二話 新しい家族(1) 血抜き
直接間に入れると投稿日時が分かりにくいため、戦国時代番外編として別枠扱いにします。
新しい家族の後となります。事前にお読みください。
山の中腹のオンボロの社務所に住み着いた私は、新しい家族のことを最初は犬っぽいと思っていたが、実は狼だったことを知る。
さらに人間の言葉をある程度なら理解するので、犬や猫より賢かった。
これらのことを考えた私は、まずは狼たちが獲物を狩れるようにと、しっかり躾けることにした。
何しろ群れの生存競争に負けたせいで、空腹状態で餓死一歩手前まで追い詰められたのだ。なのでこれは、要改善だろう。
具体的には、次の日の早朝に起きた私は、狼たちと一緒に山に入って野生動物を探させた。
オンボロ社務所から一歩外に出れば既に山深いので、そっちの手間が省けて良い。
とにかく、もし見つけたら群れで取り囲み、罠を張った地点まで追い立てるようにと指示を出した。
あとは、まんまと罠(私)の前に追われてきた獲物を、真正面から飛びかかってガツンと一発ぶん殴るという、単純明快な作戦であった。
しかし、いくら簡単な意思疎通ができると言っても、やはり獣である。最初は何度も失敗した。
血気盛んにイノシシに挑んだものの、逆に追われて逃げ帰ってきた。
または、罠に向かって追い立てるのではなく、単独でシカを狩ろうとして逃してしまう。
さらには連携が上手く取れずに、ウサギにさえ巣穴に逃げ込まれてしまったりと、お天道様が真上に来るまで、成功したのはたったの一回だけだ。
だがその一回でも狼たちに効率の良い狩りの仕方を教えられたし、連携の強化と自信にも繋がったので、まあヨシであった。
今回の狩りは、最初から私が出ていけば一瞬で片付く。
しかしそれでは、ワンコたちのためにならない。と言うか、多分自分に覚悟がなかっただけだ。
頭蓋骨が陥没するほどの拳を受けたイノシシの亡骸を前にして、顔色は青くて四つん這いになっている私は、心の中で何度もごめんなさいと謝る。
「うう、……吐きそう」
しばらく荒い呼吸を繰り返していたが、気持ち悪さと嘔吐感がようやく治まってきたので、よろめきながらも何とか立ち上がる。
そして最後にイノシシの亡骸に顔を向けて両手を合わせ、静かに黙祷する。
そもそも自分の手で動物を狩ろうと考えたのが、今は麓の村民の好意により住処と食料を貰っているが、もし稲荷神としての信用を失えば、すぐに追われる身となり放浪生活になってしまう。
なので万が一に備えて、戦国時代で一人でも生きていく術を身につけようとしたのだ。
今は何かあれば家に逃げ込めるが、旅暮らしでは安全な場所などないかも知れない。今できることは今やっておくに、越したことはないのだ。
私は過去に動物を殺した経験はないが、対峙した以上は泣き言を言うわけにはいかなかった。
だがそのおかげで、自分の身の丈より大きな生き物の命を奪うという、得難い経験を積めた。前向きに考えれば度胸はついたと言えなくもない。
なお撲殺されて地面に転がっている大イノシシだが、今は狼たちが代わる代わるに上に乗って、ワオーンと勝ち誇って遊んでいた。
取りあえずいつまでも放置しておくわけにはいかないため、これから運ぶから下りてと伝えると、狼たち全員が私の足元に集まる。
その後、よいしょっと大イノシシを軽々と担ぐ。
正直まだ獣を殴り殺した手の感触と気持ち悪さが若干残っているが、いつまでもこの場に留まっているわけにもいかない。
「雑菌が怖いから狼には極力攻撃させなかったけど。
解体なんて習ってないし、麓の村の人から教えてもらわないと」
戦国時代の山村なので、シカやイノシシの捌き方は当然知っているだろうと楽観的に考える。
狼は鼻が利くので麓の村の案内を頼み、足場が悪く鬱蒼と茂る獣道を、何度もかき分けながら進んでいく。
幼女サイズよりも大きいイノシシを担いでいるため、少し後ろ足を引きずってしまっているが、細かいことは気にしない。
