信楽高原列車事故
時は流れて平成三年になり、後にこの年はバブル景気の終焉と失われた十年の始まりと呼ばれることになる。
それに伴いバブル崩壊は徐々に表面化してくるが、平成不況の足音はまだ遠く、今後の景気を楽観的に捉える者が大勢であった。
だが私が毎度釘を差すので、投資や規模拡大、証券や土地やマネー転がしも自粛している。
ずっと不況で生きてきたからこそ、今の日本がどれだけ恵まれた環境なのかは、否応なしに理解させられてしまうのだ。
就職氷河期や派遣切り、企業だけでなく銀行や都道府県、日本全体が多額の負債を抱えたり、正史の二千二十年は未来に希望を持つことが難しい時代だった。
平成三年と二千二十年の共通点は技術力ぐらいだが、それも追い越しつつある。
こっちの日本が一体何処に向かおうとしているのか、最高統治者である私にも予想不可能であった。
「日本はずっと好景気だから、不況と言っても今いちピンとこないのも無理ないかも」
居間のちゃぶ台に頬杖をついて思案する私は、薄型テレビに流れる株価の上昇速度が緩やかになってきたというニュースを見て、大きく溜息を吐く。
思えば江戸時代から日本は順風満帆であり、四百年以上も好景気が続いていた。
世間では稲荷神様のおかげと言われているらしいが、ぶっちゃけ私は何もしていない。
朧気な正史や素人判断で先を見据えた気になって釘を刺したり、何か危険な気配を感じたら咄嗟に適当な指示を出したりはした。
それでも結局は、自国民それぞれの頑張りで何とか乗り越えて来られたのだ。
「結果的に上手くいってるのはいいけど、事あるごとに私を持ち上げないで欲しいな」
事あるごとに皆のおかげだと主張しているのだが、謙虚だなー憧れちゃうなーと言わんばかりに褒め称えて、全ては稲荷神の信仰は高まるばかりだ。
キッカケは毎度違うものの、もはやお決まりの展開となってワッショイワッショイするので、中身が小市民の私はどうにも居心地が悪い。
だから外に遊びに行くときはお忍びが多くなり、日課のジョギングと放送以外は森の奥に引き篭もって、誰にも会わない状態だ。
さらに言えば、あまりも高く持ち上げ過ぎて噂が独り歩きしている状態なので、アイドル人気に陰りが見えて、存在が忘れられたらこれ幸いと神皇を退位するという計画は遠ざかる一方だ。
本当にいつになったら楽隠居できるのかと、私はちゃぶ台に頬杖を突いて大きな溜息を吐くのだった。
同年の一月に湾岸戦争が始まった。
前提として昨年の八月にイラクが隣国のクウェートに侵攻したことが問題視され、国際連合が多国籍軍の派遣を決定した。
そして今回イラクを空爆することになり、開戦へと至ったというわけだ。
まあ何にせよ双方色々な理由や確執があるだろうが、私としては早く終戦することを願うばかりだ。
何しろ外から見た限りは、多国籍軍が圧倒的に有利過ぎて、弱いものイジメにしか思えないのだ。
中東には違った神様が存在しているので狐色に染まり辛く、私の声も殆ど届かない。
なので余計な発言をして火に油を注ぐよりは、静観するのが一番であると判断した。
日本の自衛隊も、専守防衛しかできないわけではなく外国に派遣も可能だが、うちは世界の警察官ではない。
どちらかと言えばお医者さんなので、まだ動くべきときではないので、多国籍軍には加わらないのだった。
一月十七日になり、私は森の奥の我が家に引き篭もり、居間に置かれたちゃぶ台型コタツに下半身を突っ込む。
そして籠の中からミカンを取っては皮を丁寧に剥きながら、特別番組で湾岸戦争を取り上げていたので、ぼんやりと眺めていた。
「戦争で弱ったイラクとクウェートに支援の手を差し伸べる。弱みにつけ込んでも狐色に染めれば、皆幸せになれるよね」
今年も糖度の高いミカンをお供え物として送ってくれた農家さんに感謝しつつ、モグモグと美味しくいただきながら、ふむっと思案する。
私は両国が戦争している原因は知らないし、興味もない。
しかし放置した結果がどうなるかは、二千二十年頃の未来を知っているので、何となく想像はつく。
いくら日本に直接的な被害がないとは言っても、過激派テロ組織にいいようにされるのは腹が立つ。
それに国民が死の恐怖に怯える毎日を過ごしたり、世界情勢が乱れるのはヨシとしない。
「世界平和のためにも、狐色に染まってもらわないと」
完全にマッチポンプのような言い方だが、実際にそれが確実で平和にもっとも近いのだ。
弱った相手に優しい顔で近寄って信頼させて、手を変え品を変え狐色に染めていき、過激派の牙を抜いていく。
