四話 神の奇跡(偽)(1) 実りの秋
神の奇跡(偽)の後となります。事前にお読みください。
次の日には本日の午前中に投稿したものとなります。ご了承ください。
麓の村を豊かにするための計画が、本格的に動き出した。
最終目標は私が快適で平穏に暮らすためなのだが、その結果皆が幸せになるのだから、問題はないだろう。
とにかく、長年使ってきた川沿いの側屋を一つ残らず撤去させた。
そして排泄物を水に流せなくなったので公共の肥溜めを作ることになったのだが、ここは言い出しっぺの法則で穴だけは私が掘った。
その後は、雨除けの屋根や仕切り板、落下防止用の網を設置すればポットン便所の完成ではある。
だがしかし、糞尿の匂いがきつくなるのが予想されるため、周囲には金木犀を植えて悪臭を打ち消さなければいけない。
私の家や公民館のトイレの周りには必ず金木犀があったので、戦国時代にも存在するはずだと思ったものの、似たような種類はあった。
しかし強烈な香りを放つ金木犀は、まだ日本に伝来してないようなので、松平さんに無理にお願いをして、隣の大国まで調査の手を広げてわざわざ取り寄せてもらうことになった。
香りの強い金木犀を探し出すのに時間がかかったので、便所が完成するまで時間がかかってしまったが、とにかくヨシである
しかし本当に、松平さんには何から何までお世話になりっぱなしで頭が上がらない。
なので、挿し木で増やして必ずお返ししますので、それまで待っていてくださいと、村長さん経由で文を書いてもらった。
私は戦国時代では一般的なくずし字はド下手くそだ。
なので、連絡を取るときは必ず代筆をお願いしているのだ。
それに元々話を持ってきたのは村長さんだ。その辺りの経緯は特にこれと言った山も谷もなく、私を支援したいという人が居るよと、ただそんな感じだ。なので向こうの詳しい情報は全く知らない。
しかし温泉を覗いた本多さんの上司なのはこれまでのやり取りでわかったし、助けてくれるならありがたいので、支援を断る理由もない。
なので向こうが誰かをよく知らないまま、なあなあの関係を続けていたのだった。
なお後日談となるが、汲取式の便所の周りには香りの強い金木犀が、必ずと言っていいほど植えられるようになり、日本全国に爆発的に広まった。
さらには開花時期以外にも使える芳香剤も作られるようになり、糞尿の悪臭をより強い香りで上書きする頼もしい存在として、何百年も活躍することになる。
なお、最初に国内に持ち込んで広めた者の名前にあやかり、稲荷様の香りと呼称された。
そして日本国民に大層ありがたがられることになるのだが、今の私には知る由もなかったのだった。
話を戻すが、ポットン便所の肥溜めを含めて、腐葉土や灰、骨粉やボカシ肥料は当然として、それ以外にも労働力の和牛、または鶏の糞の殆どが直接撒くと害になるため、発酵という工程が必要になる。
特に寄生虫は非常に厄介だ。
危険性をきちんと伝えて、体内に入って悪さしないためにも、高温になるまで発酵させて殺し尽くさないと駄目だと口を酸っぱくして教える。
麓の村では発酵の概念がないだけで、遠く離れた村では普通にやっている場所もあると聞き、そちらの専門家を呼び寄せてあれこれ試している。
それにしても未来の日本で、有機肥料にこだわった苗植えから収穫まで体験授業をしていて良かった。
だがこれは、戦国時代に飛ばされるか、自分が将来農家にならなければ、全く生かされることはなかっただろう。そう思うとやっぱり複雑であった。
とにかく未来の知識と戦国時代の肥料の専門家と意見をすり合わせて、結局は試行錯誤の積み重ねが必須となる。
それにたとえ害のない肥料作りに成功したとしても、畑の成分を調べる術は長年の経験以外にはなく、混ぜ込みの分量や土壌の状態は、どんぶり勘定は否めない。
しかし肥料の概念が殆どない麓の村やその周辺なら、多少の効果は出てくれるはずであった。
秋が深まってきた良く晴れたある日のこと、犬ぞりに乗って村の見回りをする私だが、数人の村人が籠を背負って参道ではなく、茂みをかきわけて?山に入っていく姿が見えた。
