二話 新しい家族(5) 滑車
私は山の中腹の我が家に引き篭もった。
そこで存分に家族と戯れた私は、ふと自分の掘った井戸がどうなったのかが気になり、数日ぶりに麓の村に下りてみることにした。
何度か通った参道なので大分慣れてきて、一度も止まることなく駆け下りて村に到着した私は、時々すれ違う地域住民に適当に挨拶して、目的の井戸に向かう。
「どうなりましたか?」
「とにかく男手をかき集めて石組みを行いましたので、間もなく完成でございます!」
近くに村長さんが居たので声をかけると、興奮気味に答えてくれた。
そう言えば人手やお金が足りないから井戸を掘れないと言っていたはずだ。
それでも私が果たした仕事はとても大きかったらしく、あとは村中から男手かき集めればなんとかなるとのこと。
「稲荷神様が深く掘られましたので、時間をかけると崩落する危険性が──」
ついでに夜通しの突貫工事になっているのは私のせいだとも説明されて、何とも申し訳ない気持ちになる。
だがまあ、それでも低予算で完成間近まで行ったのだから、村に貢献できたのでとにかくヨシッと開き直る。
ようは水不足が緩和できれば、一応は稲荷神としての役目は果たせたことになるのだ。
それに雑菌だらけの川の水より地下で濾過された井戸水のほうが、腹を下す可能性は低くなる。
長期的に考えても確実にプラスになるはずだ。
そして私があれこれ思案している間にも興奮気味の村長さんは喋り続けていた。
だが、途中で少しだけ声を落としたことに気づいて、ふと現実に引き戻される。
「しかし一つだけ問題がありまして──」
「問題ですか?」
井戸が完成すれば川だけに頼るより、水不足の影響を受けにくくなる。これは確かなはずだ。
それの何が問題なのかと、私は彼の言葉の続きを待つ。
「井戸が深いために、釣瓶を引き上げるのが大変なのです」
それを聞いた私は、思わず言葉を失う。
未来なら電動ポンプ式で汲み上げるので、ボタンを押すか蛇口をひねるだけ済む。
しかし戦国時代には当然そんな便利グッズはない。つまりほぼ全てを人力に頼ることになるのだ。
となれば、井戸が深ければ深いほど釣瓶を引っ張り上げるのが大変になり、健康な若い男性ならまだしも、女子供や老人には重労働かも知れない。
ならばこれまで通り近くの川まで汲みに行ったほうが、水汲みとしては遥かに楽であり、たとえお腹を下す可能性があろうと、地域住民は皆そちらを選ぶだろう。
(もしかして、失敗した?)
誰も利用しない井戸など、ないのと同じだ。
それでも川の水が干上がったら、渋々といった感じで井戸を使うだろうし、いざという時の備えは必要だ。
そのため、かかった労力は一概に無駄とは言えない。
だがこのままでは、私が必死こいて掘った井戸は綺麗サッパリ忘れ去られる可能性がとても高く。稲荷神の信用がプラマイゼロどころか、低下しかねない。
(何とか! ……何とかしないと!)
