四話 神の奇跡(偽)(2) 冬山登山
前日の午前中に投稿したものとなります。順番を間違えてしまい申し訳ありません。
<松平元信>
本多忠勝からの報告を受けた私は、稲荷様の助力を得ようと自ら動き出した。
なおこれは、彼や密偵の集めた情報が正しいことが前提になっている。
それでも疑いは消せなかったが、その後も定期的な調査と接触を行うことにより、限りなく本物に近いことが判明した。
なので今は文のやり取りや、出来る限りの援助を行って、せっせとご機嫌取りをしていた。
本来なら間接的ではなく、本多忠勝の上司である自分が直接出向いて頭を下げるのが筋である。
だが、そう簡単には実行に移せない事情があり、冬になってから行動を開始したのだった。
ここまで遅れた理由としては、三河の情勢が安定から程遠いだけでなく、周辺勢力が何処も油断ならないからだ。
今川とは袂を分かったばかりで、三河国内にもあちらと手を結んでいる武将が多数存在しており、統一の道は未だ見えない。
さらに、隣国の斎藤と武田も強国ゆえに油断はできず、隙あらば寝首をかこうとしているのが、容易に見て取れた。
織田とは幼少期に多少の面識はあるが、双方の父の代では憎き宿敵同士である。禍根が残って小競り合いを続けているため、結局油断できないことになる。
だからこそ、岡崎に自分が居ないとわかっても、他勢力が容易には軍を動かせない冬にあえて動くことに決めたのだ。
雪の降り積もる中での行軍は困難を極め、場合によっては遭難することもあり、移動するだけで脱落者や死者が出かねないほどの危険な行為だ。
そのため、戦を仕掛けるのなら春から秋までが定石であり、いくら優勢でも冬の気配を感じたら、一度は領地に撤退するのであった。
そして今現在の私は、藁の防寒具を着込んで冬山を登っていた。
だが正直、今すぐ岡崎に引き返したくてしょうがない。まさかこんな形で、冬の行軍の辛さを身に沁みて感じさせられるとは思わなかった。
「殿! 荷物を置いてきて正解でしたな!」
「そうですね。ですがこの雪では、軽装でもなお辛いものがあります」
お供の一人、本多忠勝が元気良く話しかけてくるが、私にとっては返事をするのも辛いものがある。
ついでに荷物は稲荷様への支援物資だが、量が多いので冬山に登る前に麓の分社に置いてきた。
雪の降り積もっている登山でそれは無謀過ぎます! と、村長が必死に止めたため、その場は素直に諦めて引き下がったものの、やはり諦めきれずに軽装で向かう方針に変更したのだ。
なお荷物は往復分の携帯食料しか持っておらず、まさに命がけと言える。
幸いにして、稲荷様が探しているのは用途不明の謎の素材ばかりだった。
こんな物を貰っても喜ぶ人は居ないし、普通は困るだろうと皆がそう感じた。
だから、分社に置かせてもらって春の雪解けを待って渡してくださいと頼んでも、部下たちからは反対意見はでなかった。
「ですが殿、用途不明とはいえ、あれだけの大量の物資を渡してしまって、本当に良かったのですか?」
「構いません。稲荷様が広めている知識や道具の価値を考えれば、あれではまるで足りません」
「言われてみれば、確かにそうでしたな」
本多以外のお供である酒井忠次が尋ねてくるが、私は躊躇うことなく言い切る。
彼女の欲しがる物を手に入れるために、様々な伝手を頼り、銭もかなり使ったので相応の苦労はした。
だが今の三河は、稲荷様のおかげでかつてない程に栄えていると言っても良い。
まだ自分の中には本物という確証こそないが、それだけは歴とした事実だ。
少なくとも、今現在の日本で彼女よりも優れた知恵者は居ないだろう、
「しかし、一向宗は邪魔ですな」
「確かに。一向宗は稲荷様を敵視するだけではなく、排除の動きを見せています」