しばらく歩くと急に視界が開けて、見覚えのある景色の場所に出た。
どうやら私たちが狩り場にしていたのは、麓の村からさほど離れていない場所らしかった。
こっちとしては移動距離が短くて良かったと言えるが、村の住人にとっては狼の遠吠えや野生動物の気配に、身の危険を感じていたことだろう。
そのせいで男衆を中心とした村の住民は、小刀やナタ、鎌や木の棒にクワといった、何とも物々しい武器を手に持った状態で、山の入口近くに集まっていたのだ。
そこに茂みをかき分けて現れたの巨大なイノシシである。
びっくり仰天した村人たちだったが、間髪入れずに顔を出した私と狼たちを見て、襲いかかる一歩手前で止まり、しばらく時が止まったかのような、何とも言えない雰囲気であった。
やがていち早く正気に戻った村民の一人が、恐る恐るといった感じで声をかけてきた。
「いっ、稲荷神様! その大イノシシと狼たちは一体!?」
「狼たちは私の新しい家族です。村民は襲いませんので安心してください。
むしろ害獣から守ったり、山に入る時の護衛になってくれますよ」
狼たちは、鼻をヒクヒクさせながら村人の周囲をウロウロとしているが、きっと間違って襲わないように匂いを覚えているのだろう。
その間に狩りの際には罠に獲物を追い立てる役割、村の周りを巡回して害獣の接近を知らせたり追い払う。
あとは山岳救助狼として負傷者の元まで案内したりと、ある程度の意思疎通が可能なほどに賢いのだと伝えると、村民たちには物凄く驚かれたのだった。
状況説明が一段落したので、私は背負っていた大イノシシを地面におろし、ニッコリと笑いかけて本題を切り出す。
「こちらは先程狩りで仕留めたイノシシです。半分は村に差し上げますので、血抜きと解体をしてくれませんか?」
まさか稲荷神が血抜きや解体ができないとは言えないので、村人の作業風景を見て覚えるつもりだ。
イノシシの半分を報酬として渡せば断られないと思っていたのだが、ここで予想していなかった事実が発覚する。
「稲荷神様の頼みです。報酬なしでも解体は喜んでやらせていただきます。ですが、血抜きとは一体?」
「……えっ?」
「「「えっ?」」」
まさか血抜きを知らないと思っていなかったので、この後の反応に困って完全に固まってしまう。
ついでに村民にも困惑が広がっているようで、何かしらの納得できる答えを示さなければ、不審に思われるのは確実だ。
(どうしよう。まさかこの時代に、血抜きの習慣がないなんて思わなかったよ)
もしかしたら、解体の流れの中に血抜きが含まれていて、村民は皆気づかずにやっているのかも知れない。
だがまあ、彼らはどうにもピンと来なかったようなので、たとえやっていたとしても重要視はされていないだろうと言うのは、何となくだが察することができた。
ぶっちゃけ私はと言えば、理論は知っている状態で実技はからきしだ。
なのでああだこうだと説明したとしても、下手にツッコまれるとボロが出るのは確実であった。
おまけに残念ながら自分は平凡な女子高生であり、咄嗟の閃きや機転も効かないため、とにかくその場しのぎに口を動かす。
「血抜きとは、動物の血を抜くことです。
これを行うと、肉を食べる時に生臭さが減って腐りにくくなります。体温も冷やすと、より効果が高まるのですが──」
「「「なるほど!!!」」」
聞きかじった知識を自信満々に村人たちに伝える私である。テレビでやっていたサバイバル番組か、漫画か小説を見ていつの間にか覚えていたのだろう。
だが内心は本当にこれで合っているのかがわからず、不安でいっぱいであった。
それでも高校一年までに覚えた知識と照らし合わせると、そこまで的外れではないだろうと開き直って、真面目な表情で村民たちに教える。
これならその場の勢いで押し切れるかと思っていたが、残念ながら逃げられなかった。だが、自業自得か身から出た錆と言うべきか、ある意味では当然の結果であった。