既に人を殺す組織に属している者には効果は薄いだろうが、意思の強さは個人差があり、意思が弱く楽な道に流れるのが人間という生き物だ。
なので、頑丈な城壁でもアリの開けた穴から崩れていくように、それこそ膨大な時間をかけてでも、狐色に染め上げていくしかない。
普段は信者が増えるのは物凄く嫌なのだが、それはそれ、これはこれだ。
若干チベットスナギツネになりかけたが、全世界がウルトラハッピーになるためだからと、強い意志を持って何とか割り切る。
そしてコタツから出たくないので、稲荷大社に呼び出すのではなく、日本政府の関係者には直接電話をかけて、場当たり的に思いついた長期計画を嫌々ながら伝えるのだった。
三月になり、私はまたフラッと旅に出たくなった。
そろそろ春の足音を感じてきたので、何処か暖かい場所に行きたいなとか、多分そんな感じだったと思う。
選んだのは広島県であり、その道中に橋桁が落下してきたのは本当に驚いた。
長さ六十三メートル、幅二メートル近く、厚さ二メートル, 重さ六十トンの鋼鉄製の橋桁を、私は咄嗟に飛び出して勢い良く蹴り上げた。
その結果、強引にでも橋の上に戻すことに成功する。
だが橋桁に乗って取り付け作業していた工事関係者五人が宙に投げ出されたため、鉄アレイとちくわをキャッチするゲームのように、高速で移動しつつ怪我をしないように順番に確保していく。
最終的に怪我人は出たものの死傷者はゼロで、他に気になる点と言えば蹴り上げた橋桁が上部に派手にぶっ刺さってしまい、工事の日程が大きく遅れてしまったことだ。
だが赤信号で停車中だった人の命も守られたし、私的にはとにかくヨシであった。
五月になり、東京都港区芝浦にジュリアナの東京がオープンした。
お立ち台の上に乗ってダンスを踊るらしいが、ニュースに流れていたものをちらりと見た感じでは、最大収容人数の二千人は伊達ではないとしか言いようがないほど、大変賑わっていた。
店内は凄い熱気と色とりどりの照明がチカチカと輝き、皆がダンスを踊ったり大音量で音楽を流したりして、とても楽しんでいる雰囲気が伝わってくる。
まさに伝説的なディスコの名を欲しいままにしていた。
荘厳な雰囲気の稲荷大社とは真逆で、凄いけど別に混ざりたくはないかなと、ぼんやりと考えたのだった。
同じく五月のことだが、滋賀県で世界陶芸祭セラミックワールドしがらき91が開かれているらしく、私はそれを見たくなり、ふらりと外に出た。
別に陶芸祭にはそれほど興味はないが、皆が楽しんでいるとか言われると、何となく自分もやってみたくなるのだ。
きっと人としての習性とか本能とか、何かそういうものなのだろう。
とにかく有名なイベントなので、ちょっと見物に行くぐらいの軽い気持ちでお忍び旅行に出た。
しかし会場の近くまで来た所で、やっぱり家に引き篭もってれば良かったという気持ちが強くなる。
何でも主催者側は、来場者が三十五万人も来れば良いほうだと予想していたところ、ゴールデンウィーク明けの五月十一日には、五十万人を達成していたのだ。
今日も当然満員御礼で人混みが酷く、まともに歩けなかった。
特に困ったのが私は焼き物はついでであり、本命は現地の飲食店巡りだが、あいにく何処も満員で美味しい食事は取れそうにない。
色気より食い気な私としては、本当にガッカリであった。
だがまあ気持ちは落ち込んでも、せめて表向きの理由の世界陶芸祭の見物だけでも済ませて、帰り道に適当な店にブラリと立ち寄るのも一興かと、強引だが気持ちを切り替えることにするのだった。
いつまでもクヨクヨしないのは私の利点だが、逆に言えば深く考えていないともいう。
とは思ったものの、列車は順番待ちの長い列ができており、乗車人数が想定の三倍近くという、通勤ラッシュさながらの超満員である。
なので私は、会場付近への移動手段の電車を、早々に諦めるハメになった。
元々、陶芸祭はテレビのニュースを見て、何だか面白そうだと感じてやって来ただけで、焼き物自体にそこまで興味はない。
ならばいっそ山道のハイキングのついでに、会場の雰囲気を遠目に感じて体験したつもりになる程度で、もう十分ではなかろうか。
これなら一応、陶芸祭に来たんだと、物凄くどうでもいいが個人的な達成感は得られる。
あとは自分が疲れ知らずなのもあり、会場付近までのんびり歩いて行ければいいやと、若干投げ遣りになりながら駅から離れる。