稲荷様の知識や道具を扱うことを禁忌と公言し、破れば仏罰が下ると信者たちを脅す。
そのせいで彼女の知識や道具、噂の広まりはとても遅い。
岡崎城下に届くまでに、かなりの時間がかかったことからも、それは明らかである。
「一向宗が動くより前に届いた貴方の報告には、とても助けられました」
「ありがたき幸せでございまする!」
彼は本物の稲荷様だと判断する証拠として、知識と道具を持ち帰ってきた。
そのあまりにも常識はずれな数々には、報告を受けた私や家臣一同は、最初はとても驚いたものだ。
さらに一向宗が稲荷様を排除しようと動き出したことも明らかになり、私が彼女の後ろ盾になることで、容易には手出しをできなくした。
だがもし麓の村やその周辺の一向宗がもっと賢ければ、稲荷様の知識や道具を奪い取り、全ては御仏のご加護であると、そのように大々的に発表しただろう。
しかし組織の末端である彼らは、自らの利益しか考えていない。
好き勝手に振る舞うばかりで大局が全く見えておらず、稲荷様のことは自らのシマを荒らす敵としか捉えていなかったのだ。
おかげで私の対処も間に合ったのだが、一向宗の最上位から末端までの殆どが腐敗している現状を、素直に喜べるかは微妙なところであった。
(問題は本願寺がどう動くかですね。念の為に、偽装情報を流しておきましょう)
三河国では稲荷様の後ろ盾となり、本願寺には彼らの味方だと主張する。
自分はまるで、コウモリのようなどっちつかずだと思った。
しかし決起の時が来るまでは、双方のご機嫌を取るのがもっとも良い結果に繋がると、私はそう判断している。
何しろこれまでの功績から見れば、彼女の存在は三河国どころか日本になくてはならないのは、明らかだった。
もし人間の愚かさに嫌気が差して雲隠れしてしまえば、それこそ取り返しがつかない。
古来より逃がした魚は大きいと言うが、あれは龍の類だと確信している。
私利私欲のために容易に使い潰していい存在ではないどころか、下手に利用すればどんな手痛いしっぺ返しを受けるかわからない。
まだ本物の神だと確信こそしていないが、被害が一国だけで済めば良いほうだろう。
「だからこそ三河の代表である私が自ら出向き、真偽を見抜いた後に、岡崎城下にお住まいを移してもらわねば──」
隣の大国には伏竜と称された軍師に、力を貸してくれるように君主自らが出向いた逸話がある。
だが正直に言うと、命懸けの冬山登山を三度もやるのが絶対に嫌だった。
しかし当人は山の中腹の社務所からは滅多に外に出てこず、金や権力にも興味を示さないので、どうやって説得したものかと思い悩む。
「やはり私が、三河国を安定させる器かどうか。それが重要なのでしょうね」
「殿なら大丈夫でございます!」
「然り! 然り!」
過去に稲荷様が興味を示し、重い腰を上げることは確かにあった。
それは、困窮する人々に救いの手を差し伸べて、五穀豊穣をもたらすときだ。
だからこそ私が三河国を統べる器であると認めれば、民を救う近道と判断して協力してくれる可能性は高い。
しかしもし断られたら、自分には三河国を統べる資格なしと駄目出しされたも同然である。
さらに言えば、これまでは村長経由での書状のやり取りのみに始終していたため、実際に会うのは今回が初めてである。
鬼が出るか蛇が出るかと恐ろしく感じるが、噂通りなら狐の耳と尻尾の生えた可愛らしい子供で、性格は穏やかで優しいらしい。
そんなに心配することないとは思うが、相手が優しい性格だからこそ、貴方に協力できませんと言い切られた時の絶望感は、筆舌に尽くしがたいのだ。
なので私は、稲荷様の住居に到着するまで、お腹の辺りが締めつけられるように痛み続けてしまうのだった。




