十話 長山村の秋祭り(1) 調理師
長山村の秋祭りの最中となります。ご了承ください。
なし崩し的に秋祭りを行うことが決定してしまった。
おまけに実行委員会こそ入ってないが、出し物の最終的な決定権は私にある。そのため、割と頻繁に人里に降りるハメになってしまう。
そのお祭りには私も当然参加することになる。
ならば、もし不味い飯を出されても笑顔で完食することが暗黙の了解だが、未来の美食で舌が肥えている私の表情筋が耐えられるかは不安が残る。
結論として、秋祭りを食生活改善の一環と考えて手を貸し、その日だけは、少しでも美味しいご飯を作らせることに決断したのだった。
会議は稲荷神の分社で行い、当然のように周りの村々の代表も勢揃いしていた。
「稲荷神様、食事を無料で振る舞うというのは本当でしょうか?」
「事実です。この一年間私の教えを守り、頑張ってくれた皆さんへの褒美だと思ってください」
「「「ははー!!! ありがたき幸せで存じます!!!」」」
そもそも、元々私へのお供え物を使い切れないのでお返ししただけだ。
素材は現地住民が工面したもので、それを提供したとしても自分の腹は痛まないし、加工するのは私ではない。
だがまあ、理由はどうあれ無料で飲み食いできるならどうでも良いようだ。
それに私にとっても、秋祭りの日をメシウマで乗り越えるためにも都合が良いので、未来の料理の再現を目指して頑張ろうと思った。
なお、松平さんが魚から抽出した醤油を送ってくれたが、大量生産は難しいらしい。
だが私は、今度の秋祭りで使うので、できるだけ数を用意してください。出来上がった料理は提供しますのでと、追加注文を入れさせてもらった。
何しろ一年に一度の大イベントなので、大目に見て欲しい。
しかし早いところ大豆から作った物が欲しいところだ。蒸して絞れば醤油になるのだろうか。
朧気な知識しか持たない私では思いつかない細かな部分に、職人による工夫があるのは容易に予想できる。
なのでもしかしたら、魚と同じ感じに上手いことやれば、大豆でも醤油になるかも知れない。
そっちは松平さんの伝手で職人に依頼して、新しい醤油作りを始めてもらっているので、そのうち何らかの結果が出るはずだ。
思えば最初は麓の村のみ発展させていたのだが、気づけば周辺地域、そして三河全体と明らかに手を広げ過ぎている。
だがやはり稲荷神(偽)に危険が及ぶのは、できるだけ避けたい。
なので最近は一から十まで私が手掛けるのではなく、最初の試作品だけ渡して、あとは丸投げする。
もし失敗しても、それは貴方の試行錯誤や努力が足りないからです。何度か経験を積めば成功しますよと、根性論の汚いやり方で、私は悪くないと開き直っているのだった。
それはさて置き、秋祭りまで時間がないので、今からあまり凝った物は作るのは無理だった。
何より使える食材や調味料が乏しい戦国時代では、私の料理技術も宝の持ち腐れだ。屋台料理の殆どが再現不能という、悲しい結果に終わる。
だがまあ実際には、自分の女子力は炊事洗濯掃除はできるが、あらゆる面で人並みなので、小さな胸を張ってふんぞり返るほどではない。
(それでも戦国時代の料理人なら、割と良い勝負が出来ると思うんだけどね)
未来では当たり前に行われている調理工程を、戦国時代ではまだやっていないことも多い。
もしかしたらだが、私はこの国最高の料理人かも知れない。
そんなことを考えながら、村長宅のカマドの前で、海苔なしおにぎりを新品の金網に順番に乗せて、ハケなのか筆なのか怪しい特注の道具で、魚から抽出した醤油を丁寧に塗っていく。
お米は年貢として納めるので、農民が食べる機会は特別な日ぐらい。
だが今回は私へのお供え物を秋祭りで大放出である。
一年に一度だけの贅沢と言うことで、たまには大盤振る舞いしても良いだろう。
戦国時代は生き地獄と言われるほどの辛い生活が続いているので、何処かで不満を解消しないと一揆を起こされてしまう。
「稲荷神様、これは?」
