七話 永禄四年の春(2) 菌床栽培
雪が溶けて山から麓に降りた私は、すっかり馴染みになっている木工職人の仕事場に足を運んだ。
いつものように親方と弟子を集めて今後の計画を練るためなのだが、気の所為か前回よりも人数が増えているように見える。だが、取りあえずは話を進めるのが先決だ。
「ふむ、水車小屋でございますね?」
冬の間、我が家でコツコツと作ってきた回らない水車小屋の模型だが、本職の人はそれを一目見て理解した。
知っているなら話が早い。わざわざ説明する手間が省けた。
だが気になるのは、興味津々という表情で口を出したのは親方ではなかったことだ。
新しく入ったお弟子さんのほうが詳しいのかなと、私が首を傾げたことで、皆ハッとした表情に変わって慌てて姿勢を正す。
「申し遅れました! この者たちは松平様が派遣された、岡崎城下の木工職人でございます!」
「「「稲荷神様! どうぞお見知りおきを!!!」」」
一斉に頭を下げる彼らを見て、私はなるほどと納得する。
つまりは私の知識や技術を、直接学んで身につけるために派遣されたのだろう。
行動が早いと言うか、それだけ自分のことを高く評価しているのかも知れない。
なお、実は麓の村にも水車はあったらしい。
しかし建てたのはかなり昔の木工職人であり、その人は後継者に託す暇もなく、ある日病気で突然この世を去ってしまった。
そのため、老朽化が進んで倒壊の危機になっても修理は困難だった。何処かで技術を学んでくるか、専門の職人を遠方から呼ばなければ、その場しのぎにしかならない。
なので今は動かすと危険なので水車を取り外し、ただの苔むした廃屋となっている。
ちなみにだが、焼き物を作るためのロクロも陶磁器の町にはあるため、木工旋盤という便利グッズが岡崎城下では普通に使用されていることがわかった。
しかし、あいにく長山村は金も人材も粘土もない。つまり一から作っていくしかなかった。
だが今は松平さんが後ろ盾になってくれている。融通を効かせてくれるのはありがたい限りだ。
とまあ色々と説明されたが、これを聞いた私は、井戸に取り付ける滑車を教えてもピンと来なかったことと、見様見真似で作っても、なかなか完成には至らなかった理由を察することができた。
だがまあどんな事情があろうと、今さら私のやることは変わらない。
「それで、水車小屋は作れそうですか?」
「模型とは少し違いますが元々あったものを修理するか、岡崎城下と同型であれば可能でございます」
それを聞いて水車にも色んな種類があるのだと知り、内心でふむふむと頷く。
「しかし水車小屋を、一体何に利用されるおつもりですか?」
「穀物をすり潰すためです」
「ふっ、……普通でございますね」
稲荷神なら、もっと突拍子もない利用方法が出てくるとでも思っていたのだろうか。
確かにこれまでは従来の常識に囚われない、突飛な発想ばかりだった。
しかしあいにく、水車小屋の利用方法は、すぐ思いつくのはそれぐらいだった。主に食欲方面に偏っているとも言えるが。
とにかく、天候にも左右されるが年中休まず稼働して便利なので、最低でも一つは欲しい。
自分ならば石臼を回して粉を作るのは、摩擦熱による発火現象に気をつければ大した手間ではない。
だが人間には、過酷な重労働なのだ。
「これからは粉物の需要が高まりますので、水車小屋がないと加工するのが不便なのです」
「そうなのですか?」
「はい、天井知らずに上がり続けます。
それに潰して粉にしたほうが、ええと……食べるのが楽ですしね」
消化と吸収が良くなると言いかけたが、説明が面倒なので少し考える。
そして、粉のほうが食べるのが楽だと言いかえると、そういうものかと頷き、わざわざ説明を求めることはなかった。
未来では当たり前の常識でも、戦国時代には異端どころか理解すらできない。
そんな何かがまだまだ存在するのだと、改めて自覚させられる。
ついでに神様の発言力のおかげで疑うことなく従ってくれるが、もし私が大ぽかをやらかしたら、信頼度が地に落ちることになる。
なので、間違いを犯さないように気をつけなければいけないと、気持ちを引き締めるのだった。
それはともかくとして本日、木工職人の仕事場を訪れた本題は、実は水車小屋ではない。
私は我が家から持ってきた小さな木箱を畳の上に置いて、慎重に蓋を開ける。
「これは、……茸でしょうか?」
冬の間もせっせと世話をしたので、ヒョロかった謎の茸も木屑と米ぬかから養分を吸い上げて、私の握りこぶし、その半分ぐらいの大きさに育っていた。
「茸の人工栽培は、一応の成功と言えます
なので今後は効率化と生育条件を明らかにしていくと同時に、専用の施設での量産体制の確立を目指します」
この言葉に木工職人たちの間に、水車小屋よりも大きなどよめきが広がる。
過去に茸栽培に挑戦した人は数多く居た。そして確かに自然発生より効率は上がった。それは間違いない。
しかし原木に切れ込みをいれて茸が生えるのを待つという、私に言わせれば何とも原始的で運任せな手段だと呆れるしかない。
なので戦国時代までの茸栽培の結果は、自然発生よりもマシだが、収穫なしも多かった。
