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永禄五年の夏

 あっという間に時は過ぎて、永禄五年の夏になった。

 少しでも効率的に教えを広めるために、現代知識を伝えるのは指導員に限定した。

 そのため、私は慣れない教鞭を執ることになったので、本宮の敷地の外には時代を先取りした寺小屋ならぬ、学校が建てられた。


 麓と山奥を行ったり来たりしなくていいのは助かるが、普通の女子高生が知る現代知識と言っても、その分類は多岐に渡る。なので昭和の木造校舎は様々な実習室を兼ね備えた、複合研究施設となった。

 なおこれは極めて重要な機密に該当するとして、三河から兵隊が派遣されて、二十四時間体制で篝火を焚いて巡回し、厳重に警護することになったのだった。




 そして私はと言うと、黒板とチョークをうろ覚えの知識で麓の村で再現して、成人した武士の指導を行っているが、これがなかなか大変なのだ。

 何事も一朝一夕にはいかないので自らが口頭や実験で説明して、生徒たちはそれを書物に筆記してもらうといった形を取っている。


「稲荷様! 先程の南瓜という野菜なのですが!」

「残念ですが、南瓜はこの国にはありません」


 ちなみに私は元女子高生であって、当然教員免許など持っていない。

 おまけに自分がこれまで知り得た知識をまとめた書物は、ひらがなとカタカナ混じりの殆ど落書きそのものであり、書き写して教科書代わりに配ったところで、誰一人として理解どころか解読すら困難だろう。


「既に外国から種子を取り寄せるよう、頼んであります」

「なるほど! では米以外の野菜や肉を食べる必要性は……」


 取りあえずは何を置いても教員の育成が急務だ。詰め込み教育を行っている自覚はあるが、私一人ではとても手が回らないのだ。


「米だけでも生きられますが、それでは栄養が偏って病気や怪我に弱くなってしまいます。

 それに一つの作物に頼る体制は、病害や飢饉が発生した時に、食料が不足する可能性があります」


 付近の村々から三河の各地に派遣された者は、ある程度の指導は行えてもやはり付け焼き刃であり、不測の事態には弱いという側面を持つ。

 なので専門的で幅広い知識を持ち、トラブルが起きた時に臨機応変に対処できる一段上の者が、後々どうしても必要になるのだ。


「稲荷様、先程外国から取り寄せると聞きましたが、やはり明でしょうか?」

「明は選択肢の一つですが、他にポルトガル、スペイン、イギリス、フランス等など、海の向こうには百を超える大小様々な国がありますので、広く当たるつもりです」


 三歩進んで二歩下がるように、多くの生徒から矢のように質問が飛んでくるので、実際の講義の進みは亀の歩みである。


「なっ……何と! 外国とはそのような!」


 一応こうして優秀な教員を育成している間にも、マニュアル対応のできる指導員は三河中に派遣済みなので、問題が起こらないように現場をしっかり押さえてくれれば、必要最低限の成果は出せる。