「焼きおにぎりです。ハケで醤油を塗り、両面をこんがり焼けば完成となります」
大豆から抽出していないので未来の醤油とは味が微妙に違うし、今の時代ではとても貴重品だ。
なのでたっぷり塗るわけにはいかず、少し色が薄い。
それでも、こんがり焼けたおにぎりの試食を頼むと、こんな美味しい物は初めて食べましたと、大変好評だった。
ついでに米の炊き方は水に浸す以外に、蒸して炊く方法があることを、初めて知った。
どうやら戦国時代では、蒸すほうが主流のようであった。
それはさて置きお米は年貢として取り立てられるので、麓の村では滅多に食べられない。
普段はもっぱら雑穀の麦飯である。
だがこの時代に来て初めて会った老夫婦は、私にお米のお粥を出してくれた。
それにお供え物でも良く米が送られてくるので、稲荷神様を大切に祀っている。そんな気持ちがひしひしと伝わってくる。
なので私はこの際だし普段の恩返しも兼ねて、麦の別の食べ方として、煎餅を作ることにした。
特に変わった調理工程は必要ないが、麦の他にもヒエやアワを混ぜて、栄養の偏りを防ぐ。
村の木工職人が水車小屋を建ててくれたので、内部の石臼で穀物を磨り潰して粉を作るのは割と容易である。
けどまあ中には雑穀が粉になっておらず、少し原型が残っているものもあった。しかし、これはこれで食感が楽しめて良い。
さらに今年から栽培が始まり、真っ直ぐ伸びずに土も痩せているのか小ぶりな山芋も少量混ぜて、煎餅のふんわり感を演出する。
そのような様々な過程を経ることで、雑穀煎餅が金網の上でふっくらと焼き上がる。
空気が入っていたのかポコポコと膨らんだり、途中で割れた物も出てしまったし、形も丸い円ではなくいびつだが、お煎餅には変わりない。
貴重な醤油は別のところで使いたかったので、今回は塩味だ。
「稲荷神様! この軽い食感は癖になりますな!」
「サクサクとした食感はお煎餅の特徴です。秋祭りは塩味のみですが、今後は他の味も増やしていきたいですね」
お煎餅ぐらいなら、戦国時代にもあるような気がする。
しかし、手間暇かけて凝った料理を作るのは、これまで貧乏暮らしだった麓の村で広まっていない、一番の原因な気がした。
飢えが凌げれば味は二の次というのが、この村だけでなく戦国時代の日本の悲しい風潮であった。
(けどまあ、実際に一手間かければ美味しく食べられるとわかったし。
平和な時代になれば、お煎餅も広まるよね)
秋祭りの前に住民の反応を見る試食会なので、食材を使い切るわけにはいかない。
なので焼きおにぎりやお煎餅を一口サイズに分けて、なるべく多くの人に行き渡るようにする。
次は、炊いた麦飯とお米を混ぜ合わせて、食感が残る程度に擦り潰し、まな板の上に移して小判型を作り、そこに竹串をあてがう。
次に今年採れたばかりの蜂蜜。さらには味噌とゴマを組み合わせた特性のタレを作る。
(本当はみりんが欲しいところだけど。手に入らなかったからなぁ)
ついでに言えば、蜂蜜ではなく砂糖を使うのが未来では普通なはずだ。
だがないもの強請りをしても仕方ないので、有り物でそれっぽい味に仕上げていく。
それにしても、金網が大活躍である。
「五平餅です。色々と足りていませんが、未完成でもこれなら上々でしょう」
「こっ、これで! 未完成ですか!?」
私はコクリと頷き、一口サイズに切り分けた五平餅をいただくと、甘辛い味が口内にじんわりと広がっていく。
魚のお醤油といった発酵食品を使用しているので匂いがキツイが、我慢である。
そもそも向こうの食卓には納豆も並んでいたし、家族が自家製味噌を作っていた。ついでにお土産で買ってきた鮒寿しの濃厚なチーズ臭さに比べれば、この程度どうということはない。
それに戦国時代の食品の保存法は、発酵ありきだと松平さんが語っていたので、割とメジャーな食品なのだと思った。
ついでに言えば、何故五平餅なのかは知らないが、追求がないのを良いことに、あえて語らずに黙っておく。
何にせよ大好評だったので、結果良ければ全てヨシなのであった。




