神輿
長山村の御神体の周りは、宵祭から一夜明けて酷い有様になっていた。
未来の屋台料理の数々と徳利と嘔吐物があちこちに散らかり、大の男がたちがグースカいびきを掻いて、だらしない姿で寝っ転がっている。
私はそんな中で一足先に目が覚めて、ゴソゴソと体を起こす。別に眠る必要はないのだが、夜はしっかり休んだほう精神的にスッキリするのだ。
取りあえず小腹が空いたので何かお腹に入れようと、その辺りに適当に散らばっている屋台料理の余りに視線を向ける。
「焼きおにぎり、煎餅、五平餅、炊き込みご飯、うどん、そば、味噌田楽、おでん、イノシシ鍋。
周辺の村々が全面的に協力してくれたとはいえ、よくこれだけ作ったねぇ」
油は貴重なので揚げ料理はできず、海から離れているので新鮮な海産物も使えない。さらに米は白米ではなく赤い色をしており、粘り気も弱い。
再現が難しくて完成率は高くても八割が良いところだが、村民たちと協力し、新作の調味料も惜しまず使って、何とか稲荷祭に間に合わせたのだ。
時間と素材が足りずに再現できなかった物も多かったが、それでも皆は来年こそはと、村民たちは闘志を燃やしていた。
「焼きおにぎりに塗った醤油も、現代よりしょっぱいし。まあ、美味しければいいんだけど」
戦国時代でも現代に近い料理を食べられる喜びを、小さな口をモキュモキュ動かして噛みしめる。
それに自分一人で再現を試みるよりも、調理が得意な人たちに協力を頼んだほうが、完成までの道のりは遥かに短くなる。
今回は急だったので、稲荷祭開催に向けて、村々の料理人に付きっきりで指導を行った。
なお現物を知っているのは私だけなので、必然的に何度も試食をするハメになった。
「無理やり飲み込めば消化吸収されるだろうけど、気分的にはちょっと遠慮したいね」
排泄せずにどうやって消化吸収しているのかは不明だが、気分的にお腹が減るということは、逆に満腹にもなるということだ。
そんな状態で幼女の体重以上の料理を際限なく食べ続けるのは、精神的にかなり辛かった。
「五平餅、……美味しい」
お米をすり潰して大判型に伸ばした五平餅は、砂糖がなかったので蜂蜜を使った。醤油もどきと同じで、特に貴重な調味料だ。
それでも今回はなかなか上手くできたと自画自賛しながら、冷めて固くなったそれにかぶりつく。
そしてある程度小腹が膨らんだので、次に相変わらずだらしない姿勢でごろ寝している成人男性たちに視線を移す。
外から眩しい朝日が差し込んでくる中、一体彼らはいつになったら起きるのだろうかと、首を傾げるのだった。
日が昇って皆が起きたのを見計らい、私は再び御神体の前から離れて境内の舞台に向かい、本祭の開始を告げる。
その後、麓の村の男衆が何処からか神輿の土台部分を担いでこちらにやって来たので、私は運ばれてきた神輿の上に厚めの座布団を敷くと、よっこらしょと腰を下ろす。
「えー……ではこれより、稲荷神輿の儀を執り行います!