 それに横道にそれているように見えても、幅広い知識はいつ役に立つかわからないのだ。


「ふんっ、外国が何するものぞ。我ら日の本の武士が一丸となれば、大国の一つや二つ!」

「……うちは世界の国々から見れば弱小ですよ?」

「稲荷様! それはあまりに酷うござる!」


 今は外国うんぬんとか割りとどうでもいいのだが、熱くなりやすい大人たちなのか、教室中の生徒が興奮気味だ。

 また今日も講義が脱線する……と、心の中で嘆きながらも、間違ったことはそのまま放置はできず、きっちり修正しないと後々不味いので、一つ一つ丁寧に答えを返していく。


「残念ながら事実です。明を見ればわかりますが、国土も人員も圧倒的な差があります。

 ならばもし正面から戦ったら、貴方たちは勝てると思いますか?」

「我らが力を合わせれば、大国だろうと勝てぬ道理は……!」


 大和魂を見せてやるつもりだろうか。確かに志は立派だ。しかしそれに付き合わされる下々の者は、たまったものではない。


「ちなみに外国には銃と大砲といった、遠くの人間を殺すための兵器があります。

 矢の飛距離より何倍も離れた場所から一方的に攻撃され、鉄の鎧を容易く貫き、難攻不落の名城だろうと一刻もかけずに、瓦礫に変えるでしょう」


 この言葉を聞いて生徒たちは皆一様に青い顔をして、黙りこくった。流石に頭が冷えたらしく、震えながらも一人の男性が口を開く。


「いっ……稲荷様! 脅かしすぎでございます!」

「私は嘘や冗談は嫌いです。なので貴方たちには、正しいことを教えているつもりです」


 今度こそ完全に沈黙したが、実は本物の稲荷様という大嘘をついたり、合戦場に乱入したのに行ってないと誤魔化したことは、優しい嘘ということで黙っておく。

 それに今は時々うっかりはするが、嘘や冗談は言わない真面目な狐っ娘教師を演じているのだ。


「私が貴方たちを騙したり、嘘をついたことはありましたか?」

「「「……ありません!!!」」」


 皆一斉に口を開いて肯定したので、先生思いの良い生徒たちだと小さく頷く。

 なお老け顔の大人が多数なのでビジュアル的にはとてもむさ苦しい。さらに全員が男性でやたらと喧嘩っ早いのが困りものだが、説得を重ねれば言うことはきちんと聞いてくれるので、特に問題はなかった。


「よろしい。講義に戻ろうかと思いました……が。そろそろ昼ですね」

「稲荷様! 今日の昼飯は何でしょうか!」

「ええと、献立には焼きおにぎりと猪汁……と、書かれていましたね」

「おおっ! 今日は肉の日か!」


 私が毎日朝昼晩と食事を摂って休憩するので、元は一日二食だった学校の生徒たちも自然にそれに習うようになった。

 そしてこの建物は、宿舎と学校と研究所やら何やかんやの複合施設なので、当然のように寮母や料理人も住み込みで働いてもらっている。

 私も素人ながら現代の栄養バランスを適時指導して、なるべく偏りが少なくなるように、毎日の献立を一緒に考えているのだ。


 この習慣が三河国に広まるのも時間の問題とは言え、まだまだ食材や調味料の少ない時代だ。

 私は、もっと美味しい物が食べたいな……と思いながらも、今日はイノシシの肉が食べられると大はしゃぎする生徒たちを、微笑ましく見つめるのだった。







 永禄五年の秋、去年も活気があったが、それとは段違いな熱意に溢れた稲荷祭を迎えた。

 しばらく教鞭を執れなくなるので、その間は学校を休みにして、皆で麓の村まで下りていく。


 参道の整備も着々と進み、最初の頃の曲がりくねった獣道は既になく、木や石段を組んで、邪魔な木の根や段差、下草や落ち葉などもしっかり取り除いて、殆ど真っ直ぐでとても歩きやすくなっていた。

 なので、これで麓の村との行き来が楽になると、最初は喜んでいたのだが、降りてからは憂鬱な気分に変わってしまった。


「四日、……ですか?」

「はっ……はい! ぜひ神輿を担ぎたいと、そのような申し出が殺到しまして!

 これでも数を減らしたのですが…!」


 麓の社の舞台で去年と同じ挨拶を終えて、背を向けて御神体の安置された聖域内に引っ込んだのは良かったのだが、何やら急ぎ足で麓の村の神主さんがやって来た。そして冷や汗を垂らしながら、私に平謝りするのだ。


