
「本当は鰹節があれば、なお良かったのですが」
「そちらも、稲荷神様の指示通りに。
完成には近づいていますが、もう少し時間が必要でござる」
乾物を作るには、太陽の光を浴びさせて乾かすのが一般的だ。
しかし秋祭りが近くなって、このまま天日干しを続けても間に合わないため、何とか日数を短縮させようとして、鮭とばや燻製のように薪や藁を使い、カツオを強制的に乾燥させる方法を試みた。
するとこれが思いの外上手くいき、乾物になるまでの日数を大幅に短縮することに成功したのだ。
(カツオにカビをつけると良いとは聞いた気がするけど。人体に害があるかもだし、時間をかけて無害なものを見つけるしかないね)
その辺りは現地の職人に期待するしかなく、まだまだ改善の余地がある。
俗に言う現場に丸投げだが、私の拙い未来の知識で骨組みだけでも教えられれば上等だ。
最初からすぐに完成形に到達できるとは思っていないし、技術の発展は失敗からの積み重ねが必要だ。
鮭とばならぬ鰹とばだけでなく、無害なカビも早く見つかることを願うが、未完成品なら秋祭りには間に合いそうなので今回はそちらを使わせてもらうことにする。
ちなみに何故こんな変な知識を知っているかと言うと、未来で家族だった人が、天然の鰹節を購入したからだ。
そのせいでカビの生えて乾燥した鰹の切り身を、まだ子供だった私がカンナで毎日せっせと削るハメになったのだ。
おかげで今でこそ役に立っているが、当時として苦行以外は感じなかった。完全無農薬とか天然素材にこだわるのも、良し悪しである。
話を戻して現実の私は、沸騰させてグツグツと煮立ったお湯から煮干しを取り出して、小皿に乗せていた。
「本当に煮干しを捨ててしまうのでござるか?」
「人間が食べれば骨が丈夫になりますし、田畑の肥料としても使えますので、捨てませんよ」
本多さんが驚くので、別に捨てるわけではないと伝える。
ついでに出汁を取る文化はいつから広まるのだろうかと、そんなどうでも良いことを、せっせと調理を進めながら考える。
そこでふと疑問に思ったことを、彼に尋ねる。
「そう言えば先程、団子と蕎麦がきと聞きましたが」
「麦粉をこねて月見団子は、秋祭りの定番でござる。
蕎麦粉ならば、蕎麦がきにして食べるしかないでござろう」
ふむと首をかしげる私に村長さんが補足し、蕎麦がきのほうは味がしないので他に食べる物がない時のみで、他には粥にして味には目を瞑り、腹を膨らませたのだと教えてくれた。
麓の村では飢饉への備えとして栽培してはいるものの、あまり美味しくないので、そこまで頻繁に食べたいとは思わないとのこと。
一方で私は、会話をしながらでも常に調理の手を止めずに動かし続けていた。
蕎麦粉に二割りの麦粉を混ぜて繋ぎとすることで、蕎麦がきが苦手な人でも、多少は食べやすくなるかもと期待したい。
同時進行でうどんのほうも特注の麺棒で打っておくが、しばらく寝かせる必要がある。
(こっちには時計も計量カップも、重さの測りもないから、全部目分量なのが不安だけど)
取りあえずこうやって作るのだと実践はしたので、三分クッキングよろしく、あらかじめ作って寝かせておいた、うどんと蕎麦を木箱から取り出す。
それを、まな板の上にドンと置いた。
そして麺棒で平らに伸ばしたあとに、包丁を手にして、まずは蕎麦から細長く切っていく。
麺切り包丁があれば楽なのだが、贅沢は言っていられない。途中で線が曲がってもいいので、躊躇うことなく適当に滑らせていく。
太さに差があるのはご愛嬌である。
「随分と長細く切るのでござるな」
「うどんと蕎麦は、汁につけたあとに箸で掴んですするのが、稲荷神の食べ方だからです」
反論は許さないとばかりに言い切る。実際に質問されても答えに困ってしまうので、こういうものだとゴリ押しする。
だがまあとにかく百聞は一見にしかずなので、醤油もどきと煮干で作った温かいダシ汁をお椀に移す。
そして、さっとくぐらせた蕎麦をザルではなく、小さな竹籠に乗せて、簡単に水を切る。
これでざる蕎麦もどきは、一応の完成である。
「温かいうちにどうぞ」
まずは私自身がこのように食べるのだと実食も交えて教える。
すると皆は、半信半疑ながらそれに従う。
煮干しを入れたので、味により深みが出ていることを実感して頷くと、私は今度はうどんを茹でつつ、小さな竹籠に取り分ける作業に専念する。
背後から聞こえてくるのは、ただただ無心でズルズルとすする蕎麦の音である。
内心で、こういうのでいいんだよ。こういうのでと、何処かのグルメ番組のように、本来の日本食をまた一つ再現できたことに素直に喜ぶ。
「細長い蕎麦は初めてでござるが、これは良いものですな!」
「蕎麦の他にも具材を追加する調理法もあります。ですが、今は食材が足りません」
「なっ! 何と! 蕎麦とは無限の可能性を秘めているのでござるな!」
何やら感動している本多さんやお供の武士、その他集まった村人に、続いて茹でた細長いうどんに変えた物を出すと、またもや一心不乱にすすり始める。
今ここに蕎麦派とうどん派がこの世に生まれたのである。
なお、その争いはどれだけ時が流れようが決して終わることはない。
何てことをしてしまったのだと思わなくはないが、時代劇にはこれでもかと登場するので、この程度のフライングは誤差だと割り切る。
それにラーメン派が出てこないだけ、まだマシかも知れない。
なお今回の件以外にも多数やらかしているが、その点には触れないものとする。
他にも味噌田楽やおでん、イノシシ鍋等を作ったが、個人的には多少は満足できた。しかし、どれも完成には程遠かった。
だがそれは食材が足りないので仕方ないし、未来と比べれば美味しくないが、戦国時代で育った人たちにとっては、とんでもない美味である。
さらにこれまで想像すらできなかった未知の調理法と味だったのだ。
とにかく、今現在揃っている食材で割と簡単に作れる料理を実践したので、あとは当日までに調理方法を覚えさせるだけだ。
各々がそれぞれの組に分かれて、一つの料理のみに集中すれば何とかなるだろうと考える。
唯一完成形を知る私が試食係と調理師を兼ねて、あっちこっちに顔を出す。
結果、秋祭りになるまで休む暇はなく、連日大忙しとなるのだった。