近衛とお世話係は稲荷神様が申されるならと異議はないらしく、私に同行してくれた。
かくして山間部の歩道を適当にぶらつくハイキングが、なし崩し的に決定したのだった。
ちなみに、お世話係がこんなこともあろうかと手作りのお弁当とお菓子を用意してくれていたので、私としては大助かりであった。
しかし残念ながら近衛の分はなかったので、彼は通り道で見かけた七狐のコンビニに寄り道し、お弁当を購入してもらった。
保存食は所持していますが、七狐の弁当は飲食店に勝るとも劣りませんと、彼はそんなことを言いながら、私にソフトクリームを奢ってくれた。
まあそれはともかくとして、コンビニを出た私たちは鉄道沿いの道路をテクテクと歩き、五月の暖かな気候や自然豊かな山間の景色を楽しんでいた。
いつもは色気より食い気で、グルメツアーか温泉旅行が大好きな私だが、たまにはのんびりとしたハイキングも良いものだと思い始めた。
だがしかし、ふとした違和感に気づいたので足を止めて、辺りをキョロキョロを見回す。
「如何されましたか?」
「ここの線路は一本しかないので、すれ違いは不可能ですよね?」
「はい、途中で信号場はありますが、目に見える範囲は一本だけでございます」
お世話係の返答を聞いて、私は口元に手を当てて思案する。
その間にも列車がこちらに近づいているらしく、段々と音が大きくなっている。
幸いまだ距離が離れているが、一分足らずで私たちの目の前に到達するのは間違いない。
何とも信じられないことだが、今現在は一本の線路に二本の列車が走っており、後続ではなく対向車である。
このままでは正面衝突待ったなしで、停止命令を出そうにも連絡している間にぶつかってしまうだろう。
そして私は電車を受け止めた経験があるが、今回は片方を止めたところで逆側から走ってくる列車に潰されてしまうため、その手は使えない。
なお私は無傷だが、双方の乗員乗客が酷いことになるのは確実だ。
状況を打開するために頭を捻って考えた私は、場当たり的に思いついたことを実行に移すために、軽く地面を蹴って線路の中央に降り立つ。
ここまで僅か十秒かかっていない。
線路の中央に立った私は、両手と両足を左右に広げて踏ん張ると、大きく深呼吸を行う。
「狐火!」
すっかりお決まりとなった台詞を私が叫んだ瞬間、青白い狐火が左右の手の平から放出されて、圧倒的な速度で路線上を埋め尽くしていく。
もちろん人体や環境に影響はないので無害。……とは思うが、実際のところはよくわからない。しかしただちに影響はないはずである。
とにかくその結果、信楽線をそれぞれ逆方向から走ってくる二台の列車の運転手は、自らの目の前に青白い炎の草原に変わったことにびっくり仰天して、慌ててブレーキを入れる。
流石に狐火に覆われた路線を見て、眉一つ動かさずに平静を維持して走ることは出来ない。
それはまるで丈の長い草のような青白い炎で、風になびいて火の粉を飛ばしているが、問題なのは線路がすっぽりと隠されてしまったことだ。
幸いほぼ直線ではあるが、もし障害物でも隠されていようものなら大事故に繋がりかねない。
何よりこれは間違いなく稲荷神様の御業だと容易に推測でき、その気になれば電車そのものを一瞬で燃やし尽くすことも可能である。
なので運転手は列車を緊急停止させて、一体何が起こって、どういう目的で狐火を出したのかと、急いで上に問い合わせることにしたのだった。
だがしかし問い合わせる前に、私の目的はあっさり判明した。
何しろ一本の路線に二台の列車が対向して運行しており、青白い炎の平原という異常に驚いて緊急停止をしたことで、正面衝突寸前に停車していたのだ。
先頭車両に乗っていた乗組員や乗客は、もはや数メートルほどしか離れていない互いの車両を見て顔を青くする。
このまま気づかずに走っていれば、数百人規模の大事故となっていたのは間違いなかったと。
一方私はと言うと、事件の関係者ではあるものの、別にワッショイワッショイされたいわけではない。
なので無害な狐火を広げただけの目眩ましを消す前に、信楽線からはスタコラサッサと立ち去っている。
この事件がどのように報道されるのかは知らないが、今日はもう世界陶芸祭に行くどころではない。
なので予定変更で、帰路につくことにする。
その途中で適当な飲食店に寄ってお腹を膨らませて、手作り弁当は夜にいただくという、隙を生じぬ二段構えを考える。
狐っ娘にとってはやはり色気より食い気で、陶磁器より美味い飯のほうが重要なのであった。