 ここ最近はずっと学校で教鞭を執っていたので、祭りの段取りは完全にお任せ状態だったのが災いしたようだ。


「ならば来年も稲荷祭の期間が延びるのでしょうか?」

「そっ、それは……恐らく、……そうなってしまうかと」

「……そうですか。困りましたね」


 参加者が増えたり規模が大きくなるのは予想していたが、お神輿に乗っての村巡りが大幅に延びるとは思わなかった。

 民衆の前で稲荷様を演じるのは疲れるが、それだけ私のことを慕ってくれている証拠なのだから、無下にはできない。


 しかしこのまま際限なく膨らみ続ければ、十日、二十日と長期間家には帰れない事態になりかねない。

 流石にそんなことになったら謹んで辞退させてもらうが、厄介事を回避するための案がなかなか思い浮かばない。


「ならば岡崎城下で稲荷祭を行い、三河の年中行事にすれば問題あるまい!」


 突然の大声に驚き、お堂の入り口に顔を向けると、申し訳なさそうな顔をする松平さんの隣に、挑戦的な笑みを浮かべる一人の中年男性が立っていることに気づいた。

 頭髪や身なりから考えてこの人も武士であり、松平さんたちよりも年齢は上のようだ。


「あがらせてもらうぞ!」


 そう現実に口に出す前に、既に草履を放って足袋で床板を踏んでいたので、豪快な人だなと感じた。

 そのまま彼は私のすぐ前まで歩いてくると、何も敷かれていない床に腰を下ろし、こちらをじっと観察する。


「ほうっ! 狐の耳と尻尾があるのう! 稲荷神の噂は本当のようじゃな!」

「失礼ですが、貴方は何処のどなたでしょう?」


 後から付いて来た松平さんたちと先頭の中年の武士に、社の巫女さんたちが慌てて座布団とお茶を出す。厚い座布団に座ったままの私は、突然の来客に淡々と質問する。


「ふむ、稲荷神は儂のことを褒めておったと聞くが、本当にわからぬのか?」


 会ったこともない人のことを褒めたと聞いて、私はハッとした。そう言えば、確かに口にしたことがあったのだ。


「もしかして、尾張の織田信長さんですか?」

「はははっ! 正解じゃ! やはり知っておるではないか!」

「知っていると言っても、噂程度ですよ」


 この人がそうなのか……と、今度は私のほうが彼を観察するが、パッと見た感じは、何となく気の強そうな人程度の印象しか抱かなかった。

 とは言え歴史の教科書に何度も書かれている人なので、若干緊張しつつも適当にお茶を濁す。


「それより、岡崎城下で稲荷祭を開くというのは?」

「決まっておろう! 三河でもっとも民が集まる岡崎で、稲荷祭を宣言するのじゃ!

 国の年中行事にしてしまえば、どの村も平等となり、不平不満はなくなるじゃろう!」


 ふむ……と口元に手を当てて一考すると、確かに織田さんの言うことは一理あると思った。

 三河で一番栄えている岡崎で稲荷祭を開き、年中行事として告知すれば、少なくともどの村も私の取り合いをすることなく、皆平等ということになる。


 なおそこまで片道どれぐらいかかるかわからないが、三日間神輿に担がれるより、一人で犬ぞりに乗って景色を見ながら疾走するほうが、ずっと気が楽なのは間違いない。


「問題は岡崎城下で稲荷祭の開催許可を取るのと、年中行事として認めてもらえるか。……ですね」

「ふんっ、その程度のこと、そこの松平に頼めばよかろう!」

「はい! 稲荷様! 来年はぜひ岡崎城下にお越しください!」


 織田さんの後押しもあってか、こっちが若干引き気味になるぐらい、松平さんが乗り気だった。ちなみに彼は三河の武将の中でもそこそこ偉い人のようなので、こういった無理難題も押し通せるのだろう。


 それにしても同盟を結んだお隣さんでも、この間まで仮想敵国だったはずだ。それに早馬を走らせたとしても、尾張から長山村まで、一体どれぐらいの時間がかかるやら。

 何ともフットワークの軽い織田信長に呆れるやら驚愕するやらであった。


 この後のことだが、尾張と三河の両陣営の者たちは、珍しい酒やツマミ、屋台料理を際限なしに飲み食いし、朝までどんちゃん騒ぎが続いた。

 どれだけ飲んでも決して酔い潰れない私以外は皆、日が昇るまで二日酔いに悩まされることになるのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 信長さん下戸でお酒はダメだったようです。 茶の湯の許可制度は部下への褒章代わりに始まったと言いますが、彼が左党だったらどうなったのでしょうね。
[良い点] 何度読んでも面白い作品 [一言] 銃も大筒も無かったのに、ほんの少し手に入れたら数年で全国に普及した頭おかしい国があったらしいですよ
[良い点] 気軽に読める転生もので読みやすい。 [気になる点] この時点の中国は清ではなく明では?
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