二話 新しい家族(4) 井戸掘り
何処情報かは覚えていないが、野生動物は水を探すのが上手いらしく、匂いでわかるとのこと。
それなら家族はそんじょそこらの狼よりも賢くて、ある程度の意思の疎通が可能だ。
なので私は身振り手振りで、地下を流れる水脈を探して欲しいと伝えたのだった。
しかし何事もトントン拍子に進むわけはなく、もっとも大きな川ではない別の支流や、各家庭の水瓶に案内されること十回以上、違うそうじゃないを繰り返していた。
そんな私と狼の漫才を地域住民が微笑ましい表情で見守っていることには気づかず、当人はとにかく必死であった。
何しろ私が山の中腹に住むには、成果を上げ続ける必要があるのだ。
ついでに稲荷神(偽)を自称している以上は、失敗は許されない。神様のすることは全て正しいのだ。
現在の状況は、地域住民に家と道具と食料を分け与えてもらい、追い出されたり討伐されることない安住の地を手に入れたと言える。
それでも決して平穏とは言えないが、たったの数日とはいえ、戦国時代にしては割と普通に暮らせている。
他の地域がどうなっているかは知らないが、酷い有様に違いない。
なので追い出されない限りはずっと住み続けたいと、私はそう考えていたのだった。
まあ現状がオワタ式で詰みかけているのはともかく、お天道様が真上になるまで地下水脈を探したものの見つからず、少々気疲れしてしまった。
一応狐っ娘は疲れ知らずなのだ。しかしその中身は女子高生なので、精神的な疲労は避けられない。
と言うことで、お昼御飯を食べて気持ちを切り替えることにした。
狼たちが間違って案内した河原の適当な岩の上に、どっこいしょと腰かける。
そして、品種改良の進んでいない麦飯の塩おにぎりを包んでいた竹皮を解いて、海苔がないのでただの握り飯を小さな手で掴んでは、口に運ぶ。
肌を撫でる涼しい風や、絶え間なく流れる水と光を反射して泳ぐ魚を見ながら、おにぎりをモグモグと咀嚼して、まともに使える調味料が味噌と塩しかないのは辛いなーとぼんやり考える。
しかし肉体が幼女なせいか、少し食べるだけでお腹いっぱいになるので、その点はだけはありがたかった。
低燃費な割にはやたらと高出力な狐っ娘で、一体何を燃やして超パワーに変えているかと疑問に思ったが、私の足りない頭ではいくら考えても答えが出なかった。
やがておにぎりを二つ食べて腹八分目になり、次に出かける前に稲荷神社の湧き水を竹筒に入れてきたので、口につけて喉を潤していく。
一段落したのでぷはぁと息を吐くと、狼の群れのうちの一頭が何か言いたそうに私をじっと見つめていることに気づく。
(付いて来いってことかな?)
視線を合わせると、こちらを見ていた狼はこの場から離れるように少しだけ歩き、もう一度こっちを振り返った。
一連の行動から、きっと何処かに案内したいのだろうと推測し、今度こそ地下水脈を見つけたのかと、既に十回以上も失敗しているが、前向きな私は座っていた岩から飛び降りて、期待と不安が半々な状態でも、取りあえず付いていくのだった。
私が後ろを付かず離れずの距離を維持して歩いていると、狼は村の外れ辺りでピタリと動きを止めた。
そこは草茫々の荒れ地で、木々は生えていないのでもしかしたら元は田畑かも知れない。だが何らかの理由で放棄したのだろう。
さらに案内したワンコが、前足で地面を掘る動きをしたことから、とうとう地下水脈を見つけたのだと察する。
もちろんまだ実際に水が湧き出たわけではないが、今さら疑うものか! 私は家族を信じる! と心の中で決意を固めた。
「案内してくれて、ありがとうね」
私は案内役の狼の頭を撫でてお礼を言うと、荒れ地に生えている丈の長い雑草を横に退けながら、ワンコが前足で掘って印をつけた場所に近づいていった。
ちなみにだが、村長さんが同行しているのは当然として、これから私が何をするのか気になったのか。結構な人数が遠巻きに、何処となくハラハラした表情でこちらを見守っていた。
一方私は外野など気にすることなく、巫女服の袖をまくって気合を入れる。
「……掘ります!」
大きな声を出して決意表明した後、まるで野生のキツネにでもなったかのように四つん這いになる。
普通の人間なら物凄く腰に負担がかかるが私には関係ない。
ただただ地面を真下に向かい、素手で土をかき分けて掘り進んでいく。
はっきり言って人力どころか重機すら上回る速度であり、やり方は素手での直掘りというゴリ押しで、何かもう滅茶苦茶であった。
それでも身体能力の高さに物を言わせて、未来の掘削機も顔負けなのは、神の所業としか言いようがなかった。
なおそこに至る過程が色んな意味で無駄だらけなのは、目をつぶるものとする。
そんな事情もあってか、唯一問題があるとすれば、途中で何度か崩落したことだ。
ド素人の直掘りで掘削技術も何もないので仕方ないと言えばそれまでだが、普通なら大事故でも、私は生き埋めになっても全然平気であった。
なのでまずはひょっこりと狐耳を出して、次に顔と手足を生やして崩れた土から這い出ては、凝りもせずに再び井戸を掘り始める。
