幕間 清水結希乃という女の過去②
「それで吉川さん。大事な話って、何?」
重い足を動かして屋上にたどり着いた私は、待っていた吉川さんと顔を合わせるなり、すぐにそう尋ねました。
こんな場所で、余計な話をするつもりは無かったから。
どんな話であれ、さっさと終わればいいなと思っていたのです。
それを聞いた吉川さんは、少しばかり眉をひそめながらも口を開きました。
「昨日、村山から告白されたんだって?」
「‥‥‥それ、何で知ってるの」
「そんなのはどうでもいいじゃん。で、何て答えたの?」
吉川さんの返答を聞いた私は、まさに背筋の凍る思いでした。
こっそりと行われたはずの告白を、どうやって吉川さんは知ったのでしょう。
声色からしても、表情からしても、彼女は明らかに苛立っていました。
当人である村山君にも悪いので、あのやり取りの内容を暴露するのは気が引けます。
しかし、だからと言って黙秘したり、嘘をついたりする度胸は当時の私にはありません。
「応えられないって言って‥‥‥断った。それだけだよ」
結局、私は正直にそう答えました。
それを聞いて吉川さんは、その目つきをより一層鋭くさせます。
目線にこもっているのは、嫉妬や憎悪といった負の感情です。
ここまで来れば、流石の私にも察しがつきました。
つまるところ、吉川さんは村上君の事が好きで、村上君に告白された私に嫉妬しているのだろうと。
「どうして、あんたなんかが告白されたのよ。あたしだって、好かれるために散々努力してきたのに」
「そんなの‥‥‥私だって聞いてないし、知らない」
「ふぅん、それじゃ別の事聞くけど、どうしてあんたは断ったの?」
そう言って、吉川さんは私が一番恐れていた質問をずけずけとしてきました。
この時の私は、孤独と恋が理解できないという悩みでボロボロの精神状態です。
そんな中で、こんな理不尽な嫉妬の感情をぶつけられた私は、この辺りから自棄になっていきます。
「恋が分からなかったから、それで断った。そんな状態で付き合うだなんて、不誠実だと思って」
「はぁ? 恋が分からない? こんな風に男をたぶらかしといて、ふざけてんの?」
「‥‥‥ふざけてなんかない」
「はっ、どうだか。どうせ恋に興味のないフリして、クール気取ってるだけじゃ――」
そこまで言葉を口にしてから、吉川さんはハッとして話を中断しました。
手遅れではありましたが、彼女は私の表情に気が付いたのです。
苦悩に苛まれ、怒りに震えるその表情に。
私の我慢は、既に限界を超えていました。
「私だって、好きでこんな選択したわけじゃない! 恋が分かるのなら、私はみんなと一緒に恋の話をしたかった。恋が分かるのなら、私は自分の恋を見つけたかった。恋が分かるのなら、私はこんな風に思い悩む事もなかった!」
そう叫びながらも、気付けば私は吉川さんの胸倉を思いっきり掴んでいました。
完全に頭に血が上っていて、もはや冷静さは欠片もありません。
あるのは、私の悩みをことごとく馬鹿にした吉川さんへの怒りのみです。
「ねぇ吉川さん。あなたは恋を知ってるんでしょ。どうせ、村上君に恋してたんでしょ? だったら私に教えてよ! 好きでドキドキするってどういう事なの!? 付き合うってそんなに嫉妬するほど素晴らしい事なの!?」
「そ、それは‥‥‥」
私の勢いに気圧されたのか、吉川さんは大した返事もせずに黙り込みます。
今や、私と吉川さんの立場はすっかり逆転していました。
「みんな当たり前みたいに知ってるんだ! 私以外のみんな、当たり前みたいに恋を感じてる! 私が持ってない感情をみんな持ってる! ‥‥‥私は、どうしてもみんなが羨ましい。やっぱり私だけが、欠陥品の異常者なんだよ」
そんな言葉を最後に、私は全ての感情を吐き出して涙を流し始め、吉川さんはその様子を呆然と見つめます。
辺りではしばらくの間、私のすすり泣きと風の音以外、いかなる音も聞こえませんでした。




