三話 本多さんとの遭遇(3) 鶏小屋
本多さんとの初対面の後になります。事前に「第3話:本多さんとの遭遇」をお読みください。
米の収穫も一段落して、麓の村では人手に余裕ができた。
そのおかげで、私の住んでいるオンボロ社務所の建て替え工事が始まった。
冬が来る前には完成予定ということで、それまでしばらく麓の分社に移ることになった。
だが稲の収穫が終わっても、村の人たちは相変わらず汗水垂らして働いていた。
そんな中で私だけが、神様という理由で家でゴロゴロしているのは、何となくだが居心地が悪い。
せめてもう少し離れていれば気にしないのだが、今の自分は村人の往来が活発な麓の分社に住んでいる。
そのせいで狐耳を澄ませれば、賑やかに仕事に励む声や、稲荷神への感謝や祈りが聞こえてきて、何もせずにのんびりしているだけでは、どうにも肩身が狭いのだった。
と言う理由もあり、普段は家に引き篭もっている私だが、良心の呵責に耐えられなくなり、毎日定期的に視察という名のお散歩に出ることになった。
実際にはただぶらついているだけだが犬猫の縄張り確認に近いと考えれば、立派な仕事と言えなくもない。
なお村長さんは今現在はかなり多忙らしく、私は一人で麓の村を犬ぞりに乗って日替わり散歩コースを移動して、縄張りに異常はないかや何か面白いことはないかなと、興味津々といった表情で周囲を見回すのであった。
なお犬ぞりに関してだが、私は見た目通り小さな体である。なので歩幅も小さく、どうしてもチョコチョコ歩きになってしまう。
狐っ娘の身体能力ならば別に不便はないが、せっかく狼の群れを引き連れているのだからと、木工職人に片手間で良いのでと、犬ぞりを作ってもらったのだ。
参道では使えないし、舗装もされてない街道を走ると凄い揺れるが、狐っ娘の身体能力ならば振り落とされることはない。
なので常に全力で駆け抜けることができて、気分は映画やドラマで見た雪国であった。
ちなみに犬ぞりの発注先である木工職人ではないが、同日に村の鍛冶職人に特注のフライパンを作って欲しいと、お願いしておいたので、今日はそれを回収しに行っている。
だが鉄は貴重で使える量が限られているし、これまで見たことがない円形のフライパンは凄く難しかったらしく、結果として四角くて、少しでこぼこしている卵焼き器が出来上がった。
養鶏で生みたて卵を焼くつもりだったので、用途としては何も間違っていない。
それに稲荷神様のためにと、最優先で作ってくれて無料で提供したので、何とも気前が良い。
ここまでしてくれて文句を言うのは、悪質クレーマーにも劣るだろう。
私は鍛冶職人さんに心からのお礼を言い、犬ぞりに卵焼き器を積んだ後、すぐに自分も乗り込む。
そしてワクワクしながら綱を引き、次の目的地へと向かう。
(養蜂の巣箱は試行錯誤中だから、実際に蜂蜜が採れるのは来年以降のはず。
ならやっぱり、次に行くのは養鶏でしょ!)
ちなみに養蜂の箱の打ち合わせに行った時、村の人たちがヘボという地中に巣を作る蜂だと勘違いしていたことを知り、慌てて養殖するのはミツバチであると修正をかけることになった。
鶏はと言うと、大合唱の鳴き声の騒音被害が酷いので、村外れの山沿いに飼育小屋が建てられた。
なので私は迷うことなく狼たちに命じて、次は養鶏場の見学をしに行くのだった。
道中で村人とすれ違うたびに挨拶を行うが、村外れの飼育小屋に近づくにつれて、少しずつ人が減っていく。
やがて山沿いの養鶏場に到着したところで、私は犬ぞりを停めて地面に降りる。
なお鳥を飼うための施設と言っても、未来のように金網で囲んでいるわけではない。
高い木の柵で周囲を覆うことで、鶏を外に出られなくしてあるのだ。あとは雨避けの小屋と物置があるだけの簡素のものだが、これは養鶏の最初の一歩である。
いつかは未来の日本式のように、大量の鶏がたくさん卵を生むようになれば良いなと考えている。
(羽を切ってるから飛べないけど。
家畜の殺生は禁忌だって言うから、全部私がやるハメになるとは思わなかったよ)
だが正直言って、自分も動物を傷つけるのは気が重かった。
しかし、養鶏は私が提案したことだ。
それなのに命を背負う責任を持たないのは、稲荷神(偽)として如何なものか。
結果、戦国時代にはまだ概念がなかった熱湯消毒した小刀を使って、鶏の軸になる翼を緊張しながら切り落とした。
大イノシシを撲殺していなければ吐き気がこみ上げていただろうが、幸い躊躇うだけで済んだ。
(生きるか死ぬかの過酷な環境で自由に生きるか。籠の中の鳥でも三食昼寝付き。
私なら迷うことなく後者を選ぶかな)
