第92話 蔦と剣と生首と
「努君……努君? もう終わりましたか?」
そんな葵さんの声を聞きながらも、作戦を練り終えた僕は思考の海から徐々に意識を浮上させ、現実世界に戻ってくる。
「はい、お待たせしました。色々話したい事はありますが、時間がありません。早速ですが、これから僕たちがやる事を説明させてもらいます」
僕はそう前置きをしてから、どうしてそうするのか、あの魔物の正体は何なのか、といった事を一切説明する事なく、ただ淡々とやる事を話していった。
それに対して葵さんは、たくさん疑問があるだろうにも関わらず、何も聞き返す事なく、同じようにただ淡々と僕の話を聞いてくれていた。
「さて、作戦の内容はこれで話し終わりましたが……何か聞き逃した箇所や、よく分からない箇所はありませんでしたか?」
「大丈夫ですよ。一字一句たりとも聞き逃してませんから。それより、時間がないんですよね? 早く行きましょう?」
葵さんはにこりと笑ってそう言うと、僕の後ろに立ち、作戦通りの配置につく。
それを見て僕は、「これはますます葵さんを置いて死ねないなぁ」なんて事を頭の隅で考えつつも、作戦を開始すべく、全身身体強化とボディーエンチャントを発動させた。
そして――
「それじゃあ行きますよ。しっかりついてきて下さいね!」
そう言って、僕はトレントの裏にある偽物の壁に到達するべく、リビングソードを持って駆け始めた。
トレントを中心に時計回りで円を描くように、一定の距離を保って。
今のところ、蔦を出す以外の攻撃をしてきていないとはいえ、得体の知れない相手に近づく気にはなれなかったからだ。
それから、少し走って騎士団員さんが戦っているあたりまで前に出たところで、トレントは蔦を伸ばして僕たちに攻撃を開始してきた。
次々に無数の蔦が迫ってくるものの、僕は蔦が近づいてくる度に付与魔法をかけたリビングナイフを飛ばし、危なげなく攻撃を打ち破っていく。
僕がナイフを飛ばす事が出来るのが、近くで戦っている神岡やウォルス団長にバレてしまうが、この際もう仕方ないだろう。
今を切り抜けるのが最優先である。
勇者の固有スキルによるものだと、勝手に解釈される事を祈るしかない。
そんな風に情報的な犠牲を払いながらも、僕たちは順調に目的地までの距離を縮めていく。
そうして、偽物の壁にまで到達出来ればよかったのだが……突然、僕たちがトレントの左真横あたりを通過したところで、トレントが今まで見せた事のない行動をとり始めた。
なんと、騎士団員さんとの戦闘開始から今の今まで変えなかった体の向きを変えて、頭に実っていた人の生首をもぎ取り、こちらに向けて投げつけてきたのだ。
その軌道はかなり正確で、的確にこちらの移動先を読み、投げてきている事が分かる。
本来ならば移動速度を下げて避けるところだが、こういった事態に対する行動は、既に決めてあった。
僕に人の生首がぶつかろうとしたその瞬間、突如として光の壁が僕と生首の間に現れる。
そして、そのまま生首は光の壁にぶつかり、爆ぜてドス黒い樹液を光の壁にたっぷりとぶちまけた。
自明のことではあるが、光の壁の正体は葵さんの光魔法、《障壁》だ。
正体不明の飛び道具が飛んできたときはこう対処してほしいと、予め伝えておいたのである。
どうやら失敗する事なく、上手くやってくれたらしい。
しかし、トレントの追撃はこれで終わりではなかった。
生首の投擲を四回ほど防いだところで、向こうもこの攻撃がまったく通用しないことに気づいたらしく、今度は別の攻撃を仕掛けてくる。
あれは……闇魔法だろうか。
トレントは自身の周りに真っ黒な槍や剣、さらには斧や鎌などを次々に生成すると、これまた僕たちに向かって次々に飛ばしてきた。
その攻撃の威力は、これまでの蔦とは段違いだ。
剣が刺さった葵さんの《障壁》にはひびが入っていたし、付与魔法をかけたリビングナイフでも十本はまとめて対抗させないと、その闇で出来た武器たちに威力負けしてしまう。
時には僕自らがリビングソードを振るって攻撃を防がないといけない場面があったほど、トレントによる攻撃は激化していた。
それでも、僕たちはなんとか速度を落とさずに走って、走って、走り続けて……あと少しで偽物の壁がある場所に到達する。
そんなときだった。
カチリと、足元から嫌な音が鳴る。
それと同時に、目の前の地面から見覚えのあるものが飛び出してきた。
僕のダンジョンでも使っていた、トラップの鎌だ。
その威力は、決して低くない。
片手に持ったリビングソードは、既に闇で出来た武器を防ぐために振るってしまっている。
今外套にしまいこんでいるリビングナイフ三本程度では、この鎌の威力を殺しきれない。
横に避けようにも左側には壁が、右側には攻撃を防ぐための《障壁》がある。
油断していた。
探索済みのダンジョンなのだから、トラップはないだろうと。
道中にトラップがなかった事実が、よりそれを確信に近づけていた。
まさに絶対絶命の状態。
だが、僕はここで死ぬ訳にはいかなかった。
だから、ほんの少しの可能性に賭けて、リビングナイフ三本でのささやかな抵抗を試みようとした、その次の瞬間。
ガキンッ!
と、金属と金属がぶつかり合う、甲高い音が辺りに鳴り響く。
目の前を見るとそこには、[瞬間移動]を使ったであろう神岡が、鎌を僕のリビングソードで地面に押し戻している光景が映っていた。
「篠宮君には策があるんでしょう? ここで死なれては困ります。どこに行こうとしているかは知りませんが……早く、早く行ってください!」
そう言われて、僕は小さく一回頷く。
そして体勢を立て直し、残り少しの行程を再び走り始め……偽物の壁の向こう側へと、足を踏み入れた。




