七話 永禄四年の春(1) 一向宗の末端
永禄四年の春の後となります。事前にお読みください。
<麓の村の住職>
麓の村の外れの、とある小さな寺。
その屋内のもっとも奥の座敷には、青筋を立てた数人の男がそれぞれ持ち寄った酒と肉を手に持って、何やら荒々しい声で怒号を飛ばしていた。
「あの女狐! もはや我慢ならんわ!」
「然り! 民に教えを広めるのも、女狐が私腹を肥やすためよ!
おかげで我らの儲けは減る一方ではないか!」
稲荷神を名乗る幼子が現れてから、周辺地域から寄せられる施しは、目に見えて減り続けている。
またそれだけではなく、一向宗の者が勝手に改宗までする有様だ。
駄目押しとばかりに我々が定めた禁忌も破り出して、もはや収拾がつかなくなっている。
「害獣や家畜の肉も、最近は回って来ないではないか!」
開祖は妻も取ったし肉も食べた。
しかし我々はそれを禁止していた。
なので、仕留めた害獣や亡くなった家畜はこれまで殆どがこちらに回してもらい、代わりに罪もない動物を殺生したことへの、祈祷を行っていた。
まさに共存共栄の関係だったが、今は女狐に殺生した動物の一部をお供えすれば、仏罰は受けないという風潮が生まれ始めている。
戦乱の世は住職と言えども清廉潔白なだけではやっていけない。
いかにして愚かな民衆を騙して利益を吸い上げるか、これに尽きる。
だが最近は、おまんまの食い上げが続いていて、このままでは干上がってしまう。
しかも、憎き女狐はこんなことを言い出したのだ。
『怪我や病気の防止には、米や雑穀だけでなく肉も食べなければ駄目です。
天罰も仏罰も全て私が引き受けますので、皆さんは何も心配は要りません』
なお元々禁忌でないものを我々がそう主張しているだけなので、罰など下るはずもない。
つまりは女狐は我々の真似をして愚かな民衆から肉を奪っているのだと、そう確信した。
「これでは賄賂の払い損ではないか!」
この村は山の麓なので、農作物を守るためにも害獣の駆除は必須だ。そのおかげで、毎年かなりの肉が取れていた。
我々はそれを全て奪い取り、肉を商人に横流しして銭を稼ぐ。そして賄賂として上役に送ることで、好き放題に振る舞うことへの目溢しをしてもらっているのだ。
まさに共存共栄の関係であり、騙している民衆を含めてこの世の春を謳歌していたと言ってもいい。
だが、ここ最近は寺に肉や施しを収めに来ることは、殆どない。
それだけではなく、村の住人は険しい山の参道を登り、供え物を大切そうに抱えて女狐に参拝しに行く有様だ。
「そもそも! 栄養素とは何じゃ! まるで意味がわからんぞ!」
女狐の説明は、理解できない用語が多々あった。
しかしその教えに従えば、過程はどうあれ教えられた通りの結果に必ず行き着く。
なので全てが終わった後に、ようやく意味を理解することも珍しくはなかった。
だが商売敵の女狐を邪教の教えだと禁止している我々は、噂で知る以外に術はない。
おかげで外から見るだけの彼女のことは、自分たちと同じ詐欺師にしか思えなかった。
「しかしどうする? そろそろ賄賂を納める時期だぞ」
「今年は肉が手に入らなかった。ゆえに寺の備蓄を売って、何とか資金を調達するしかあるまい」
既に上役からは、賄賂はまだかとせっつかれている。
ここで出し渋ったりすると、あっさり切り捨てられるのは必定。
寺院や神社は腐敗が蔓延しており、末端の住職の代わりなど他にいくらでも用立てることができる。
つまり利益を得られずに役に立たない駒は、理由さえあれば見限られて、あっさり捨てられる。
なので、備蓄を賄賂に回してでも、取りあえずの延命を図るのは悪くない手のはずだ。
「今年はそれで良いが、来年はどうする?」
「ふむ、来年か。ならば、女狐が失敗すれば済む話じゃろう」