一生引き篭り生活をすることになっても、毎日に不安を覚えることなくのんびり暮らせるなら、大歓迎だ。
鶏たちがどう思っているかはわからないが、自らの手で傷つけてしまった以上は、せめて何不自由のない暮らしを約束しようと思ったのだった。
私が小屋の入り口で過去を懐かしんでいると、鶏や農作物を狙う害獣を駆除するために巡回している狼と、その後ろには若い女性と子供たちが仲良さそうに手を繋いで歩き、こちらにやって来た。
「稲荷神様!? こんな場所にわざわざお越し下さり! 恐悦至極でございます!」
「お気になさらず。貴方たちこそ鶏の飼育は大変でしょう」
この人たちは戦で家族を失ったらしく、村の人たちからは後家や孤児と呼ばれている。
成人した男手と比べると非力なため、人力が主な戦国の農村では、ずっと肩身が狭い思いをしていた。
「私たちにこのような仕事を与えてくださるだけでなく、お褒めの言葉まで! 嬉しく存じます!」
「「「ありがとうございます!!!」」」
だからなのか、私としては余っていた人材を割り振っただけなのだが、稲荷神様のおかげだと、事あるごとに感謝されることになったのだ。
大体まだ成果も出ていないのに、村の人たちも、これで山に捨てにいったり人買いに売らなくて済むと、とても喜んでいた。
計画を立てた私でさえ成功間違いなしとは思えないのに、これまで積み重ねてきた実績と、神様への信仰心がそうさせるのだろうか。
まあそれはともかくとして、今は自分の目的を果たすのが最優先であるため、私はわざとらしく咳払いをして話題を変える。
「ところで、鶏は卵を生みましたか?」
「もっ、申し訳ありません! 昨晩様子を見たときには、まだ!」
品種改良がまだ殆ど進んでいない鶏が、そう簡単に卵を生むとは思っていない。それに引っ越したばかりでは、環境の違いに戸惑っているだろうし、後家さんの返答はある意味当然と言えた。
「謝らないでください。私にとっては想定の範囲内です」
それに私や村の人には、オスとメスの明確な違いがわからない。なのでひょっとしたら、十羽全てがオスという可能性もある。
(本多さんの上司の松平さんが送ってくれた鶏だけど。
まずは手に入れることが最優先だったから手当り次第で、オスメスの具体的な数は明記しなかったからなぁ)
少し前に松平さんから十羽の鶏と一緒に、ミミズののたくったような書状が送られてきたので、古文と漢文の成績は人並みの私はそれを、時間を掛けて何とか読み解いた。
養鶏の成果と卵料理を楽しみにしています。という内容だったことがわかったが、残念ながら美味しかったですと言った感想と、料理レシピを報告できるのは、まだ先のようだ。
ちなみにこれは私宛の文らしいが、間に村長さんが入って直接の面識はないので、本多さんは温泉を覗いたお侍さんで、その上司が松平さんだとしか知らないのだった。
それは一旦置いておくとして、昨晩はまだでも今朝になって生んでいるかも知れない。
卵焼きを食べることを諦めきれない私は、飼育小屋の引き戸を開けて中に入る。
鶏が外に逃げ出さないよう、まずは倉庫を通らないと雨避けの飼育小屋には入れない構造である。
私に続くように、鶏の管理を任されている村人たちが全員入ったことを確認し、入り口の扉をしっかり閉める。
そして雨避けの小屋に通じる引き戸を横にずらすと、木の柵で囲まれた敷地内を、自由気ままに散策している鶏たちの姿が視界に入る。
「数は、七、八、九……一羽足りませんね」
「稲荷神様! 雨除け小屋の隅にうずくまってるよ!」
飼育係である子供の言葉に従ってそちらに視線を向けると、一羽の鶏が雨除け小屋の隅にしゃがみ込んで、何かを守っているのがわかった。
その場から全く動く気配がないので、もしかしたら怪我や病気の可能性もあるが、見た感じは何処にも異常はないようだ。
「失礼」
うずくまっている鶏の元へと向かい、淡い期待を浮かべながら手で掴んでひょいっと持ち上げる。
するとお腹の下には、卵が一つだけ隠されていた。
土で汚れているし品種改良が進んでいないので、現代と比べれば少し小ぶりだ。
(人類にとっては小さな一歩かも知れないけど、私にとっては大きな一歩だよ!)
これで卵料理が食べられるという喜びに心の中で小躍りする。
この後、数を増やすためにオスメスを分けて飼育するなどやることが山積みだが、取りあえず置いておく。
だが浮かれるせいで、小さな両手に抱えられている鶏が、早く自由にしろ! と、こけーこけー鳴きながら暴れていることに、しばらくの間は全く気づかなかったのだった。