「稲荷神様! どうか我々に、血抜きのやり方をお教えいただけませんか!」
「あっ、……はい」
鼻息が荒く興奮状態の村人たちに、ジリジリと距離を詰められた私は、正直心の中ではどうしてこうなったと叫びたい衝動に駆られる。
それでも表向きには動揺を隠して、自信満々に頷くしかなかったのであった。
麓の村の広場らしき場所に案内された私は、住民にまずはイノシシの足を縛って吊るすための縄と、くくりつけて支えるための丈夫な木の棒を用意するようにと、指示を行う。
するとまるで。あらかじめ用意してあったかのような周到さですぐに準備が整った。
何とか実演を逃れる言い訳を考えようとしたが、その時間を与えないとは血も涙もない村民たちである。
しかしこうなったらもう、やるしかないと私は覚悟を決める。
うろ覚えの知識なので絶対に何かが間違っている感が否めないが、心情的にはもはやヤケクソであった。
「まずは支柱を立てた後に、イノシシの後ろ足をきつく縛ってください」
「こうでしょうか?」
村人たちが運んでくれた大イノシシの後ろ足に縄をしっかり結んだことを確認する。
それを見た私はコクリと頷いて、次の指示を出す。
「結んだ縄を引っ張って、前足と顔が地面に当たらない高さに吊るしてください」
私の説明を聞いた村の人たちは、何やら楽しそうにイノシシを吊し上げていく。
ついでに大きめの木箱を用意してもらったところで、声がかかった。
「稲荷神様、終わりました」
ちなみにこれから行う血抜きは、ボクシング映画の冷凍肉パンチを参考にしている。
何かが間違っている気がするが、それっぽい知識としてはこれしか思い浮かばなかったと言うか、非常に強く印象に残っていたのだ。
たとえサバイバル番組だろうと血抜きや解体はグロ注意であり、それっぽい映像にはモザイクがかけられて、詳細はわからなかった。
小説や漫画も詳しい描写は飛ばされていたので、こっちも全滅であった。
なので、普通の女子高生が血抜きなど知るものかと開き直る。……が、ここまで来たら仕方ない。
もはや、成るように成れなので、私はヤケクソ気味に最後の仕上げを行う。
「まずは、頭を切り落とします!」
右の手刀を超高速で振ることで、ぶら下がっているイノシシの頭を正確に切り落とした。
切断面はまるで鋭利な刃物のようで、綺麗に二つに分かれて地面にゴロンと転がる。
あまりの速度で突風が起きたが、まさに神業と言うべき場面を目撃した村人たちは、完全に言葉を失って呆然と私を見ていた。
ついでに縦にも手刀を振るい、大イノシシの体を半ばまで切り裂き、内臓を素手で鷲掴みにしてブチブチと引き千切っては、木箱の中に乱暴に突っ込んでいく。
ヤケクソ気味状態の私は、とにかくこの場を乗り切りたいあまり、R18Gなど何のそのだ。
大体片付いたあとは、大イノシシの血も手や巫女服に付着しなかったことを確認して、村民たちに向き直って最後の説明を行う。
「効率的に血を抜く方法は、他にいくつもあるでしょう。
内臓も摘出したほうが、臭みが消えて良いです。あとは貴方たちが試行錯誤を繰り返し、技術を高めていってください」
ニッコリと微笑むと、何やら尊敬の眼差しでこちらを見つめて、コクコクと頷いたり祈りを捧げたりしていた。
ちなみに内臓に関しての実行と説明は、場当たり的な行動だ。
冷凍肉パンチの場面は体が半分に裂かれた状態でぶら下がっていたので、やったほうが良さそうと、本当に何となくであった。
村人たちをしばし眺めた私は、取りあえず信用は失わなかったことに安心する。
そして精神的な疲労が酷いので、血が出なくなったら解体をお願いしますと伝えたあとは、内臓の詰め込まれた木箱を抱えて、狼たちを引き連れて山の中腹の我が家へ足取り重く歩いて行く。
取りあえず狩りを成功させたご褒美として、大イノシシの内臓を狼たちに与えるつもりだ。
尻尾を振って上目遣いで物欲しそうにこちらを見つめる家族の頼みを断るという選択肢は、最初からないのだった。




