かい人21面相事件
昭和五十九年の三月になったが、私はいつも通りに家の居間でのんびり寝転がりながら、週刊漫画雑誌を読んでいた。
すると付けっぱなしにしていた薄型テレビから、緊急時の独特な効果音と共にニュース速報が流れた。
こういうのはたまにあるが、一体何事かと疑問を抱いてよっこいしょと身を起こし、漫画を横に置いてテレビ画面をマジマジと眺める。
どうやら一粒三百メートルの社長さんが誘拐されたらしく、これは確かに大ニュースだ。
「まあ流石に会社が潰れることはないと思うけど」
もしこれが正史でも発生した事件ならば、未来になっても会社が残っているので多分大丈夫なはずだ。
だがまあ確証があるわけではなく、いくらお菓子会社の大手でも、経営に大打撃を受けるのは確実なので、私としては一刻も早く事件が解決することを願うばかりである。
捜査や調査において素人の私は役に立たないので、せいぜい大本営発表で当たり障りのない答えを返すぐらいだ。
あとは、静観するつもりであった。
だがしかし、この犯人グループが賢いのか、警察が無能なのか。意外なことに全然尻尾を掴ませなかったのだった。
誘拐された社長が自力で逃げ出した後、無事に保護されたまでは良かった。
しかし現金十億円と金塊百キロを要求したりと、まるで現実的ではない。
なので、愉快犯だと言うのが専門家の見解で、さらには、かい人21面相(原文まま)を名乗ったりと、明らかに警察をおちょくっていた。
だが、やっていることは立派な犯罪だ。
今なお彼らは過激な行為を繰り返しており、放火や脅迫状、アベックを襲撃、食品に青酸を混ぜたりと、重い罪を何度も重ねているのだ。
しかも。被害に遭った企業は一粒三百メートルだけではなく、丸大、森永、ハウス、不二、駿河、このようにそうそうたるメンツである。
私も特設スタジオで早く犯人が捕まればいいですね。と、何度もコメントした。
きっと警察がそのうち何とかしてくれるから大丈夫だと、割と楽観的に構えていたのだ。
しかしこうも翻弄され続けている現状を見ると、犯人グループにスーパーハッカーでもついているとしか思えない。
もしくは、何らかの手段で警察の捜査情報が筒抜けになっているのか。
まあ素人考えなので、はっきりとした理由はわからないが、相手の方が一枚も二枚も上手なのは確かだ。
そして私は食品に混入させた青酸カリを食べても全然平気だが、日本国民はそうはいかないし、犯人が捕まらない限り、いつまでも安心できないことになる。
普段は私がお願いすればある程度の抑止力になるのだが、この犯人にはどうにも効果が薄い気がする。
たとえ軽犯罪だろうと、何度も続ければ結局何も変わらないのであった。
何にせよこのままでは手詰まりなので、悩んだ私はいつもの思いつきで政府関係者と連絡を取る。
そして他国の捜査機関にも、今回の犯人探しを手伝ってもらうことにしたのだった。
各国に大きな借りを作ることになるが、犯人にはこれまで散々煮え湯を飲まされている。さらに警察も失態を重ねていて信頼が揺らいでいるし、最悪死者が出るよりはマシだ。
ちなみに捜査協力をお願いしたのは、オーストラリア、イギリス、ドイツ、アメリカである。
日本も引き続き捜査を続けるが、こっちの情報は筒抜けの疑惑があったため、現地入りした後は各国が独自に調査を進めることになった。
メンバーの一人と思われるキツネ目の男の写真もあったことも大きく、協力要請から一ヶ月ほど経ち、割とあっさり犯人特定へと至った。
そして犯人グループが逃げ出す前に強制捜査を行い、見事逮捕したのだった。
まあ何というか、たとえ日本の警察情報が筒抜けだったとしても、四ヶ国が独自に調査をしているのだから、全ての動きを見張るのは不可能だ。
それはともかくとして、犯人グループは無事に確保した。しかし日本で活動するための権限も貸し与えているため、どの国が取り調べからの自供へと持っていくかで喧嘩になってしまった。
私としては、後は日本の警察がやりますと、はっきり言いたい。
だが、こっちは犯人にまんまと出し抜かれて面目丸つぶれなうえ、実際に逮捕したのは外国の捜査官たちだ。
元々協力要請しようと提案したのは私で、各国はきちんと成果も出した。手柄を立て過ぎたために、日本政府でさえも非常に口を出し辛い状況になってしまったのだ。
そんな今いち締まらない決着だったが、犯人は捕まったので終わりよければ全てよしだ。
はっきりとした事実関係が明らかになるのは当分先だろうが、それはそれ、これはこれだ。
それまでは、元一粒三百メートルの関係者説、株価操作説、被差別部落説、宮崎学説、半島工作員グループ説、元暴力団組長グループ説等の議論が活発に交わされるのは間違いないが、とにかく無事に解決して良かったと、私は小さな胸をホッと撫で下ろすのだった。
昭和六十年になって、リニアモーターカーの路線が増えたり、様々な国営企業が民営化されていった。
それとは別に、筑波研究学園都市で三月十七日に開催された国際科学技術博覧会だが、元は科学技術庁がエネルギー問題を中心に構想し、人間、居住、環境と科学技術がテーマである。
そして日本を含む四十八ヵ国と、三十七の国際機関が参加した。
客足も順調で、二千万人以上が訪れた。
首都圏で行われた万博だけではあって、当時の特別博覧会としては史上最高入場記録となった。
私も当然のように見物に訪れて、マスコットキャラクターのコスモ星丸と一緒に写真撮影を行った。
各科学館も大変賑わっていて、やはり日本やオーストラリアの企業が一番人気だった。
大変満足したが、帰り際にここだけしか買えない硬貨や切手があるということで、大勢のコレクターが先を争って買い漁っている現場を目撃してしまう。
稲荷神と博覧会がコラボした限定グッズを集めているのを見た私は、たちまちチベットスナギツネの表情に変わる。
その後は、できるだけ早く忘れようと、早足で会場から立ち去るのだった。
後日の話となるが、大阪の球団が優勝した時、道頓堀に稲荷神のグッズをこれでもかと投げ込み、最後に大勢のファンまでもが飛び込むという珍事件が発生した。
史実よりは環境保護に力を入れており、水は綺麗だが、それでも都会の川なので怪我したり病気になったら大変だ。
私は大本営発表で、私を模った道具を川に投げ込むのは構いませんが、環境を汚染するので後できちんと清掃してください。あとは飛び込みは危険なので止めてください。と、少しだけ釘を差しておいたのだった。