第69話 不安
宏和という名前が出た途端、一瞬にして食堂に動揺が広がった。
皆ざわめき始め、食堂の雰囲気がガラリと変わる。
そんな中、ウォルス団長は発言を続けていった。
「残念ながら、まだ犯人は捕まっていない。騎士団の方で全力で調査しているが、まだ犯人の手がかりすらつかめていない状況だ。事件はこれで終わりと思いたいが、帝国の刺客の可能性もある以上そうもいかん。犯人が捕まるまでは、勇者といえども複数人での行動を出来るだけ心がけてほしい。今日の訓練は中止にする。俺が忙しくなるからというのもあるが……この時間で、お前たちには少し落ち着いて欲しい。話はこれで終わりだ。俺は調査に戻る」
そう言って、ウォルス団長が食堂から出ていく。
一方で、食堂に残された勇者組のみんなを見てみると……彼らは例外なく、不安に襲われていた。
仲間が死んだという、紛れもない現実。
それが、今自分たちが置かれている危機的状況を再認識させ、不安を呼び起こしている。
これはチャンスだ。
今不安によって開いた心の穴に潜り込めれば、簡単に信頼が手に入る。
だから、私はみんなとは違う種類の不安を押し込めて、椅子から立ち上がった。
「それじゃあ努君、行ってきますね」
「はい。カバーはいくらでも効きますから、気負わずに頑張ってください」
努君の言葉にコクリと頷く。
そして、私は人格を外向き用に切り替える努君を尻目に、橋川さんの下へと向かった。
橋川さんの様子を見ると、彼女はざわめく食堂の中で、不安がる周りの人を必死に励ましていた。
相変わらずの優しさと前向きさだ。
人並みに不安は感じているはずなのに、全く表に出さない。
私はそんな彼女に、私はまず優しくすることにした。
「――きっと犯人もすぐ捕まるよ。うん、きっとなんとかなるって。……ん? あれ、葵ちゃんじゃん。大丈夫? わざわざどうしたの?」
「私は大丈夫です。ただ、橋川さんのことがちょっと心配になって」
「え、私? 私なら見ての通り全然大丈夫だけど……いきなりどうして?」
「橋川さん、いつも周りに優しくしてばっかりで、なんだか最近疲れているように見えたから。私も優しくしてもらったし、こんなときぐらい何か役に立てればと思って」
「ん、そっか。ありがと、心配してくれて。確かにちょっと疲れてたけど、今の葵ちゃんの言葉で全部吹き飛んじゃった」
橋川さんは笑顔でそう言った。
橋川さんが疲れているのは、私がそう見えるんだから確かなはずだ。
精神が疲れていなくても、身体の方は疲れる。
色々な人の頼みに付き合っている橋川さんが疲れるのは必然だろう。
だけど、周りの人は気づかない。
橋川さんはいつも元気に振る舞うから。
周りに優しくするために。
だからこそ、ここがポイントになる。
周りとは違う、あなたをよく見ているという信頼させるポイント。
私の理性は計算して会話し、橋川さんの心に少しずつ入り込むようにしていた。