女狐が一度でも失敗したら、それ見たことかと我々が一斉に声を上げる。
そして奴の信用を地に落とし、こちらの正当性を主張すれば、元一向宗の信者たちも目を覚ますだろう。
だがしかし、彼女の知識や道具はどれも未知の物だが、効果は素晴らしいものがある。
それに失敗して、それ見たことかとほくそ笑んでも、実はそれこそが後々のための布石だったことも、一度や二度ではない。
そんなとんでもない結果を、既に一年近くも途切れることなく出し続けているのだ。
このままでは、先に干上がるのは女狐ではなく我々かも知れない。
現在の状況はそれほど厳しいのだと、否応なしに悟ってしまった。
「いっそ禁忌を撤廃して、女狐に協力を仰ぐのはどうだ?」
「馬鹿を言うな! 民衆を騙していたことに気づかれれば、我々の命も無事では済まんぞ!」
家畜だけでなく害獣の肉を横流しし始めてから、どれだけ甘い汁を吸ってきたことか。
唐突な禁忌の撤廃により、厳しい追求を受けるのは確実だ。農民の冬の蓄えまで奪っていたことに変わりないので、それを持ち出されると言葉に詰まってしまう。
ここで上手い言い訳が口から出なければ、確実に寺を追われて、最悪命を奪われるのは確実だ。
そして上役の賄賂を維持しようにも、女狐と手を組むのは論外だ。
奴は表向きは清廉潔白を自称しているが、きっと裏では汚いことをしているに違いない。
だが全くと言っていいほど足を掴めないので、現在尻に火がついている我々がすり寄ったところで、鼻で笑われるだけだ、
「やはり、商売敵は排除せんといかんのう」
「排除とはどうするんじゃ? 奴は松平家が支援しておると聞くぞ」
どうせすぐに化けの皮が剥がれて、村を追われるか住民に吊るし上げられると高をくくっていた。だが我々がのんびり構えている間に、松平家と結びついてしまった。
そのせいで一向宗の末端が民衆を先導して、一揆を起こしても、今では奴の信者のほうが多い。
こっちの手駒を無駄に減らすだけだ。
上役に泣きついたところで、いつでも捨てられる末端の我々のために、わざわざ骨を折る気はないだろう。
むしろこれ幸いと、証拠隠滅に動く可能性すらある。
「直接乗り込むぞ」
「……正気か?」
正直言っている自分も正気を疑いたくなるが、もう手段はこれしかない気がした。
時間が経つごとに、状況は我々に不利になっていく。
今ならまだ巻き返せるかはわからないが、やってみる価値はある。
それでもこれ以上放置をすれば、こちらのほうが先に干上がってしまう。
「民衆をけしかけたところで、女狐には勝てん。
ならば我らが乗り込み、舌戦で言い負かすしかあるまい」
少なくなった手駒を無駄死にさせるわけにはいかず、とにかく女狐を反論できないほどに言い負かしさえすれば、我々が一気に有利になれる。
元々奴は余所者なのだ。ならば、郷に入れば郷に従えで舌戦を展開していけば、地の利は我らにある。
「民には我らの教えが根付いておる。
そこを突いて切り崩してやろう」
最近は趣味で鳥を飼い始めたらしいが、それが致命的な失策だと思い知らせてやる。
我々が勝手に定めた教えでは、家畜を殺して食べることは禁忌に触れる。害獣の肉よりも遥かに重い罪だ。
「鳥の卵を食べる教えを広めるなど。家畜の赤子を殺す愚行よ」
他にも後家や孤児に勝手に仕事を与えたり、田の神を穢した実例もあるので、そちらで言い負かせれば良しだ。
少しでも反論しようものなら、これ幸いと卵の件で黙らせればいい。
それを聞いた民衆たちも、やはり正しいのは我々だと気づき、目が覚めるだろう。
既に勝った気でいる我々は、近日中に山に向かうことを決めて、引き続き酒盛りで飲み食い騒ぎ、女狐なぞ何するものぞ! と、一層増長するのだった。