茸を育てようとした人と繋がりのある職人から失敗談を聞いたことで、やっぱりまだ無謀だったかなと内心で怖気づく。
そして小さな手で木箱を持ち上げて、こっそり後ろに下げようとする。
「稲荷神様! しょっ、勝算はあるのでしょうか?」
先程まで失敗談を語っていた職人が、興奮した様子でいきなり質問してきたので、驚いて動きが硬直する。
しかし何か答えないと不味いと考えて、必死に頭を働かせる。
思いつきを数字で語れるものかよ! と言いたいが、実際確率では語れないし単なる思いつきであり、意味としては合っている。
それでも茸に関しての知識は今の時代の人よりは多分あるし、これまでのやり方よりは、成功する可能性は高い。
なので、なるべく稲荷神らしい立ち振る舞いを心がけつつ、内心ではちょっとビビっているものの、態度には出さずに堂々と告げる。
「茸の生育の仕組みは理解しています。なので、これまでのやり方よりも、成功の可能性は極めて高いでしょう」
「「「おおおー!!!」」」
だがそれは、未来の技術や知識があってこそだ。ついでに施設や道具が揃っていない戦国時代で、何処までやれるかはわからない。
努力と根性で補うにしても限度というものがある。茸栽培を軌道に乗せるには、かなりの時間がかかることは確かだ。
「稲荷神様! 我々は何をすればよろしいのでしょうか!」
「それを今から説明しますので、こちらの模型を見てください」
そう言って私は、あらかじめ用意しておいたもう一つの模型を、畳の上にそっと置いた。
「小屋、……でしょうか?」
「その通りです。しかし、ただの小屋ではありません」
外からは普通の長細い小屋に見えるが、私は説明を続けながらカポッと屋根を取り外す。
すると内部には多くの棚が並んでいた。さらに床板を持ち上げると、その下に小さな水路が通っていることがわかる。
「山の中腹にある温泉のお湯は、これまで川に流していました。
しかしこれからは、茸の栽培小屋に引きます」
温度計がないので生育状態を見ながら判断するしかないが、寒ければ茸が育たないのは当たり前である。
なので、未来の床下暖房もどきで代用できないかと考えた。
「薪と違って温泉は年中利用できます。なので成功すれば、一年を通して新鮮な茸が食べられるでしょう」
「「「おおおー!!!」」」
何度目かはわからないが、またもや大きな声が室内に響き、木工職人たちのやる気も急上昇だ。
しかしこれは、あくまでも成功すればで、当然失敗する可能性もある。
(むしろ最初から上手く行くとは思わないよ。でもとにかく一歩を踏み出さないと、改善点もわからないからね)
私には未来の知識がある。
茸農家ではないので専門職には負けるが、高校一年生までは真面目に勉強していた。
それでも歴史の成績は壊滅的であり、あとは割と平均点ギリギリだったので、天才とは程遠い凡人の域である。
(本当はガラス窓がいいけど、ないから代用品で何とかするしかないよ。
滑車を使って開閉式の天窓で温度調整を行うとして、暗闇じゃ作業はできないし。
他の高所にも開閉窓を作る?)
本物の農家ではないので、所詮は素人の浅知恵だ。それでも戦国時代の茸栽培に携わった者と協力すれば、一歩ずつでも前に進める。
理論だけは何となく知っている私がいるので、改善点もかなり早く見つけられるだろう。
なので私は、茸の鉄板焼に醤油を垂らして美味しく召し上がることを夢見て、頑張るぞと内心で気合を入れるのだった。
なお後日談となるが、世界で最初に菌床栽培を行い成功させたとして、稲荷神の名前が大々的に歴史や専門書に載ることになった。
だが、最初から何もかも上手くいったわけではない。なかなか思うような成果が出なかったのだ。
しかしそれは、未来の価値観を持つ私が失敗だと思っているだけである。
一つの菌床に、十には届かないがニョキニョキと茸が生えれば、戦国時代的には大成功である。
むしろガラス温室ではない木造で、気温や湿度も明確にはわからない状態だ。
小屋内に設置された棚の苗床全てを合わせれば、余裕で百本を越えており、しかもほぼ毎日収穫しているのだから、当時としては本当に神の御業としか思えなかったのであった。
だからこそ、後の茸農家たちは理解した。
稲荷神様は遥か遠くを見据えている。大成功だと慢心するのはなく、さらなる高みを目指すために、我々も日々精進を続けなければいけないと。
ちなみに苗床に関してだが、最初は山に入って木屑を集めていたが、それは面倒だし供給が安定しない。
なので木工職人と協力関係になり、燃料代わりのおが屑を譲ってもらうことになった。
さらにそこに米ぬかを混ぜたあとに蒸気で殺菌するという、何とも原始的なものであった。
しかも栽培小屋に入る農家は直前に必ず身を清めて綺麗にして、施設内の掃除も欠かさないことを稲荷様に厳命された。
最初は全く理解できなかったが、それでも菌床栽培を続けることで少しずつでも知識と経験を蓄えていき、菌や微生物が観測できるほど科学が発展すると、やはり稲荷神様は正しかったのだと、全国の茸農家たちは狐っ娘をワッショイワッショイするのだった。