順路と役割については伝えた通りですので、各々配置についてください!」
神主さんの号令により、男衆が私を乗せたお神輿を担ぎ上げて、社の外に出て境内を抜け、時々ワッショイワッショイというかけ声を元気よくあげる。
これに乗れるのは身分の高い者だけだが、自分は名目上は一応稲荷神なので、問題はないはずだ。
この日のために順路は綺麗に掃除されており、道の脇には大勢の参拝者か見物客がキラキラした表情で稲荷様を見上げ、信心深い者は両手を合わせて涙を流しながら祈りを捧げていた。
隣村の稲荷神社に到着後に別の神輿に乗り換え、男衆も交代して担ぎ上げる。
そしてまた隣の村まで運び、同じ手順を繰り返し、グルっと一周して麓の社に戻って来る頃には夕焼け空に染まっていた。
「それでは私は山の本宮に戻ります。
皆とはまた来年の稲荷祭に、元気な姿で会えること願っています」
神輿から下りて境内の舞台に立って稲荷祭の終わりを告げると、割れんばかりの拍手喝采が起こる。
そのまましばらく辺りを見渡した後、背を向けて社の奥に引っ込む。
「一年に一度だから良いけど、やっぱりお祭りは疲れるよ」
まだ外は興奮気味の人たちで溢れかえっているので、ここから帰るには人混みを突っ切らないといけない。なのでもうしばらくは聖域に閉じ籠もり、自分以外は誰も居ない社でこっそり愚痴をこぼす。
そしてこれまでの流れを見る限り、来年はより稲荷様の信者が増えるのは間違いない。今の規模でも大変だったのに、この先はどうなってしまうのか、……と、私は胸に不安を覚えるのだった。
山が雪に閉ざされる冬、毎日が平穏無事は良いことなのだが、私は思い悩んでいた。
それは参拝者の急増により、最初に掘り当てた温泉に微妙に入り辛くなったことで、お風呂は一人でゆっくり静かに浸かりたい派なのだ。
それに自分は、偽物だけど稲荷神を名乗っており、普段は人を避けて山奥に引き篭もっている。だから不特定多数の参拝者と一緒に温泉に入るのは、神様的にも不味い気がした。
このままでは入浴時間は深夜のみとなり、朝風呂に入れる季節が冬だけになってしまう。なので狼たちに命じて、再び源泉を探し出したのだ。
その結果、灯台下暗しだったが、家の裏庭にヒットした。
さっそく社務所の地面を掘り進もうとしたが、数分足らずで固い岩盤に当たって、木製のスコップではこれ以上は難しくなった。
そこで私はこの手に限ると呟き、無駄に渋い声を出しながら、力任せに素手でぶん殴った結果、ヒビ割れの隙間から、熱湯が勢い良く吹き出してきたのだ。
どうやら向こうの温泉とは、地下水脈が繋がっていたらしいが、狐っ娘の体に慣れていなければ、きっと何度殴ってもヒビ一つ入らなかった。
狼たちも、ちゃんと自分の力量に相応しい源泉を選んでくれていたのだとワンコに感謝して、頭を丁寧に撫でてあげたのだった。
永禄五年の春。意気揚々と参道を狐火で溶かして山開きをした後は、適当な岩を運んで組み合わせ、露天風呂を作り始める。
そして村の大工に脱衣所と石畳、その他諸々を依頼して、しばらく経ったある日のことだ。
尾張の清州城に自ら出向いて織田信長と軍事同盟を結んだと、本多忠勝さんが喜び勇んで山奥の社務所にまで報告に来た。
一応はお客さんなので、私は緑茶を湯呑に注いでおもてなしを行う。
「織田家は美濃の斎藤氏と戦争状態で、今回の同盟は渡りに船だったのでござろうな」
「……なるほど」
「松平家の家臣の仲介もあって助かり申した」
しかしこの情報を私が知ったとして、三河のために働くつもりはないし、そもそも本多さんは茶飲み話のつもりなのだろう。
今も美味しそうに茶をすすっているし、表情も柔らかく、心身ともにくつろいでいる。
「美濃とは、それほど手強いのですか?」
「山が多く攻めにくいでござるが。やはり美濃のマムシが厄介ですからな」
確か愛知県の東側が三河で、西側が尾張。岐阜県の南側が美濃と、大体こんな感じだったはずだと、頭の中に日本地図をぼんやりと思い浮かべる。
そして彼の話を聞く限り、山が多いので進軍するのは一苦労で、マムシまで出るとなると厄介なことこの上ない。
「それは確かに手強そうですね」
「ええ、本当に厄介でござるよ」
何となくだが会話がズレている気がするが、この場にはそれに気づく者が誰も居なかったので、二人の茶飲み話は問題なく進んでいく。
「そう言えば織田の殿様も、稲荷様のことを気にかけておりましたぞ」
「それは、……何と言ったものか」
「稲荷神が居られる三河と敵対するよりも、同盟を結び味方となったほうが得であると申しておりましたな」