戦国時代に飛ばされてから、未来の便利で快適な生活とは無縁な暮らしと理不尽な環境のせいで、色々とストレスが溜まっていたのかも知れない。
なの今までの鬱憤をぶつけるように、心の中でこんちくしょうと叫びながら、言いようのない怒りに任せて力の限り土を掘っていく。
泥をかぶったり土に埋もれても窒息せずに体や服も汚れず、素手で掘っても一切傷がつかないのは本当にありがたかった。
しかし、これ絶対人間辞めてるなと実感させられたのだった。
どのぐらい掘ったかわからないが、途中で岩盤に当たったので、マシンガンのように連続で下駄で踏みつけてぶち破ると、ひび割れから澄んだ水が噴水のように勢い良く溢れ出てきた。
この結果を見て、取りあえずの役目を果たしたと判断した私は、薄暗い井戸の底から一足飛びで地上に舞い戻る。
すると辺りはすっかり夕焼けに包まれており、井戸の周りにはこんもりとした土の山と、今日の仕事が終わったと思われる大勢の村人に取り囲まれていた。
「稲荷神様! 本当にありがとうございます! あとの仕上げは我々石積み職人にお任せください!」
何やらやたらと暑苦しいおじさんと、お弟子さんらしい人たちが私に向かって深々と頭を下げる。
「まだ日が出ているので、もう少し作業を続けます。ですが、その後は任せましたよ」
「はい! 稲荷神様のご期待に添えるよう! 精一杯頑張らせていただきます!」
そもそも石積み職人とは何ぞやという状態であり、私は全く理解していなかった。
なので取りあえず一緒に仕事をしてみて、彼らがどんなことをしているのか学ぶことにした。
(井戸って、掘って終わりじゃなかったんだ)
私は大きな石を二つも三つも、一度にヒョイッと担いでは井戸の底に飛び降りる。
そして狐火で足元を照らし、石組み職人の指示通りに、丁寧に足場を固めていく。
井戸という言葉は知っていても、実際にどのように作られているかまでは知らなかったので大変勉強になる。
せいぜい娯楽作品にちょこっと出てくるぐらいぐらいの知識しか持っていなかったため、今回は絶対段取りとか無視して変な作り方したんだろうなと思いながら、せっせとお手伝いをする。
どれぐらい手伝っていたのか、いつの間にか夕日はすっかり沈んで夜になっていたが、石組みはまだ半分もいっていなかった。
「私はそろそろ帰りますが、灯り用の狐火は残しておきます」
「はい! お任せください!」
狐火を井戸の内部に設置することで、私が操作しない限り消えない青白い光が暗がりを明るく照らす。
ちょっと不気味だが熱くないし、ロウソクや松明、薪を燃やすよりは村民に負担はかからない。
とにかく最下層の土台は固まって安定したため、残りは職人や村の住人がやってくれるという言葉を信じて、私は井戸の底から外に出る。
すると作業が終わるまで大人しく待っていてくれた狼たちに、帰るよと声かけて、新たな狐火を浮遊させて夜の闇を照らし、山の中腹にあるオンボロ社務所に向かい、のんびり歩いて行くのだった。
次の日、朝日が木枠の窓から差し込んできた眩しさで目が覚める。
寝ぼけ眼を擦りながら起きた私は、作り置きしていた味の薄い塩粥を温め直した後、朝食として口に運んで咀嚼しては、西暦二千二十年の恵まれた食生活を懐かしんだ。
現在手元にある調味料が塩と味噌しかないのが、致命的すぎる。
だがまあ火力に関しては、狐火を扱えば薪は不要で煮たり焼いたりできる。
それでも細かな温度調整はなかなかに難しいので、もっぱら薪への着火用として利用していた。
あとは油も貴重らしく、揚げ物や炒めものが厳しく、ついでに言えば蒸し器もないため、調理器具も足りてない。
「うーん、足りないものだらけだよ」
やはり味気ない塩粥では流動食か病人食か、何かコレジャナイ感が否めない。
お米も現代とは違って玄米で、粘り気も少なく小粒であんまり甘くない。
ついでに言えば農民の間では麦飯が普通で米は貴重だ。
なのでもう何と言うか、現代っ子には世知辛い生活環境であった。
「やっぱり平穏に暮らすだけじゃ駄目だね。
便利で快適な生活を手に入れないと、普通に生きていくだけでも大変すぎるよ」
駄目押しとばかりに机やちゃぶ台もないため、畳にオボンのような容器を敷いて、さらに食べているのは塩粥だ。
戦国時代では当たり前の食事風景かも知れないが、それがより一層惨めさを感じさせているのも、紛れもない事実である。
「これがお貴族様なら洒落たお膳なんだろうけど。それでも、……とても辛い」
あとはお風呂にも入りたい。
今は滝行のごとく湧き水を頭からかぶり、全身をブルブル振って水気を飛ばすという、何とも豪快な狐の行水であった。
今の所は体調を崩したことはないので、きっと風邪も引かないのはありがたい限りだ。
しかし汗もかかないし汚れもしないため、体を洗う必要は全くないにも関わらず、それはそれこれはこれだ。
未来の日本では毎日入浴していたので、やっぱり風呂は命の洗濯はどうしても外せない案件なのであった。