石組みが済んだ井戸に雨避けの屋根がつけられて、木工職人が釣瓶がぶら下げられているのを見た私は、必要なくなった狐火を消したあと、ふと疑問に思ったことを何となくで口に出した。
「井戸に滑車はつけないのですか?」
「かっ、滑車?」
村長さんどころか村の木工職人も首を傾げたので、私はその辺りに落ちていた木の棒を拾って手に持つ。
「ええと、滑車と言うのは──」
そして木の棒の先で、時代劇に登場した滑車付きの井戸を簡単に描いていく。
割と絵心に恵まれているのは助かっているが、村の職人らしき人たちが私の絵を見て、腕を組んで考え込んでいた。
「輪っかの部分だけが回転することで、下に引く力で釣瓶を引き上げることが可能になるのです」
そもそも時代劇には、人が引っ張って走る大八車が出てきたはずだ。
基本的にはそれと同じ原理なので、戦国時代にはないのは不思議だと思ったが、たとえ存在しても麓の村の道はでこぼこで、雨が降ってぬかるみにハマればすぐ動けなくなる。
ゴムのタイヤなら多少はマシかもだが、木製ではどうしようもない。
なので、きっとあるにはあるけど広まらなかったのかもと頭の片隅で考えながら、村の職人が滑車の実物を作成する前に、まずは模型から始めるようにと提案する。
ついでに水車にも同じような技術が使われているのだが、いつの時代も小型化は困難なので仕方ないと取りあえず頭の片隅に置いておき、今は何とか井戸を使ってもらえるように必死で身振り手振りをし、拙い説明を続けるのだった。
なお私が掘った井戸は水汲みが重労働でも、何故か村民の使用頻度は非常に高かった。
稲荷様の聖水などと呼ばれて有難がっているようで、聞き方によってはR18的な意味にも間違われかねない。
凄く恥ずかしいが水質は良好で川の水より美味しいらしく、利用者がゼロでなかったことは嬉しかった。
しかし新装開店セールのような物珍しさで飛びついているだけだろうし、そう長くは続かないのできっとすぐに飽きるか忘れられる。
なのでそうなる前に滑車を取り付けて、少しでも利便性を上げたいところだ。
そんな悶々とした思いを抱えながらオンボロ社務所に引き篭もっていると、村長さんがわざわざ伝言に来て、麓の村の木工職人が滑車について聞きたいことがあるらしいと、教えてくれた。
滑車の構造は単純なので、戦国時代でもすぐ作れるはずだと最初は割と楽観的に考えていたが、麓に下りて木工職人の仕事場に行くと、何とも重い空気が漂っていてとても困惑した。
「稲荷神様! よく来てくださいました! まずは、こちらをごらんください!」
待ってましたとばかりの親方が、模型ではなく試作品らしき滑車を見せてくれたので、私はそれを手に持って色んな角度から観察して、実際に回してみたりもする。
「どうやら、内と外の円形の大きさにズレが生じているようですね」
ある程度の遊びは必要だが隙間が大きくなってしまうと、回すたびにガタガタ揺れて、負荷がかかることで壊れやすくなる。
だがまあ木製なので耐久力に難があるのは仕方ない。それでも水を数回汲んだだけで壊れてしまったり、変に揺れたり、円ではなく角があって回転がスムーズにいかなかったりしたら、滑車の意味がないと言える。
それに何よりも、知識や技術を教えた稲荷神の名に傷がつくというものだ。
「では、最初の一つは私が作りましょう」
「稲荷神様自らですか!?」
「滑車の構造は先程見て覚えました。これなら何とかなります。……多分」
この狐っ娘の身体能力はとんでもないものがあり、あっという間に滑車を完成させた。
なおその前に三つほど失敗したが、高速で工具を振るったので極めて短時間だったし、そちらは尊い犠牲及び駄目な見本として、新人の教育のために公開展示しますと親方が嬉しそうに言っていた。
私としては黒歴史を堂々と公開される辛さがあったが、処分する理由が何も思い浮かばなかったので、好きにしてくださいと恥ずかしそうに視線をそらして答えるのが精一杯であった。
何にせよ、木工職人から工具と素材の杉を受け取り、身体能力に物を言わせて物凄い速さで円形を正確に掘り進めて、現場の職人に説明を受けながらなので、途中で手を止めることがしばしばあったが、何とか無事に滑車第一号が完成したのだった。
「これが滑車ですか?」
「そうです。中央の溝に縄を取り付けることで上に引っ張るのではなく、下に引くことで水を汲める道具です」
他にも色々と応用が効くので、今後はこれを参考にして作成するようにと、一仕事終えた私は彼らに第一号の滑車を渡す。
「取り付け作業は大丈夫ですか?」
「大丈夫です! あとは我々だけで十分でございます! これ以上稲荷神様の手を煩わせるわけにはいきません!」
確かに雨避けの小屋に滑車を固定するだけなので、ここまでやれば完成したも同然だ。
私は満足そうに微笑み、では楽しみにしていますねと一言告げて、深く頭を下げる木工職人たちに背を向けて、山へと帰って行ったのだった。