ふと何をしているのか気になり、狼たちを少しだけ急かして駆け寄る。
彼らは茂みの中に入る前に私に気づいたようで、慌てて頭を下げて挨拶をするが、はっきり言ってそんな畏まった手順は不要としか思えない。
それでも稲荷神はとにかく偉い存在なので、一連の流れが終わるまで待ち、真面目な表情で質問を行った。
「山に入るつもりのようですが、何をするのですか?」
「冬の備えの薪拾いが主です。あとは木の実や山芋、茸等の山の幸を見つけて持ち帰りたいですね」
薪拾いと、秋の味覚探しだった。
しかし未来ではスーパーに普通に並んでいる山菜も、いちいち山から取ってくる必要があるとは大変な時代である。
だが天然物のほうが美味しいと聞くので、どっちが良いかは一概には言えない。
それでも私は、収量が不安定な現状をヨシとはしなかった。
(天然物に味が負けるのは仕方ない。でも、秋の味覚をお腹いっぱい食べたいなぁ)
山芋やキノコはお供え物として、少量だが届けられている。
それは彼らが山の中に入って、頑張って探した成果だと聞いたことで、ありがたさが心に染みる。
(果樹や山芋は、環境を近づければ畑で育てられそうかな。
茸の栽培キットはホームセンターに売ってたから、昔やったことあるけど。……うーん)
腕を組んで考えるが、すぐには良い案が思い浮かばない。
病害虫は木酢液でどうにかなればいいが、倍率表示や霧吹きさえないこの時代に、効率の良い散布ができるとは思えない。
それでもやらないよりはマシだろうから、取りあえずはやらせてみる。
だがまあ、問題が出たらその時はその時だと、前向きに考える。
しかし私が長考していたからか、籠を背負った村人たちが不安に思い、彼恐る恐るといった感じに話しかけてきた。
「あの、稲荷神様? どうされたのでしょうか?」
「少し考え事を。山芋や茸を育てて増やそうかと思いまして」
「でっ、出来るのですか!?」
「理論上は可能です」
俗に言う理論は知ってる状態だ。
実際に成功するかどうかは神のみぞ知るだが、私は稲荷神でも偽物なので、ぶっちゃけ一発で完成するとは思っていない。
それでも村人たちは、物凄く期待した視線をこちらに送ってくる。
やっぱり無理ですとは言えないし、未来では出来ているのだ。
なので何度も試作して失敗の原因を潰していけば、いつかは成功に辿り着くはずだ。
と言うか、今この時間にも普通に栽培方法が確立していてもおかしくない。
具体的には鎌倉時代ぐらいから栽培が行われていそうだ。
だがまあいつから栽培していようが、結局この村では育てていないので、きっと人の手で栽培して安定供給は、非常に困難なのだろう。
「果樹や山芋は土が合えば大丈夫でしょう。……問題は茸です」
「茸ですか?」
難しくてもやれないことのない果樹や山芋だが、茸はそっちとは別の問題を抱えている。
ホームセンターで購入した栽培キットのように、霧吹きで水だけやってれば勝手に育つほどお手軽ではない。
あれぐらい簡単にポンポン増えるなら、今頃山中が茸だらけになっている。
「茸の増える仕組みは知っています。ですがこちらで試したことは、まだありません」
「はっ、はあ、さようでございますか」
プイッと視線をそらして追及を避ける。
取りあえずは仕組みは知っているが、実験しないと何とも言えないよと、遠回しな発言で煙に巻く。
嘘はついてないので、これで良いのだ。
「とにかく一度茸の生えている土壌ごと、少量良いので持ってきてくれませんか?
家で育てて胞子を採りたいので」
「胞子ですか?」
「胞子とは稲に例えるなら、茸の種籾に当たる物です」
村人たちはそれを聞いて、なるほどと納得する。
戦国時代では茸がどうやって増えているのかは、大まかでしかわからないだろう。
私も授業で教わらなければ知らなかったし、実際に試すのはこれが始めてだ。
夏休みの自由研究のように、茸が生えやすいと思われる木屑や土等に蒔いてみるつもりだが、多分失敗する。
そう簡単に茸が育てば苦労はしないし、手探りで一歩ずつ進めていけばいいやと、良い笑顔で山に入っていく村人たちを、犬ぞりの上から手を振って見送るのだった。