同盟締結の一助になったのは良いのだが、内心は複雑だった。
歴史の教科書に複数回掲載されるぐらいの有名人なので、一度ぐらい会ってみたい気がするが、将来は魔王を自称したとかしなかったとか、そんなイメージもあって少し怖い。
「しかもあの様子では、いつか会いに来そうでござるぞ」
「……そうですか」
「藤波畷の戦いの活躍もあることですしな」
「でっ、ですからあれは、私ではないと……」
その場の勢いに任せて何も考えずに飛び出したが、結果的に武将を討ち取って三河は安定したので、この時代の地元が戦に巻き込まれずに済んだ。終わり良ければ全て良しだ。
せめて耳と尻尾を最後まで隠し通せていれば、微塵も動揺することなく知らぬ存ぜぬで押し通せていたのだが、世の中上手くいかないものである。
しかし織田信長が会いに来るとなると、期待半分不安半分であり、緊張のあまり稲荷神ロールプレイで変なことを口走らないように、気をつけないといけない。
私は良くうっかりしてしまうようで、今も本多さんを目の前にワタワタしっぱなしだ。
「コホン! それより、指導員のほうはどうなっていますか?」
「全てが順調、……とは言えませんが。皆とても助かっておりまする。
特に怪我や病で命を落とす者が減ったのは大きいですな」
衛生管理の指導を行うことで、怪我や病気の予防に繋がる。現代日本では常識だった、うがいと手洗い。そして糞尿やゴミや死体の処理を徹底させたのだ。
とにかく身の回りや体を清潔して、暖を取る時はお湯を沸かして湿度を一定に保つようにする。
それ以外にも炎や熱湯等の傷の消毒方法等など、この時代でも行えることは多岐に渡る。
防げるはずの病で亡くなる者を少しでも減らすために、派遣される予定の指導員たちに、私はさらにみっちりと教え込んだ。
その結果、今の三河では急ピッチで意識改革が行われているらしく、早速成果が出ているとのこと。慣れない教鞭を執って授業をしたかいがあったと、ホッと胸を撫でおろす。
「ですが、順調ではないのですか?」
「その通りでござる」
ふむ……と首を傾げる。元々稲荷神の信仰があった麓の村では、すぐに教えが根づいて特に問題はなかった。
しかしいくら正しい教えを広めようとしても、これまでとは違う常識外れのことを、ある日突然強要されるのだ。そんなもの、普通は受け入れるどころか拒絶するのが当然である。
「もちろん三河の民は嬉々として受け入れたでござるが……」
「えっ? 大多数が受け入れてしまったのですか?」
「……へっ? 何が問題でござるか?」
「いっ、いえ、何も問題はありません」
てっきり受け入れたのは稲荷神の信者だけで、残りの大多数は反発するものと予想していた。
だが目に見えた成果が上がったことと、合戦での活躍もあってか、思いの外すんなりと浸透し、何だか拍子抜けした気分だ。それでも相容れない人が居ることに、かえってホッとしてしまう始末である。
「一向宗の坊主たちが、稲荷様の教えに反発するのでござるよ」
ふむ……と顎に手を当てて思い出す。確か一向宗と言えば、去年私に直談判するために本堂までやってきた人たちだ。
邪教だとか間違った教えだとか、色々とイチャモンをつけていた。
一応戦国時代としては常識外れなことをしている自覚はあるので、文句を言われても仕方がない。しかし言われっぱなしではなく、言い返すぐらいはさせてもらった。
「しかし今の三河の民は、稲荷様の教えが正しいことを目で見て実際に試すことで、誰もが知り申した」
怪我や病気の予防では当人以外は目に見えた効果を実感し辛いが、統計を取ればすぐにわかる。それに来年の収穫期を迎えれば、教えを守った者ははっきりと自覚するはずだ。
「稲荷様の教えが心に根づくのも時間の問題でござろう!
そしてゆくゆくは、日の本の国教になるのですな!」
「そっ……それは流石に! その役目は、仏様にお譲りします!」
本多さんの言葉を慌てて否定するが、現代の日本は信教の自由があるものの、割合が多いのは仏教だ。
それが何で神道の中の稲荷神が、国教になると自信満々に断言できるのか。
今の日本の主流もやはり仏教で、三河の一部で稲荷神がブームになっても、本流は何も変わらない。そもそも神道のトップアイドルは今も昔も天照大神であり、狐っ娘はローカルアイドル路線で細々と信仰されているのが常のはずだ。
私は相変わらず軽快に笑い続ける本多さんに、おかわりの緑茶を注ぎながら、これ以上は面倒事がやってこないで欲しいと、心の底から強く思ったのだった。